宮尾登美子原作「土佐」シリーズ

(2016年7月8日記)


今月締切の小論書かなくちゃいけないのに、何してるんだろ~。だいじょうぶかな。月末は対馬へ行こうとさえ計画しているのに。


本ばかり読んでいる。さらに映画も観ちゃった。昔の映画。先日宮尾登美子原作の『寒椿』を観てよかったから、同じく彼女の原作の土佐シリーズを二本続けてみた。『寒椿』は降旗康男監督で主役は西田敏彦と南野陽子、『陽暉楼』は五社秀雄監督、緒方拳、池上季実子、浅野温子主演、『鬼龍院花子の生涯』は同じく五社作品で、仲代達矢と夏目雅子が主演である。


「土佐という土地柄は、一皮むけば女も男も誰もがやくざなんだ」というようなセリフが女衒を演ずる緒方拳の口から飛び出すのだが、まあそういうことなんだろう。善悪とか損得を超えた任侠気質というものがあってこそ成り立つ物語である。遠く都を離れて太平洋の荒波に面する土地から生まれたものなんだろう。坂本龍馬をあげるまでもなく、後先考えるより勝負師のような、度胸の据わった男と女たちの物語である。


さらに舞台は遊郭である。そこで働く女もまたみな同じ、損得よりも心意気、粋というには正直すぎる、やっぱり「意気」のほうだろう、そういう世界である。お金より意気に価値があった、昭和初期という戦前の時代である。


そういう世界に出てくる男も女もかっこいいに決まっているのである。西田敏行も、緒方拳も、仲代達矢も、むちゃくちゃな男たちなのだが、カッコいい。文句のつけようがない。そして色っぽい。


普通のサラリーマンとか経営者の世界を描いたって、あんなにむちゃくちゃで乱暴で道理の通らない人が出てくるわけはないのだから、カッコいいに決まってるし、遊びも徹底しているから、色っぽいに決まっている。


度胸が据わっているというのは、怖いもの知らずだからし、最後はみんな死ぬとストーリーも決まっているし、考えてみれば、私がパターン化しているといつも小ばかにしているハリウッド映画と同じじゃないかとおもう。でもいくらダニエル・グレークだって、西田敏行ほど色気はないね。ましてや緒方拳や仲代達也の男の色気に、肉薄できる西洋人の俳優はいまい。

もちろん色気と言うと、対象は女性なんだろうけど・・・池上季実子は素敵だった。浅野温子も魅力的だし、元アイドルの南野陽子もかわいくてはまり役で、夏目雅子も美しい。こうした主演女優たちは、しかし、色っぽいというより、花が咲いているような感じかな。池上季実子は真っ白な菊、浅野温子はひなげし、南野陽子は牡丹という役名だけどやはりタイトル通りの寒椿、夏目雅子は水仙。どれも派手な花ではないし、色気というより「色香」といったほうがいい上品な感じだ。

それぞれの映画でわきを固めていた女優たちのほうが、女っぷりで言えば上である。それぞれ主演女優より年増なのだが、花にたとえても、かたせ梨乃は菖蒲、倍賞美津子は紫陽花、岩下志麻は牡丹、夏木マリは真紅の薔薇という感じの演出だった。

そして色っぽい女優はさらに別な形で登場する。たとえば、西川峰子、佳那晃子など、脱ぎっぷりもいい。役どころは色気というより、「お色気」である。

あ、今思い出したのだけど、同じく宮尾原作の『序の舞』というのも観たのだった。それは舞台が高知の遊郭や組頭の家ではなくて、上村松園という女性初の文化勲章をもらった日本画家の話である。監督は中島貞夫、主演は名取裕子である。名取は一心不乱に絵を描き続ける役だが、ものすごく色っぽかった。

彼女自身の存在感が色っぽいのもあるが、先の映画と合わせて考えるに、「色気」とは、花魁の技巧的なものとも、女郎や妾のような「お色気」とも、また極道の女っぷりとも違う、普通の人の自然体からにじみ出てくるものなのかもしれない。

いずれにせよ、この四作において出てくるすべての俳優(男女含めて)はみな意気と色気に満ちていたが、ナンバーワンと言えば緒方拳とおもう。

そういえば、まえに早稲田松竹の二本立てを見たとき、一本目がクレージー・ホースのルポで、二作目がフランスのマチュー・アマルリックがかなりしょぼいおじさん役を演じた映画だったのだけど、クレージー・ホースのヌードダンサーより、アマルリュックのぼさぼさな髪のほうが断然セクシーであった。

まあ、私が女だからかもしれない。だけど、緒方拳の任侠精神や、アルマリックの自堕落感、どちらも別の意味で自分の命なんてどうでもいい、というその辺に、男の色気がにおい立つんだな~。

なんか何かいているかわからなくなってきた。だいたい宮尾登美子はフェミニスト的視点を持って不幸な女性を描いたはずだし、それに対して、五社秀雄は男気と女の色気を表現したかったのだと思う。それぞれ違う思惑があり、またそれを俳優の強烈な個性が味付けして映画になった。よって、見る人によっても視点が違うのだろうと思う。

余談だが、「鬼龍院花子」というのは夏目雅子の役ではない。彼女の養父鬼政(仲代達也)が愛人に産ませた義理の妹の名前である。主役でもないこの女優が映画の中で不思議な空気感を醸し出していた。それだけでない、父鬼政のはちゃめちゃな生涯のとどめを刺したのが彼女だという重要な役回りでもある。言ってみれば、仙道敦子(子役)と夏目雅子の演じた姉の聡明さに対し、白痴のような妹なのである。仲代、夏目、岩下志麻、山下圭や、その他義理がたい任侠役者のなかで、一人だけ見たことのない女優でセリフも少ないし、顔もまた締まりのない表情なのだが、そのコントラストがなんとも絶妙であった。

さらに余談だが、ウェキペディアによると、主演女優は当時大人気だった大竹しのぶを想定していたが固辞され、新人の夏目雅子になったそうだ。こんなくどいドロドロした映画だからこそ、夏目雅子の涼しさが際立って救いになったのだとおもう。大竹しのぶではかわいすぎる。またこの映画で岩下志麻の極道の妻の道ができたんだって。ほんとに似合ってたものね。おまけに夏木マリもこれが映画デビューらしいが、とてもそうとは思えない迫力だった。

またしても余談だが、『陽暉楼』であれだけの色気を見せた緒方拳だが、実際は堅物でまじめな人だったらしい、ウェキペディアによると。ということはあの色気も天性のものというより、演技なのか。すごいなあ。仲代達矢も実際はかなり温厚な性格なんだって、びっくり、よくあんなに真に迫ったすごみが出せるもんだ。役者ってすごい。

私も、TPOに応じて「演じる」くらいの気持ちで生きていったら、もっと楽に生きられるのかも、ね。



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