宗教を考える③『愛と命と魂と』~元極悪人の救世主



宗教を考えるシリーズ最終回である。(宗教を考える① 宗教を考える②

新宿の図書館で勉強しているものだから、新宿区の資料があって、歌舞伎町関連本がかなり多く――様々な社会問題の吹き溜まりのような場所だからだろう――小難しい本を読んでいると疲れるので、ときどきふとそうした本を手に取って読みだしてしまうことがある。ホームレスとか家出少女とかホストクラブの話とか・・・

今回面白いと思ったのが、『愛と命と魂と~生きてこそすべて 歌舞伎町駆け込み寺』という玄秀盛さんの自伝である。玄さんの満面笑顔が表紙に載っている。




宗教が人を救うものだとしたら、あるいは人を救う人が救世主だとしたら、彼は紛れもなく、歌舞伎町駆け込み寺の教祖であり救世主といえる。しかし、これはちょっと新しいタイプの救世主である。キリスト教で言えばパウロ的かもしれないが。

明治期に日本に本格的に入ってきた各宗派のキリスト教によって、自我の確立と平等の精神を学び、社会的な問題に目覚めた人たちが教育や医療や政治その他様々な分野で活動したが、彼らは、どう考えてもエリートである。もちろん庶民の間にも信仰は広まったが、人を救う活動を積極的に行ったのは、元藩士の家から出て教育を受けた人たちだ。

新興宗教と呼ばれる団体の教祖にはいろいろなタイプがいても、もちろんエリートもいるし、大元教の出口なおや天理教の中山みきのように神が憑りついて宗教を興したものもいる。そのあと様々な跡継ぎや中興の祖のような存在があって続いているのであろう。

ところが玄秀盛さんというのは、極悪人であった。この本はじつに正直に生い立ちから今日までを包み隠さず書いてある。たぶん殺人以外のことならすべてやったんじゃないかと思う。というか、直接手を下さなくても精神的、経済的に追い込まれておかしくなったり死んだ人もいたかもしれない。小学五年でタバコを吸い始め中一でシンナー、カツアゲ、万引き、強姦と成人になるまでにすでに悪をし尽くした。

しかし、子供がそうなるには理由がある、彼はそのようにしか生きていけなかった当然の理由がある。韓国からの密航者の父とその愛人から生まれ、別れた両親がまたそれぞれに相手を変えたため、4人の父と4人の母の間をたらいまわしにされ、後から生まれてくる腹違いの兄弟姉妹の世話をしながら、食事もろくに与えられず・・・すさんだ大人たちはだれ一人として彼をまともに扱わず、邪魔者にした。

はなから愛を知らず、人間の汚い所ばかり見せられて育ち、虐待を繰り返す親から離れて生きていくためには、ずるく汚く生きるしかないだろう。学校でいじめられたら、いじめ返すしか方法がない、誰も守ってくれないのだから。・・・壮絶である。

こうして生きる力を得た彼は、ずるく賢く抜け目なく、一方で人の何倍も努力を重ねて手に職をつけるが、虎視眈々と次のチャンスを狙うという形で、30代には会社をいくつも経営するまでになる、しかも人を騙しながら。それを悪いことだと思うだけの意識を植え付けてくれる大人など誰もいなかった。

金の力と度胸で政界や財界の大物とつながり、陰でやくざとやり合う危ない仕事も引き受けて、金でも女でも欲しいものは何もかも手に入るし、何も怖いものがないような日々も、幸せとは程遠い。

ある日テレビで観た、千日回峰行を達成したという比叡山の高僧にあこがれて会いに行く。その高僧の指導で修業じみたことをし、得度もする。相変わらず、悪いことはやめられないが、心の奥底には、もっとよく生きたいという声がする。

難病の発見をきっかけに、いつ死ぬかわからない人生を賭けてみようと、新宿歌舞伎町で困っている人たちを救うNPO法人を立ち上げたのは45歳のときだ。やくざはやったことはないが、裏の世界は知っている。警察のことも知っている。悪をし尽くしたからこそ分かることである。

幅広い人脈を生かしたり、逆に裏切られたりしながら、駆け込み寺を開設し、他のボランティアスタッフに助けられながら、やってきた人たちの相談に乗る。必ずしもうまくいくことばかりではないし、資金繰りもいつも苦しい。これまで3万人近い人の相談に乗ってきた、これからは全国に駆け込み寺を作りたいという。

ふ~む。この人は、羽仁もと子やライトのように心を揺さぶられるような思想をもった人間ではない。知的でもないし品性があるわけでもない。が、頭でっかちで理論ばっかり言っている人たちに比べ、なんと正直で熱いのだろう。そして実際に人を救っている。彼の過去は過去である、今この瞬間に彼を頼る人がたくさんいる、それがすべてだ。もちろん来るをみな助けられるわけでもない、そこまで能力のある人でもないし、ましてやボランティアに近いスタッフならなおさらだ。しかし、実際に動いているのだ。それがすごい。

苦しみの中から努力する力を持ち、過去を乗り越え、人のために尽くす。ろくに教育も受けられなかったあんな生立ちの境遇から、よくこれだけの頭の良さと純粋な心があったかと思うと、人間の可能性に驚く。密航者の父、捨てられても新しい男を次々つくる母――立派な親ではなかったが、ある種の魅力と度胸と剛毅さは譲られたのかもしれない。

そして、彼によって実際に人が救われているのであれば、その壮絶な過去は、悪いことも含めて、意味があるということになろう。苦労した人でなければ、わからないことがあるだろうし。屈折した汚い感情のない人には、想像も及ばないドロドロした人生の果てにやってくる相談者もいるだろう、歌舞伎町という街には。警察など頼りにならないだろうし。

こんな場末の相談所には、大学で心理学を専攻したカウンセラーには務まらないだろうと思う。給料は少ないし、何しろ相談に来る人にお金がないのだから。迫害されたユダヤ人のキリストが、さげすまされている人たちに寄り添った例を出すのはちょっと違うかもしれないけど、彼にしかできない救済をしていると思う。人間の底辺から最高級の世界まで経験したという人はなかなかいない。いろいろな人がいろいろなことを言うだろうけども。

結局、本来の宗教というものは、恵まれた人たちの知的遊戯ではなくて、弱者の心身の救済となってこそもっとも意味があり、広まってもきたのであろう(為政者の道具にされる場合は別だが)。先のブログに書いたように、その内実は分からないが、新興宗教の信者が増えているのも、それだけ社会的な弱者が拠り所を求めているということだろう。本来、宗教は文化財になるような壮麗な教会やお寺とは関係がない。そもそも宗教は文化ではない。それは後付けだ。馬の餌入れ(飼葉桶)に産み落とされたキリストは、立派な建物を建てたわけでもなく、権威を恐れず、病めるもの貧しきものだけを助け歩いた。そして最後は同胞のユダヤ人に十字架につけられたのだ。

NPO法人を立ち上げてから10年、悩み事は深刻化しているという。また自分で考える力のない人が増えているともいう。既得権益の保持以外は思考停止になっている公的機関や伝統的な宗教団体には救えない。商売最優先の医療もカウンセラーも救えない。

もちろん私にも何もできない。だから宗教の原型のような玄さんはすごいと思う。テレビを見ないので知らなかったが、数年前に俳優の渡辺謙が玄さんを主役にしたドラマを企画したそうである。


宗教を考える②:『宣教師ニコライと明治日本』~プロテスタントへの反撃



前回のブログ(宗教を考える①)の続きである。公開しているが読者がいるとは思えない、かなりマニアックな読書感想文は自分の頭の整理に他ならない。サブタイトルもそうした趣旨で勝手につけた、というのは、前回のブログの、武田清子氏によるプロテスタント真髄論ともいうべき思想に私の常日頃の考え(とても「思想」とは言えない)が一撃されたので、反省を迫られていたところ、次に読んだ本の中で、なんとかの有名なニコライ堂のニコライが、プロテスタントに反撃したのである。

つまり武田氏による著作を読んで、私は自分の漠然とした信仰とも呼べない心境を、以下のように生ぬるいと一喝されたような気がしたのである。

キリスト教で言うところの絶対的自己超越―――絶対的、人格的他者としての神(God)による絶対的自己否定を通して自己肯定に到達するという意味での自己超越。それに比べると多く日本人の超越は、人間の主体的、心理的操作によるもの、いわば相対的自己超越である。―――多元主義的価値観による自己超越の操作、無原則のプラグマティズム、東洋的消極的自由、無意識・意識的に操作されたところの無執着の自己超越。あきらめに似ているが自己肯定の中で現状の拘束を超越して、そこから自由な心理的精神的態度を生み出しているもの。

武田清子氏と同じく国際基督教大学の教授である中村健之介氏の『宣教師ニコライと明治日本』。明治のキリスト者、羽仁もと子の研究にあたって、当時の日本の布教状況を知るためにも欠かせない一冊として昔買って、付箋だらけだから、かなり参考にしていた本なのだが、内容をすっかり忘れていた。先日ニコライ堂に行ったときも、信徒のガイドさんが関東大震災で崩壊したがソ連(当時は)からの寄付を中心に建て直しただとか、そんな話ばかりするし、静謐な空気に感じ入って俳句をいくつか読んだりしたが、ニコライの真摯な生き方とその苦労など、この本を読んであれほど感動したのに、すっかり忘れていたのである。

このたび再読してみて、あまりの面白さに、こういう本が読めるのだから生きていてよかった、と思った。なんだか大袈裟だが、本当にそう思うのだからそう言うしかない。武田氏の本は知的な刺激を受けたが、中村氏の本は彼の紹介するニコライの生き方に私の心が揺さぶられる感じがする。羽仁もと子やライトを好きなのも、彼らの思想に、知的な興奮も感じるが、それ以上に心が洗われるような人間の美しさを感じるからだ。

ニコライは幕末の日本にロシア正教を布教しようとやってきたエリート宣教師である。既得権の保持に腐心していた旧態依然の国教会、その安定した地位を顧みず、未知の地へ乗り込む志願をした23歳の青年であった。馬車に乗ってシベリアを横断し、ニコラエフスクで海路凍結のために足止めを食ったりしながら、一年かけて来日。函館で、本格的な布教に向けて8年間も日本語と日本史の勉強をする。日本語のあまりの難しさに、ロシア正教の聖書はまずその漢訳から入って、日本語に訳したという。新渡戸稲造をはじめ学識の高い藩士に師事し、『古事記』『日本書紀』『日本外史』などの史書や法華経などの仏典を原文で読破して、後には日本人の神学生にその講義をしたほどの勉強ぶりであった。その間、坂本龍馬の従弟であり函館でもっとも古い神社のひとつの神官であった沢辺琢磨を最初の信徒として、戊辰戦争を挟んで、佐幕派の東北志士を中心に信徒を拡大していった。その後現在の神田の駿河台に「正教会本会」を母国ロシアの支援によって建設し、そこに暮らしながら毎日の教会行事を執り行いつつ、全国津々浦々を訪ね、信徒を励まし、またその拡大に勤めた。日露戦争、ロシア革命に魂の引き裂かれるような苦しみを味わいながらも、自分が蒔いた種である教会の将来を心配しつつ、1912年(明治45年)に永眠、在日50年に渡る布教の実績を残した。

私が書くとまったく味気のない、彼の人生の要約だが、本書を読めば、幕末にロシアからやってきた青年宣教師の布教を通して当時の日本や世界の状況が見事に浮かび上がってくる。近代国家の建設に貢献しようとする志士から田舎の貧しい百姓、著名在日外国人やトルストイのような母国の偉人その他の人間がとてもよく活写されていて、ニコライのドラマチックな、喜びと苦しみに満ち満ちた、神の光に導かれたような人生が記録されている。

それはそれとして、この知的なニコライが随所にプロテスタントをその知性的であるがゆえに批判しているのが興味深かった。

プロテスタントでは宗教的な渇きは癒されない。――-プロテスタンティズムは、宗教とはいっても近代合理化精神を肯定し、信仰の近代化を行ない、神秘や儀礼に依存する面を少なくし、新約聖書を倫理規範として個人の両親や合理的主義や知的向上性や実践倫理を強調する教えとなった。それは現世の人間中心の教えである。


ニコライが伝えた、近代的個我の確立の核となることのない、また「文明と実利性と上昇志向の魅力」を振りまくのでもないキリスト教は、日本の宗教的土壌に合っている。ロシア正教はキリスト教であるが、むしろ明治の日本の庶民のいわば前近代的な宗教心、宗教的感情に接合しうる宗教だった、少なくともニコライ自身はそう感じたということである。


ニコライはキリスト教の宣教師であったが、宗教的感情は相互浸透のできる普遍的なものであると思っていた。―――彼から見れば日本では宗教は、神道も仏教も「上層」ではすでに失われてしまった。しかし庶民の間では宗教は生きている。知識人もどきの牧師たちが議論しているプロテスタントのキリスト教よりも、日本の庶民の帰依している仏教のほうが、まぎれもなく宗教だったのである。明治の日本には、その「下層」は広く厚く存在していた。そしてニコライは宗教の生きている場で宣教したかった。
以上本書より引用。

なるほど。日露戦争は彼にとっては針の筵以上に辛いものであった。彼の「愛する日本人」は勝利に酔いしれるが、ロシア人の自分はそうはいかない。誰にも感情を見せることができず苦しみに苦しんだが、それが絶えることができたのは、日々教会にて執り行った「奉神礼」(神の世界を讃えてそれに触れる儀式)であったという。これはプロテスタントの教義にはない世界であろう。

武田氏は、プロテスタントだった中村屋創業者の相馬黒光が、子供の病死等で精神的に苦しみ、浄土宗の他力道によって自らを救わんとしたことについて触れている。あれだけ聡明で若いころから多くのキリスト者に囲まれていた黒光ですら、心の闇をキリスト教によって克服することはできなかった。人が知の力で神にたどり着くことには限界がある、ないしはそこまでの知というもの自体がすでに相当に限られた人にしかあり得ないのかもしれない。

啓蒙主義的で自主独立を重んじるプロテスタントは、正義感と使命感に富む日本の指導者層に入り込んで、確かに多くの社会改革者を生み出し、時代をリードしたかもしれないが、ニコライが書いているように、人の心に宿る「前近代的な宗教心、宗教的感情」とは相容れない、あるいは極めて難しい宗教なのかもしれない。

仏教でも、茶人や武士に好まれた禅宗と、百姓をはじめとする庶民を対象にした浄土宗や浄土真宗、といった違いがある。

総括すれば、武田氏のキリスト教はエリートを対象にした議論である。そのエリートの大半も、多くがキリスト教から西洋文化を学びたいという宗教というより現実的な手段として近づいたのであり、自由民権運動、女性解放運動その他を通じて多くの社会的改革がなされたが、人間の原罪の理解や神という絶対超越者の元での自我の確立ということの理解ができた人は一握りに過ぎず、多くを救う手段とはなりえなかった。それは日本だけでなく、世界中のキリスト教国でも同様であろう。そして現在の信徒が強い信仰心を抱いて社会的活躍をしているかというと、私も関連の団体にかかわっていたことがあるが、おおむね保守的なサークル団体という感じである。

ニコライの、土着の庶民を対象としたキリスト教もまた根付かなかった。在日50年の布教の実績(当時)は、大聖堂1、聖堂8、会堂175、教会276、主教、司祭34、伝道者150、信徒総数3万4,111人とある。たった一人で外国からやってきた言葉も話せない人間の業績としては立派であろう。しかし、現在の信徒数は1万人に満たないし、教会も各地で文化財になっているが、おそらく信徒の高齢化と時代遅れの布教内容で、風前の灯火という感じが否めない。プロテスタントやカトリックはそれぞれ相当数の教派があり、よくわからないが、実情はあまり変わらないかもしれない。

ちなみに新興宗教の幸福の科学は、創立から30年余りで、現在120か国に教会を持ち、信徒数は1千万人を超えるとのことである。これはいったいどうしたことか。その教理も何も私にはわからないが、指導者やメッセージにそれだけの人を惹きつける魅力と今日性があるのは確かであろう。ほかにも創価学会が820万(世帯)、立正佼成会が300万(いずれも政治に深くかかわっている)、顕正会161万、霊友会140万、佛所護念会教団124万――いずれもとんでもない数字である。キリスト教全体で260万人と言われているのを考えると、本当にすごい(しかしこれらの数字はネットから見つけたので正確とは思われないものの)。これもまた時代の流れで衰退するときが来るであろうが。

このブログの文章もどこへ行くのかわからなくなってきた・・・あゝ人間は、心のよりどころを探して生きているのは間違いないらしい。

宗教なんて怪しいとかばかばかしいと思っている人も、これがあれば幸せだとか、これなら信じられるという価値観を見出しているという意味では、経済教、テレビ教、AKB教、グルメ教、パチンコ教、科学教、健康・美貌教、家族教の信者と言えるかもしれない。特にお金があれば幸せになれるとか、科学が証明しているから大丈夫だ、と思い込む経済教と科学教の信者が多いかもしれない、相対的な価値観であるにもかかわらず。

時代の役割を果たしつつ、宗教もまた新陳代謝していくのか。

絶対的価値、つまり真理は一つなのだ、と思いたい私の頭は整理されないままだが、この「宗教を考えるシリーズ」は次の一冊をもって、とりあえず、終了したいと思う。




宗教を考える①:『正統と異端の"あいだ"』~高名な学者による一撃



図書館で手にした本である、タイトルにひかれた。武田清子著。副題は「日本思想史研究試論」とある。1976年、東京大学出版社発行。

高名なクリスチャンの学者である。今私が曲がりなりにも研究している羽仁もと子とフランク・ロイド・ライトもクリスチャンであり、その信仰は一般的には「異端視」されている・・・が私から見たら「正統」な気がして・・・ちょっと読んでみたら面白かったので、ネットで探して中古本も購入した。実際に読んでみると「正統」と「異端」とは、通常の意味とはちょっとちがう一種の宗教専門用語であった。

でもほとんどの人には興味がないと思われるので、誰かに向けて書くというより、自分の頭の整理のために、この本の感想を書いてみようと思う。

冒頭から、ガツンとやられた。羽仁もと子とライトには思想と呼べるものがあるし、それが私には面白くていろいろと読んでいるのだが、そのほかにも、思想的に魅力のある賢人ともいうべき人たちがいて、それは古今東西、私にとっては何か共通したことを言っているような気がしていたのだが。そして、あえてそれを言うならば、人間を超えた存在(神、大自然、宇宙の法則などなど)にたどり着き、そこから人生観や社会観を確立した人たちが、それぞれの信じる方法で権威や常識にとらわれない形で社会改造や人間救済に向けた取り組みやメッセージを送っている・・・というイメージがあったのだが。

私としては、国や時代を超えて、彼らの思想あるいは信仰に共通点があることが重要な気がしていたし、だからこそそれを真理と呼びたいと思っているし、それはキリスト教の聖書や仏教やヨーガの経典にも共通しているものだと感じていたが、アメリカの大学の神学部で勉強し、戦争を海外で体験し、ICUその他で教鞭をとり、今年100歳という年齢にもかかわらず、貴重なオピニオンリーダーとしてマスコミに登場する彼女にしてみれば、私の認識はじつに生ぬるいものなのである。

ちなみに彼女の代表作のひとつに、『天皇観の相剋―1945年前後―』(1978年岩波書店)があるが、天皇制や戦後に制定された日本国憲法を、海外の資料から検証し直すという彼女ならではの立場と視点から、それらの正当性や意味を問うものである。

1917(大正6)年に伊丹市郊外の大地主の家に生まれ、親鸞の教えに帰依する母の影響をつけつつ、神戸女学院にてキリスト教信仰を深める。1942年に戦時交換船で、留学先のアメリカから帰国する際、生涯のテーマを「キリスト教思想と日本の伝統的思想(神観、人間観、歴史観、社会観)がどのような対話、相剋を展開するかを思想史の課題とする」と定め、戦後、そのテーマを一貫して追究するなかで『人間観の相剋―近代日本の思想とキリスト教』(1959年、弘文堂)、『天皇観の相剋―1945年前後―』(1978年、岩波書店)など、比較文化的、比較思想的な数々の作品を残してきた。(武田氏について、とあるHPからの要約)

さて、キリスト教と言っても、いろいろある。ライトは生涯に5つの教会を作ったがどれも違う宗派である。神社とお寺を混合している日本人も少なくないから、キリスト教の宗派の違いにほとんどの人は関心がないかもしれないが、クリスチャンにしてみれば、宗派の違いは、ときに宗教の違い以上に神経質な問題である。もっともメジャーなカトリックとプロテスタントの中にだっていくつもの教派があるのだ。ちなみにニコライ堂として知られる神田の教会の宗派はハリストス正教である。

いま遠藤周作原作の『沈黙』という映画が話題だが、我が国の近代化によって弾圧されていたキリスト教が正式に解禁されたのは明治6年である。布教の解禁を見込んで世界中の宣教師たちがすでに学校を創設している。いわゆるミッションスクールである。私立の名門と呼ばれる学校は全国に何百もあるだろう。結果的に見れば、現在の日本人のキリスト教徒の数は全体の1%にも満たないから、お受験の進学校としては成功したけれど、ミッションは失敗したと言えるかもしれない。

なんだか話がそれてゆくが、とにかく武田氏の背骨はキリスト教信仰であり、母親の影響から他力道の浄土真宗等にも関心が高く、今回私が取り上げた本は、外来思想と土着思想の結合というものについて書かれているわけだが、そのなかで、多くの日本の思想家が、本当のキリスト教の精神に照らし合わせて、生ぬるいと「断罪」されているのである。夏目漱石、森鴎外といった文豪の悟りも、クリスチャンだった木下尚江、相馬黒光、宮崎滔天、柳宗悦らもまた。

それだけ、真のキリスト信仰の教義が人をして神の前ではのっぴきならない状況に追い込まれるというか、「原罪」というものの自覚を迫られるものであるということなのだろう。と同時に、その自覚が明確であれば、逆に神という絶対的超越的権威の前においては、人はみな平等且つ自主性が保証されているという、真の意味での救済につながるのだろう。

しかし、実は「断罪」というのは冗談で、武田氏はむしろそうした明治の活動家たちが、キリスト教を通して得た価値観・・・「普遍主義的な思想的立場」が彼らの日本人として培ってきた土着の、あるいは生立ち等の環境による価値観と融合して、そこから新たな伝統的革新の可能性を探るものでもあった。

こうした融合思想の代表が、儒教的実学を西洋の実証主義、実験主義、科学の実学にトランスフォームした福沢諭吉、二つのJ「Jesus」と「Japan」によって新しい日本のあり方を提示した内村鑑三、武士道の修養の中にキリストの見えざる神を「良心」として祭り、自主の人間を目指した新渡戸稲造、普通の百姓「常民」の伝統の中に批判眼と普遍的概念を見出した柳田国男、「凡夫成仏」こそが「民芸美」を生み出す鍵と見た柳宗悦、『夕鶴』という民話に、自己本位のエゴイズムというキリスト教で言う人間の現在的現実を照らし出した木下順二であるという。

私が最も興味を惹かれるところの「自己超越」に関しては――

人間が何ものかを相手に対話しようという根本的な動機は、自己の存在の意味を問い、自己の存在の最後のよりどころというか、意味の根源、究極の答えを求めようとするからだ。自己を対象化し、あるいは自己の限界を超えて自己の存在の意味を問い求めることのできる自由こそ、人間の本質であると同時に、その自由は、自己の限界内に満足することができず、その限界のかなたに己が存在の意味を探し求めなくてはならないところの、充たされない人間精神の独自性を意味するものだと言えよう。

うん、うん、それはよくわかる。

「自己超越」ということは、そうした人間精神に普遍的な「永遠」また「絶対」なるものへの渇望に根を持っているように思える。(もっともその答えをどこに発見するかによって「自己」なるものの本質は決定されるのであるが)。

「自己」なるのものの本質が決定される・・・それはちょっと怖い。

キリスト教で言うところの絶対的自己超越――絶対的、人格的他者としての神(God)による絶対的自己否定を通して自己肯定に到達するという意味での自己超越。それに比べると多く日本人の超越は、人間の主体的、心理的操作によるもの、いわば相対的自己超越である。

これに私はガツンと来たわけだ。所詮私は自分の都合に合わせた超越を試みているに過ぎないんだと…つまり相対的自己超越。

彼女はこの自己超越の対象を物、人、神にわけて論じている。

信仰の対象が非人格的な「物」である場合、それに自己帰投する人間の本質も対象と同じ「物」であり、そこには「自我」ないし主体の確立の可能性は存在しない。

例として国家主義に自分をささげる、戦時中に見られた自己超越などを挙げている。そして「人」対象の自己超越としては――

多元主義的価値観による自己超越の操作、無原則のプラグマティズム、東洋的消極的自由、無意識・意識的に操作されたところの無執着の自己超越。あきらめに似ているが自己肯定の中で現状の拘束を超越して、そこから自由な心理的精神的態度を生み出しているもの。

――として、西行の出家による自然美への投入と一体化という自己超越、所詮人間はうじ虫程度の存在なのだからという諦観を元にして何も恐れず淡々と生きていこうという無執着を唱えた福沢諭吉、「則天私去」という観念で、宗教的自己超越に接近しながら普遍的大我による小我の超越を目指した夏目漱石、「かのように」を尊敬する立場をとって自己と社会との衝突によって自己の挫折を防ごうという態度をとった森鴎外を見る。

これらに対して「神」を対象にする自己超越とは――

神に知られ、神に愛され、神の意志にしたがうことによって自分自身を発見するという信仰に基づく人間理解。キリスト教では自己超越の契機が人間を絶対的に超越した人格即ち唯一絶対の「神」であり、それが他の外的規範と対照するとき、人間の自立性、理性的働きは否定されるのでなく、むしろ人間の自律性の意味を与え、目的を与えるものである。

私の抱く汎神論的な自己超越は生ぬるいということであろう。しかし、ライトと羽仁もと子に関しては、おそらく、真の自己超越の域にいっているのではないかと思われる。たとえば――


人間の理性、人間の創造性は人間の生存に究極の意味を与える神の働きを有限的な文化の領域、歴史の現実の中に表現し、実現する。

などというくだりは、まさに神のなすべきことの手助けをするとして建築や教育にあたった両者そのものの生き方だからだ。このほか、キリスト教の正統的思想と思われる考え方を抜粋して以下に記す。

ー絶対超越者としての神の前に立つ罪人としての人間の、キリストの十字架による贖罪(とりなし)の救いが問題になるのがキリスト教人間観である。
ー精神的雑居性は原理的に拒否する。(つまりキリスト以外は信じないということか)
ーキリスト教信者の在り方は殉教を至上命令とする信仰観
ー罪人としての人間の弱さ、挫折の現実においてこそキリストの十字架の贖罪の愛による救いが祈り求められる。
ープロテスタントは伝統主義的価値観を変革する新しいエトスをもって開拓的働きをする。
ーキリスト教人間観における人間の自由は破壊的要素と創造的要素との両方の可能性の相克を内包させており、そのダイナミックな現実こそ「罪」(自己中心的人間悪)の場があると共に、その悪の認識と克服こそが人間にとっての真の「自由」の課題である。その問題こそがキリスト教が人間に問いかける基本的な課題なのである。キリスト者がこの問題にどのような答えをなすかが重要である。 
ーキリスト教は、キリスト教個人、あるいは集団としての教会は、常に意図せずして足を踏み外して、「異端」に陥る危険、あるいは正統の座にあるとの安心が伝統の固定化、形骸化としての形式の固執となり、福音のいきいきとした「メッセージ」を見失う危険をはらんでいる。常に罪に染まった自らの宗教的、文化的、社会的形態にプロテストして、より真実にキリスト者たる在り方を追求してゆくことに、歴史の中にあるキリスト教の基本的課題がある。その問題を放棄してはならない。

プロテスタントという言葉の意味がやっと分かった。神という超越者のもとでの人間の絶対的平等性とそこから生まれる各人の個性の自由の尊重。権威は神にしか属さないが故の個性的創造的主体性が保証されるというわけか。そういう意味では武田氏が天皇制に異議を唱えるのも納得がいく。



『BOCTHED:整形手術の光と闇』~欲望の行き着く先



BOCTHED とは直訳で、下手な手仕事をされた、という意味である。整形手術の失敗を経験した人たちがでてくるアメリカのテレビ番組のタイトルなのだが、実にインパクトがある。それにくらべてその日本語訳(整形手術の光と闇)は何て凡庸なのだろう。

舞台はビバリーヒルズ。毎回、過去に整形に失敗した3人のセレブが登場して、ポール・ナッシフ医師とテリー・ダブロウ医師の診断を受けて施術をしてもらい、人生の再出発をするというドキュメンタリー式の番組である。

ユニークなコンビ、Dr.ナッシフとタブロウ

シリーズがいくつかあるので人気番組なのだろう、日本語の字幕も出る。しかし内容がすごい、登場人物がとんでもない。人間の欲望の限りなさを見せつけられる。彼らはほぼすべてを持っている人たちである。なにしろ世界でもっとも高級な住宅街ビバリーヒルズに住んでいる(あるいはそこの名医にかかりに来る)人たちだから。その金に任せて、もともと普通の人より恵まれている容姿の改造に取り組んでいる。胸を大きくしたり、目を大きくしたり、鼻を高くしたり、肌や唇をぷっくりさせたり、なんていうのはすでに20代の初めからやっているし、腹部の脂肪吸引や顎の切開、性転換なども当然のこととしてやってきている人たちだ。

そういう彼らがふたりの医師のところに来るまでには、もう何度も整形を繰り返して人造人間のようになっている。感覚がマヒしきっている。巨大な胸をさらに大きくしたいとか、アニメのキャラクターのような砂時計の形になるために肋骨を何本も外してウエストを細くしたとか、ジャスティン・ビーバーの17歳の頃の顔にしたいとか、双子の姉妹が同じ大きさの胸にしたいとか、宇宙人になりたいとか・・・要求がとんでもないのである。

彼らの容姿はすでに正視にたえないほど滑稽で奇妙だ。もちろん、過去の手術の失敗により気の毒な思いをしている比較的普通の患者も多いし、番組では基本的にはそういう人たちを治してあげることがメインなのだが、それにしても、あまりに無謀な整形をしてきた人が多い。


セクシーな唇??

ウエストを細くしたくて背中の肋骨を取ったという

もっと胸を大きくしたいの!

ジャスティン・ビーバーになりたい!
  
何度も一緒に整形してきたけど、胸の大きさが違うから同じにしたいの!

漫画のようになりたくて17万ドルもかけたわ!


僕は完璧、人形になりました!

男か女かもうわからない! 



人間が行くところまで行くとこうなるのか、という人たちの展示会みたいな番組なのだ。成功して金持ちになったら誰だって住んでみたいビバリーヒルズの豪邸。最高級の服を着て、世界中から人が集まる会場で、毎晩のようにパーティを楽しみ、ビーチで泳ぎ、それでもお金は入ってくる・・・欲しいものが何もなくなると、持って生まれた容姿をより完璧にしたくなるのだろうか。人間として完璧になると、今度は人形になりたくなる、あるいは、世界で一番大きい胸が欲しくなったり、世界一細いウエストが欲しくなったり、アニメの世界に行きたくなったりするのだろうか。

登場人物のほとんどが、服も髪も完璧だ。大変な手術をするのに、ハイヒールを履いたりしている。何歳になってもつやつやしたロングヘアをカールして、体にぴったりのセクシーな服を着て・・・それを着続けるために整形を繰り返す。

ハリウッドって大変そう。一度だけ豪邸街を車で通ったことがあるけど、確かにどの家も何千坪もありそうな、森のような敷地に建っていた。日本の豪邸も、あそこにあったら物置にしか見えないかもしれない・・・そんな場所である。世界中の成功者が住んでいる。日本はアメリカにあこがれてはきたけれど、何百年たってもあの域にはいかないだろう。狭い国土の狭い家、単一の狭い価値観の中で生きている、井の中の蛙的な私たち・・・だけどあの方向を目指すこともないだろう。

フランク・ロイド・ライトが称賛した日本古来の建築や自然との共生という価値が消えかけている日本。明治以来中途半端に西洋化してきたけれど、西洋化の行きつく先があのビバリーヒルズの虚栄心に満ち満ちた暮らしなら、ここらで方向を転換して、日本ならではの質の良い自然豊かな住環境、ひいては精神世界を目指すことはできないだろうか。こんなちまちました東京でもなく、過去の文化にすがるような旧城下町でもなく・・・豊かになったはずなのに昔より小さな家に住んで、あくせくと働いて生きているなんて!


『松岡二十世(ハタヨ)とその時代』~そして「戦後」すら知らない世代の私たち



ちょっと前に書いたものだが、最近著者から再三のメールがあり、かつての新京、現長春を訪問された時のスライドショーなどを送っていただいたので、彼の満州シリーズ第一弾の感想を転記する。

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(2013年10月11日記)

私の元上司、松岡將(ススム)氏による大著『松岡二十世とその時代』を読み終えた。850ページ。あとがきに、父の生涯とその死を綿密に追跡したこの一冊を、母の墓前に供えられるとの安堵の気持ちが綴られている。松岡氏が十年もの歳月をこの著作にかけたのは、母への供養のためといっても過言ではあるまい。「父が彼女と子供達にして呉れたのは、物質面で見る限りは、満洲での一家そろっての数年間」という環境において、著者は母親と苦労を分かち合いながら育ったのである。

母よい子は北海道の一農村の娘とはいえ、もとは新潟から新天地を求めて土地を開いた進取の家系を持ち、この石田家のリーダーシップがあっての、世に知られた昭和二年秋の樺戸郡月形村小作争議であった。彼女の父と弟たちの活躍は文中に詳しいが、よい子も農村女性のリーダーとして自ら地主の家に乗り込んで戦い、あらぬ公務執行妨害・傷害容疑で検挙されるなど、中央にいたらどんな女性解放運動家になっていただろうかと思わせる。

その彼女が帝大出の農民運動の指導者として月形村にやって来た二十世と出会い、わずかひと月あまりで結婚するというロマンスには、胸がときめかずにはいられない。二十世の職場である日本農民組合北海道聯合会の幹部が発起人となって開かれた「会費制結婚祝賀会」の案内状には――

「松岡二十世君と石田よい子さんとの間に結婚談が持ち上がったのは月形爭議の起こった頃からでした。爭議の先鋭化はこの爭議に花形として活躍した輝ける指導者松岡君と男子を奮い立たせた程の勇敢な婦人部の石田嬢との恋愛関係を発展せしめないではおかなかった。今や月形爭議は有利に解決されんとしてゐる際、爭議に咲いた二人の恋愛は、必然に結婚へと転化して有終の美を結ぶべきである。」

かくして宮城県北の、小藩とはいえ登米(トヨマ)藩の祐筆を代々務めた松岡家の三男は、親の同意も得ずに北海道の農村の娘と結婚した。悲しいことにふたりの生活は、旭川共産党事件(三・一五事件)による二十世の網走投獄やその後の東京、大陸での単身赴任、よい子の病気療養などによって絶えず分断され、平穏な時期は、太平洋戦争中の新京における数年しかなかった。しかし二十世が治安維持法違反の前歴を持ちながら、年を追っての戦況悪化に伴うあの厳しい時代に、おのれを生かす職場を求めることができたのも、妻、母、同志としての資質にすぐれたよい子の存在があったからに違いない。

実際、彼女は夫や夫の家族の代わりに家計を支えるべく、お針子縫いから郵便局勤務、露店での小間物商(幼い將氏を連れて!)と、常に働き続けていた。「今日は今日でも明けぬ夜はなく明日は明日、寝るより楽がこの世にあろか」という彼女の口癖は、知らずとキリストの教えに通じていた、と將氏は述懐している。

当時、キリスト教も、共産主義も、そのミクスチャーのようなトルストイ運動も、日本風に解釈やアレンジをされて広まっていたが、いずれもエリートが国家的視野から理想社会の建設に身を投じていく際の精神的支柱として、きわめて大きな役割を果たしていた。こうしたエリートと内助の功が、現在放映中の大河ドラマの新島襄と妻八重のように、二十世とよい子の関係にも結実していたのである。

さて、この大著から、昭和四十二年生まれで、「戦後」すら知らない私が学んだことは数多い。共産党員の検挙という歴史的大事件については、二十世をはじめ多くの関係者の事例が詳述されており、かなりリアルに知ることができた。この時期に有能な「思想的反体制者」を牢獄に繋いだことは、法の悪用あるいは国家思想統一上の必要悪だったというには、あまりにも惜しい国家的知性の損失であったと思う。

ちなみに日本の「國體」という言葉が初めて定義されたのは、旭川共産党事件(大審院上告審での治安維持法違反判決文)である。天皇は、「國體の維持」と「國體の精華を発揚」のためにポツダム宣言を受け入れたのであり(玉音放送)、約一年後に制定された新憲法をめぐる論議や質疑も「國體」ありかたが中心だったという。こうしたあいまいな「國體」のもとで、あるいはそうだったからこそ、この小さな発展途上の国をして、貴重なエリートたちを台湾、朝鮮、満洲へ派遣し、戦力では絶対的に劣る列強に宣戦布告し、南洋諸島にまで進出した無謀さもその失敗も、振り返れば当然の因果応報といえるのだろう。

本書では時代と戦況を説明するのに多くの軍歌を引用しているので、私は、逐一、YouTubeで聴いてみた。それらの歌詞と映像は、戦争を肌で知らない私に、当時の切迫した空気を如実に感じさせる。露営の歌、麦と兵隊、愛国の花、満洲国国歌、大東亜決戦の歌、アッツ島決戦勇士顕彰国民歌……そして私は軍歌の世界観である「生きて還らじ」の精神に圧倒された。エリート層のみならず、国民の多くが「お国のため」というマインドになれた強さは、逆に個人の判断を狂わせることになったが、遠くの島で同胞の勇士が血戦中と聴けば、誰しもそのように自分を納得させるほかなかったとも言える。

東洋的理想国家を目指した満洲国に、二十世自身は、「お国のため」を超えて「世のため人のため」に赴いたのであろう。しかし「王道楽土」の現実は、「前歴者」の二十世にとってさらなる苦難の連続であった。彼の高邁な精神と能力を発揮するには時代が悪すぎたというほかはない。在シベリア日本人抑留者向けの「日本新聞」に寄せた二十世の長歌を読むと胸が詰まる。

………こゝにして わがあれ國に もひと度 湧きおこりつる ひやくしようの もろ聲聞こゆ 土地よこせ 米うばうなと 浦々に みちてあふるる もの聲に まことをこめて………
反歌 きみがやに むしろにいねて かたらいし ひやくしようのよきひ すでにくるべし

学生時代にフリードリッヒ・エンゲルス著『ドイツ農民戰爭』を翻訳して以来、農民運動指導者として人民の立場からの理想郷建設に思いを馳せて生きてきた二十世が、家族に最後に残した言葉は、「社会主義国家の現実をこの目で見てくるから、なにも心配することはない」であった。

それから五十年足らずでソ連は崩壊し、我が国の農村も崩壊し始めている。日本はわずか一世代で飽食の経済大国となった。しかし本書に描かれている一人の男の生きた時代の出来事が、戦争を含めすべて因果と応報で成り立っているように、一層国際化された現代の私たちもまた、この先すべからく因果と応報の結果に甘んじなければなるまい。二十世が生きたのは確かに激動の時代であった。発展途上の段階で国土が膨張し、エリートの間でも様々な主義主張が錯綜し、国家としての統率が取れずに多くの犠牲者を出し、戦況を悪化させたのはまことに残念だが、しかし当時のリーダーたちには、武士の時代から続く知性と教養と、国や理想に殉ずる気概があった。戦後の復興を成し遂げるだけの気力があった。しかし、この先はどうなるのだろう。

直接的な戦争体験がない私たちは、右からも左からも解放された新しいな視点をもって客観的で公正な歴史観を築くことから始めたい。それには一部の意見を鵜呑みにしたり、近視的なマスコミに扇動されたりせず、自ら見て聞いて読んで歩いて、国際的かつ通史的な勉強を積み重ねていくしかない。六十余もの国が参戦した先の世界大戦は、その歴史的経緯もまたあまりに複雑で、一様に結論付けることは不可能だ。立場が違えば、竹島・尖閣諸島の領有権問題も慰安婦問題も沖縄米軍基地問題も、いかような解釈も成り立つのである。そもそも政治と個人の感情を同じ文脈で論じることはできない。どんなに想像を逞しくしても、例えば明日にでもソ連軍戦車隊が攻めこんでくるかもしれないという在満邦人の恐怖を実感できないし、また理想と現実のギャップに不本意な選択を取るしかなかった為政者の苦悩を知ることはできない。

歴史を知るということは、それによって過去や現在を裁くことではない。私たち世代が彼らのトラウマに触れる権利はないはずだ。大切なのは、同じ過ちを犯さないために、そのような不幸な事態を引き起こした因果関係を多角的かつ大局的に学ぶことである。それは直接的な戦争経験がないからこそ可能なのであり、数知れぬ幾多の犠牲者の上に築かれた平和の時代に生きている私たち世代の義務でもあろう。

時代に翻弄されつつ真摯に生きた一人の男についての史実を大量の資料と冷静な分析によってまとめたこの大著が、こうした公正な歴史観をはぐくむための一助になることは間違いない。

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『ザ・レイプ』『さよなら渓谷』~この30年は何だったのか

(2016年4月21日記)


価値観の違いが面白いという意味で、同じ題材を扱った二つの映画を比較してみたい。

ひとつは1982年の『ザ・レイプ』という衝撃的なタイトルの作品。落合恵子原作、田中裕子主演。

もう一つは2013年の『さよなら渓谷』で、吉田修一原作、真木ようこ主演。

どちらも私は原作を読んでいないのであくまでも映画の中で描かれる主人公の比較である。どちらの主演女優も名演であると思う。当時の田中裕子の魅力が最大限に活かされているし、今の老け姿から想像できないけど、ロングヘアーで颯爽としている彼女は、当時「いい女」の代表だった。しかも原作は落合恵子である。新しい女性像を生き生きと描き出し、フェミニズムというような肩肘の張った感じでもなく、軽やかにしなやかに自分の意思を持ったかっこいい女だ。

こんな女性が、風間杜夫扮する恋人とのデートの帰り、顔見知りの自動車ディーラーの男にレイプされる。ようやく家にたどり着き、電話でただならぬ雰囲気を察した恋人が尋ねてくる。彼に事情を話したあと、「あなたも私も明日は仕事があるのだから、もう帰って」というのである。

もちろん彼女は傷ついている。恋人が気にしないと言ってくれても、拭い去れない心の傷は残る。しかし、あえて彼女は裁判という手段に訴える。何も得るものはない、より傷つくだけだと恋人に諭されても、「自分がどこまで強いか試してみたいの」と言う。

裁判はひどいものだった。恋人が傍聴するなかで、彼女の過去の恋愛が暴かれ、不利な方向に持っていかれる。昔の不倫相手が登場し、恋人との間も危うくなる。

それでも彼女は闘い続け、ついには勝訴する。そして「女とたった一発やっただけで5年の刑務所なんて気の毒ね」と言い放つ。彼女の人格をぼろぼろに攻撃した弁護士に向かっては、「いろいろ勉強になりました」と頭を下げる。さらに、献身的に支えてくれた恋人に別れを告げる。「こんなことがなかったら僕たち幸せだったよね」という彼に、背中を向けて立ち去るのだ、振り返ることもなく。

最後は彼女が自宅でシャワーを浴びながら、過去を洗い流し、新しく再出発するという予感の中で映画が終わる。グラマーとはいえない裸を堂々とさらして、すがすがしい田中裕子であった。


さて、近作のほうは、まったくトーンが違う。

高校生のとき、大学野球部員4人の男に囲まれてレイプされた主人公、かの子。その後、事件をきっかけに両親は離婚、大学に進学するものの、就職先で知り合った恋人の親に調べられ強姦された過去が明るみに出たことで、結婚話が破断する。転職後の職場で出会った人と結婚するが、事件のことを蒸し返されて精神的かつ肉体的に暴力を受け、自殺を繰り返す。

レイプ犯の主犯とされた男は、たまたまかの子に出会い、その不幸な生き様に対し、贖罪の念に駆られる。そして証券会社の仕事も恋人も捨てて、彼女を守ることを決意。「私より不幸にならないと許さない」という彼女に、「死ねと言われたら、死ぬから」と言い、ふたりは渓谷のある町で一緒に暮らし始める。

そんな不幸な出会いが、いつしか普通の夫婦の静かな日常に変っていきそうなところへ、事件が起きる。隣の家の子どもが殺されたのだ。間もなくその子どもの母親が殺人罪で逮捕される。

そして、かの子は、その殺人犯と自分の夫との間に関係があったと警察に通告する。夫は連行され、強制的に自白に追い込まれる。

この事件を追いかけるさえない週刊誌ライターの男とそのアシスタントのような女性が要になって、かの子と、かつて彼女をレイプした夫の過去を暴きだすというのが映画のストーリー展開になっている。

最後にかの子は夫は殺人犯の女とは関係がなかったと自供を覆し、それが殺人犯によっても実証されたため、夫は釈放される。

いってみれば、「自分より不幸になってほしい」と思った男に仕返しをしたのだろうが、もうとうに許していたわけだ。それでも本当の夫婦になることは出来ないと思ったかの子は、渓谷を後にする。

ラストシーンで、夫は、週刊誌ライターにいう。「ふたりは幸せになるために一緒になったんじゃない。それなのに幸せになりそうだったから、彼女は出て行ったのだ。しかし私はいつかきっと彼女を探し出す」と。

まあ、なんてややこしい話だ。この話は実話を基にしているらしいのだが、どこまでそうなのか分からない。また吉田修一の原作がどこまで反映しているのかも分からない。



二つの映画で同じ被害にあった女性の描かれ方のなんという違い。

前者の路子は裁判で迷惑をかけないように出版社の仕事を辞めようとするが、経営者からこう言われる。「事件のことは知っていたよ。だけど君は有能だし辞めて欲しくない。いつでも戻ってくるように。それに僕は君に惚れていたんだよ、知ってただろう?」

恋に仕事に生きてきた路子は、抵抗したが無理やり強姦されている。一方女子高生だったかの子は自分から危ない罠にはまったともいえる形のレイプだった。一緒にいた女子高生が、自分をおいて逃げていったという設定になっており、その裏切った友達の名である「かの子」を自分の新しい名前にしている(本名は夏美)。なんという屈折。

路子は犯人とその悪辣弁護士と堂々と戦い、自分の過去の恋愛に対しても後悔などしていない。かの子は事件後複数の男に裏切られ、最後は犯人と結婚し、「幸せになりそうだったから」彼の元を逃げ出す。

落合恵子が描いたのは、自立した女性の強さだ。自信を持って魅力的に生きる女性は無敵なのだ。レイプ犯にも弁護士にも負けないし、優しい恋人の情にもおぼれない。すごい。自分の運命を切り開いている。

一方後者の女性は、自分で不幸の道を無自覚に選んでいる。自分を不幸にすることでしか生きいけないかのようだ。それなのにすべてを人のせいにしている。

30年前に描かれた新しい女性が、どうしてこんなに不幸になってしまったか。社会が女を幸せにしてこなかったことも確からしい。家族の存在というものも微妙である。路子は母親に自分の事件について何も話さないが、一方かの子はそれをきっかけに父に嫌悪されたり、恋人の親が干渉してきて婚約をだめにしたり、と彼女の不幸に追い討ちをかける。

前者では登場人物がどれも独立していて自分の考えで行動しているし、お互いのかかわり方もさばさばしている。一方、後者の映画の登場人物は、自分に確固たる軸がなくて周りに振り回されていて、それがかえって他者を、ひいては自分を深く傷つけている。


落合さんたちの世代から見たら、今の婚活に翻弄され、モテ服を着ている「大人カワイイ女子」というブームは、さぞむなしく映ることだろうな。





宮尾登美子原作「土佐」シリーズ

(2016年7月8日記)


今月締切の小論書かなくちゃいけないのに、何してるんだろ~。だいじょうぶかな。月末は対馬へ行こうとさえ計画しているのに。


本ばかり読んでいる。さらに映画も観ちゃった。昔の映画。先日宮尾登美子原作の『寒椿』を観てよかったから、同じく彼女の原作の土佐シリーズを二本続けてみた。『寒椿』は降旗康男監督で主役は西田敏彦と南野陽子、『陽暉楼』は五社秀雄監督、緒方拳、池上季実子、浅野温子主演、『鬼龍院花子の生涯』は同じく五社作品で、仲代達矢と夏目雅子が主演である。


「土佐という土地柄は、一皮むけば女も男も誰もがやくざなんだ」というようなセリフが女衒を演ずる緒方拳の口から飛び出すのだが、まあそういうことなんだろう。善悪とか損得を超えた任侠気質というものがあってこそ成り立つ物語である。遠く都を離れて太平洋の荒波に面する土地から生まれたものなんだろう。坂本龍馬をあげるまでもなく、後先考えるより勝負師のような、度胸の据わった男と女たちの物語である。


さらに舞台は遊郭である。そこで働く女もまたみな同じ、損得よりも心意気、粋というには正直すぎる、やっぱり「意気」のほうだろう、そういう世界である。お金より意気に価値があった、昭和初期という戦前の時代である。


そういう世界に出てくる男も女もかっこいいに決まっているのである。西田敏行も、緒方拳も、仲代達矢も、むちゃくちゃな男たちなのだが、カッコいい。文句のつけようがない。そして色っぽい。


普通のサラリーマンとか経営者の世界を描いたって、あんなにむちゃくちゃで乱暴で道理の通らない人が出てくるわけはないのだから、カッコいいに決まってるし、遊びも徹底しているから、色っぽいに決まっている。


度胸が据わっているというのは、怖いもの知らずだからし、最後はみんな死ぬとストーリーも決まっているし、考えてみれば、私がパターン化しているといつも小ばかにしているハリウッド映画と同じじゃないかとおもう。でもいくらダニエル・グレークだって、西田敏行ほど色気はないね。ましてや緒方拳や仲代達也の男の色気に、肉薄できる西洋人の俳優はいまい。

もちろん色気と言うと、対象は女性なんだろうけど・・・池上季実子は素敵だった。浅野温子も魅力的だし、元アイドルの南野陽子もかわいくてはまり役で、夏目雅子も美しい。こうした主演女優たちは、しかし、色っぽいというより、花が咲いているような感じかな。池上季実子は真っ白な菊、浅野温子はひなげし、南野陽子は牡丹という役名だけどやはりタイトル通りの寒椿、夏目雅子は水仙。どれも派手な花ではないし、色気というより「色香」といったほうがいい上品な感じだ。

それぞれの映画でわきを固めていた女優たちのほうが、女っぷりで言えば上である。それぞれ主演女優より年増なのだが、花にたとえても、かたせ梨乃は菖蒲、倍賞美津子は紫陽花、岩下志麻は牡丹、夏木マリは真紅の薔薇という感じの演出だった。

そして色っぽい女優はさらに別な形で登場する。たとえば、西川峰子、佳那晃子など、脱ぎっぷりもいい。役どころは色気というより、「お色気」である。

あ、今思い出したのだけど、同じく宮尾原作の『序の舞』というのも観たのだった。それは舞台が高知の遊郭や組頭の家ではなくて、上村松園という女性初の文化勲章をもらった日本画家の話である。監督は中島貞夫、主演は名取裕子である。名取は一心不乱に絵を描き続ける役だが、ものすごく色っぽかった。

彼女自身の存在感が色っぽいのもあるが、先の映画と合わせて考えるに、「色気」とは、花魁の技巧的なものとも、女郎や妾のような「お色気」とも、また極道の女っぷりとも違う、普通の人の自然体からにじみ出てくるものなのかもしれない。

いずれにせよ、この四作において出てくるすべての俳優(男女含めて)はみな意気と色気に満ちていたが、ナンバーワンと言えば緒方拳とおもう。

そういえば、まえに早稲田松竹の二本立てを見たとき、一本目がクレージー・ホースのルポで、二作目がフランスのマチュー・アマルリックがかなりしょぼいおじさん役を演じた映画だったのだけど、クレージー・ホースのヌードダンサーより、アマルリュックのぼさぼさな髪のほうが断然セクシーであった。

まあ、私が女だからかもしれない。だけど、緒方拳の任侠精神や、アルマリックの自堕落感、どちらも別の意味で自分の命なんてどうでもいい、というその辺に、男の色気がにおい立つんだな~。

なんか何かいているかわからなくなってきた。だいたい宮尾登美子はフェミニスト的視点を持って不幸な女性を描いたはずだし、それに対して、五社秀雄は男気と女の色気を表現したかったのだと思う。それぞれ違う思惑があり、またそれを俳優の強烈な個性が味付けして映画になった。よって、見る人によっても視点が違うのだろうと思う。

余談だが、「鬼龍院花子」というのは夏目雅子の役ではない。彼女の養父鬼政(仲代達也)が愛人に産ませた義理の妹の名前である。主役でもないこの女優が映画の中で不思議な空気感を醸し出していた。それだけでない、父鬼政のはちゃめちゃな生涯のとどめを刺したのが彼女だという重要な役回りでもある。言ってみれば、仙道敦子(子役)と夏目雅子の演じた姉の聡明さに対し、白痴のような妹なのである。仲代、夏目、岩下志麻、山下圭や、その他義理がたい任侠役者のなかで、一人だけ見たことのない女優でセリフも少ないし、顔もまた締まりのない表情なのだが、そのコントラストがなんとも絶妙であった。

さらに余談だが、ウェキペディアによると、主演女優は当時大人気だった大竹しのぶを想定していたが固辞され、新人の夏目雅子になったそうだ。こんなくどいドロドロした映画だからこそ、夏目雅子の涼しさが際立って救いになったのだとおもう。大竹しのぶではかわいすぎる。またこの映画で岩下志麻の極道の妻の道ができたんだって。ほんとに似合ってたものね。おまけに夏木マリもこれが映画デビューらしいが、とてもそうとは思えない迫力だった。

またしても余談だが、『陽暉楼』であれだけの色気を見せた緒方拳だが、実際は堅物でまじめな人だったらしい、ウェキペディアによると。ということはあの色気も天性のものというより、演技なのか。すごいなあ。仲代達矢も実際はかなり温厚な性格なんだって、びっくり、よくあんなに真に迫ったすごみが出せるもんだ。役者ってすごい。

私も、TPOに応じて「演じる」くらいの気持ちで生きていったら、もっと楽に生きられるのかも、ね。



『世界の文明』

(2016年3月1日記)


NHK特選見放題パックによって、ドラマの次に見たのがNHK特集の歴史・文明シリーズだった。私はいつでも文明の興亡というものにとても興味がある。あれだけ栄えたものがいつか滅びる、この公式がおもしろい。

そしてそこには権力と宗教と民衆と貿易と戦争が必ず絡んでいる。つまり誰にでもある欲望、このかなり人間的というか動物的な本能が先ずあって、それが強烈に強い人物が一人出てきて、その人を核にした勢力圏が生れる。たとえば、アレクサンドル大王、玄宗帝、チンギスハン、織田信長、毛沢東、スターリンなどなど。

そしてその人は民衆を抑えるために宗教を利用する。 つまり強引な布教による人心掌握、あるいは既存宗教に悪の根源があるとこじ付けての静粛といった形で。宗教は普通の欲望、本能の権化のような権力という欲望より、ある意味もっと強い欲望、裏を返すと無欲といった自己を越えた次元の、世界的平和を望むような、べつの人物が核となって生れる。たとえば、仏陀、イエス・キリスト、ムハンマド、空海、道元。

民衆の心をつかむのは強権と宗教だ。権力者はこの二つを利用して、勢力を拡大する。他の領土を攻める、戦争を始める。

その戦争で命を失うものも多いが、それによって潤うものもいる。そもそも戦争は金がかかる。その膨大な金を調達する手段が貿易である。他者に先駆けて異国へ行き売れそうなものを売ったり買ったり、あるいは安い人材を集めて作らせるだけの勇気や才覚のある商人が金をもうけて、さらに自分たちに有利になるように権力者に取り入る。

人類は戦争より初めに貿易を始めていたのかもしれない。自分の土地が持つものを他の土地の持つものと交換する貿易(物々交換)は古くからあり、それがもとで戦争が起きたのかもしれない。シルクロードの以前から、海路を使った貿易はローマや三内丸山遺跡でもその証拠が出ている。

欲望の強烈に強い一人の人物、それに群がる民衆、人間を救いたいという高尚な目的から生れた宗教と、それを利用する権力者が起こす周辺国との争い、その背景にある貿易でうまれる膨大な富。

大体文明の興亡にはこの5つのバランスが関係している。

文明は人間が発明したものだが、未来永劫続くものは一つもない。

唯一中国だけは、民族の違いを超えて一つの価値観を共有しながら文化圏を維持しているという。

それは唐の時代にうまれた「中華思想」によるものだそうだ。唐は、それまでの黄河や揚子江に恵まれた「中原」とは違う地域に発生した小国だった。しかしあえて自らを「中原」と呼んだことで、中国ではいつの時代も権力の中心が世界の中心である「中原」だという発想が生れた。

以来、中国人はどこにいても、どの民族が権力を持とうとも、「中国人」である限りは、世界の中心にいるということになったらしい。その他の国は東夷、南蛮、北狄、西戒なのだそうだ。

戦後、米国の子分になった日本人。米国に反発するなんて考えにくい国で育った私は、中国の欧米に屈しない態度を見ると横柄に見えたりしていたが、考えてみれば、歴史の厚みでは赤ちゃんのようなアメリカに対して、中国(やロシア)が日本のようにぺこぺこする必要はないのだ。ましてや中華思想のもとでは、日本に対しても上から目線に出たり傍若無人に見える態度をとっても、驚くことではないのかもしれない。

中国やロシアや北朝鮮が、日本の常識から外れたような国際的言動をするように見えるのは、私たちがむしろアメリカに洗脳されているからかもしれない。

だって、京都人はいまだに日本の中心は京都だって思うらしいから。徳川家康だって征夷大将軍だよ、京都からずっと東の、関東や東北の夷人を滅ぼす役職なんだから。この辺の武士はむかし東夷(あずまえびす)と呼ばれたらしい。京都から見れば東京は野蛮で未開な地、田園都市線上に住む人からみたら、板橋みたいなものだ(?)。

一時的に日本が先に近代化し、経済大国になったからって、根本的には中国人にとっては、昔の冊包国、いってみれば服属国なんだ。歴史の長さからしたら、日本の繁栄なんて短いものだし、日本国の興亡で見れば、すでに終わりかけている時期にいるのかもしれない。

すくなくともこれまでの神社仏閣を基本とした宗教的な価値や儒教的な家族制度をベースとした日本の価値は消えようとしている。この二つが日本人の根幹を成してきたが、敗戦とともに徐々に消えうせている。

戦後の日本人は逆境ゆえに底力でがんばった。そして豊かになった。ゆたかに育った世代にたくましさもないし、かつてあった根本的な価値観もない。

残っているのは日本人の器用さ、柔軟さ、そして狡猾さ。人がいいだけに右にも左にもいける。理想がないから、大勢に流されるときは狂気のレベルまでいける。宗教がないから、あたらしい考えも受け入れることが出来る。

これからの国際社会にはこんなほうがいいのかもしれないけど??




『ガラスの家』

(2016年3月1日記)



裁縫をしている間、ず~~~~~~~~~っと観ていたのがNHKスペシャルである。観ていたといっても、ほぼ布を見ていたので、聴いていたというかんじかな。

NHKオンデマンドという一月千円足らずでNHKの特選番組が見放題というのに加入しているので、過去のNHK特集から最近のスペシャルまで、いい番組がたくさん見られるのだ。

長い間ミシンに向かっていたので、どれだけの番組を見たか分からない。たぶん100ぐらいは見ているかもしれない。

しかし、当初見ていたのは、ドラマだった。好きな井川遥が出ているシリーズを全部見た。タイトルは『ガラスの家』、原作・脚本は大石静。若くして妻を亡くしふたりの息子を育ててきた次期財務事務次官の男が若い妻を迎えることで、彼の家族が変わっていくという話だ。家族に恵まれず孤独に生きてきたという、井川遥扮する30代の女性の、その素朴な色気が堅物の男の心を動かし、またその長男の心を捉えてしまう。男手一人で育ててくれた父の期待にこたえようと、長男もまた東大を出て財務省に入省したばっかりだった。それまで仲のよかった親子が、一人の女性をめぐって、また仕事をめぐって対立していく。

出てくる人は誰も悪くない。なにしろ官僚のトップになるほどの男の周辺にいる人たちだから、だらしない人間はいない。みんな家族思いで、家族のためにベストを尽くし、幸せに生きようとしている。だけど、人の心は思うとおりに行かない。魔性の女といわれる彼女も、誰も誘惑していないし、そんなそぶりも見せないし、そもそもそんな気もないのだから。しかし、女の色気は男たちを狂わせる。父は過剰反応して嫉妬して彼女にきつい態度をとり、傷つく彼女を慰めるうちに、息子は彼女を愛してしまう。

官僚社会のなかで失ってしまった若さや正義感を息子に見て、いらだちは倍増したのだろう。ましてや妻をなくしてから自分ひとりで育ててきた子供なのだから。

父が若い女を妻として家に入れなくても、息子は仕事の上で父と対立したかもしれない。理想をいだけば、官僚の世界は矛盾だらけだろうから。国を動かしたかったらトップになるか、むしろそこを去るしかないかもしれない。

そのへんが理想主義者のようにみえて最後は政治家の本性を現す野党のリーダーと、親子との、もうひとつの三角関係を描きながら、うまくドラマ化されていた。

最後は、夫婦は離婚し、女は、職を辞した長男と結ばれる。どこか遠いところで塾を開いて、ふたり仲良く暮らしている、という設定になっていた。

私はトレンディなドラマは馬鹿にしていたけど、これはなかなかよくできていた。登場人物に悪い人がいないのに、傷つけあったり憎みあったりするのは現実の世界でも同じだから。明らかに悪い意図を持った人間と、いかにも愛すべき人間が出てくるというわざとらしいドラマが多い中で、このドラマはおもしろかった。

だれにでも二面性はあり、意識していなくても、誰かを傷つけていたり、癒されていたりする。それは相手のせいだけでなく、自分の過去や生い立ちから来ている、自分でもコントロールできない性格や考え方などが、相手によって良くも悪くも引き出されるということがあるからだ。

似ている親子が同じ女性に惹かれるのは理解できるし、だからこそ憎しみ合うこともあるのだろうとおもう。

女性が自然体だからこそ、周りからはかえって疎まれることもあるかもしれない。

惹かれあって反発しあう。最初から惹かれあわなければ、反発することもない。ドラマは初めから起きない。ドラマとはつねに波乱を含んでいるのだろう。

わざとらしくなく自然に色気を出せる、リアリティのある女優の存在が、このドラマを成功させたとおもう。井川遥はかつて水着をきた元祖癒し系の男性のアイドルだったが、今は一番売れている主婦向け雑誌の表紙を飾る人気女優である。結婚して子供もいる。昔は韓国姓を名乗っていたらしいので、意外と複雑な人生を歩んできたのかもしれない。そしてその屈折や不断の努力が女優としての表現力となっているのだろう。




フランク・ロイド・ライトの予言①~理解されなかった建築家



今、旧帝国ホテルの設計で知られるフランク・ロイド・ライト関連の著作の翻訳と小論なるものに挑戦しているので、彼に関するたくさんの本を読んでいる。

アメリカで、というより世界で一番有名といってもいい建築家だ。私は池袋の明日館に勤めていたことがあるので、彼の建築や彼の愛弟子遠藤新たによるライトテイストの建築をじっくり体験するという僥倖に浴している。

ライトの建築哲学を、一言で言えば、「有機的建築」つまり、樹が地面から生えるように自然に造られたような建物、である。その土地、その時代、その住人に最もふさわしい建材とデザインで、その住人の人生を最高に美しく意義深くする、それが建築家の使命だと彼は言った。

Any building is a by-product of eternal living force, a spiritual force taking form in time and place appropriate to man. 
(建物というものは凡て、永遠の生命の力から派生する。人に相応しい時と場所を形に表したスピリチャルな力といっていい。) 

とても奥が深い哲学なので、万の言葉を尽くしても説明しきれないけど、とどのつまりはそういうことなのである。彼自身たくさんの本を書いているが、とても難解で詩的すぎて読みにくいと言われている。

今年は生誕150周年で、ニューヨーク近代美術館をはじめ、日本でもどこでもたくさんのイベントが開催されるようである。そして、関連本もたくさん出版されている。

たいへんに影響力が高く、話題の多い、建築数も多い、長生きの人だから、建築の専門家から小説家まで、彼について書いた本は何百とある。私はそれを全部読んでいるわけではないが、一般的にライトについての認識は、天才だがかなり傲慢で嫌味な人間、というものである。

Early in life I had choose between honest arrogance and hypocritical humility. I chose the former and have seen no reason to change. 
(人生の早い段階で、私は、正直な傲慢と、偽善的な謙遜の、いずれかを選ばなければならなかった。私は前者を選んだが、それを変える理由はこれまでのところない。)

―――といった有名な引用をはじめとする彼の傲岸不遜なイメージが、様々な個人的なエピソードと絡めて、押し付けられていった。曰く、日本の影響を受けているのに認めようとしなかった、帝国ホテルが関東大震災でまったく損傷を受けなかったのは嘘だ、妻と6人もの子供を捨てて、クライアントの妻とヨーロッパに駈落ちした、そのあとも2回も結婚した、日本の浮世絵版画を買いあさって金を儲けた、クライアントに金を無心し続けた、などなど。

ライトを天才だとほめちぎる一方で、同じくらい、あるいはそれ以上にライトの個人的な性癖を指摘する、そうした書き方がほとんどである。

メリレ・セクレットによる伝記は、数あるライトの伝記の中でももっとも評価の高いもののひとつである。600ページもあって米粒の三分の一ほどの小さな字で、知らない単語も多く、辞書と目薬がなければとても読めず、はじめのうちは本当に苦労したけれど、そのために昨年から図書館に通ったくらいだが、たしかに何千もの資料を基にしただけあって充実の一冊だった。すぐれた伝記作家である彼女には独特の文体と話の展開のスタイルがあり、まったく飽きることなく読むことができた。生立ちから死までの92年の長い生涯にまつわるあらゆる出来事や彼にかかわる膨大な人々、それらが実に生き生きかつ詩的に表現されていて、本当に面白かった。伝記文学という分野があるが、こういう作家はあまり知らない。ロマンチックな文体でありながら現実的で鋭く、対象と距離感を縮めることのない客観描写に徹している。

一方で、客観描写であるがゆえに、ライトの人間的欠陥ともいえるような面を徹底に暴き出している。この本を読んで、ライトを好きになる人はあまりいないのではないか。しかし彼女だけでなく、多くの本がだいたいこんな感じだし、日本を代表するライト研究家の谷川正己先生も、何度もお会いしているけど、ライトをほめるよりけなすことの方がお好きなようである。研究者というのはそういうものなのかもしれないが。

He is loved to be hated.

ではライトの著作を直接読んだらどうかというと、これもまた悪文として知られている。曰く、独断的な表現が分かりにくい、傲慢な調子が鼻につく、虚偽の内容が多いなどなど。

しかし、わたしは、浅学ゆえであろうか、初めてライトの建物に直に接した20数年前から、こうしたライトへの批判が、ライトが本来伝えようとしていた一番大切な点をぼかしてしまってるような気がしてならない。ライトの一見傲岸不遜な態度には、それなりの理由があると思う。大衆をmob「愚衆」と呼んだ彼を傲慢というけれど、彼からしてみれば、そうとしかいえない理由があったと思う。ライトは人口の都市集中が諸悪の根源であるとみなしていたが、晩年のテレビインタビューのなかで、大都市を批判するライトに対し、インタビュアーはまったく彼の本意を理解しておらず、大仰で時代錯誤なことを言っているとでもいう風に小ばかにしている態度が感じられた。
https://www.youtube.com/watch?v=DeKzIZAKG3E


しかし、私は今朝思った。最寄りの駅までの桜並木の道を、歩行者にぶつかりそうになりながら、子供を乗せた自転車を飛ばす若いお母さん。危ないな~。急いで支度をし、子供を保育園に預け、そのまま出勤するのだろう。そして仕事が終わり次第、子供を迎に行き(旦那さんと交代でかも知れないが)、家事をこなし、忙しい夜と、再び慌ただしい朝を迎える、そんな毎日。子供や旦那とゆったり過ごすゆとりがない中で、彼らもまた心にゆとりを持てるのだろうか。お母さんや奥さんが家で癒してくれるからこそ、子供も旦那も外で頑張れるのではなかったか。(もちろん女性の社会進出は必要であるが、その本意とするところとはまた別の議論。)

こんなゆとりのなさは何のせいなのかと考えると、大都市の一極集中なのである。この辺で家族が住める程度の家を持つなら、一戸建てでもマンションでも、30代の夫婦なら共働きしなければ無理である。しかし景観美ゼロのこんな場所の、庭もない小さな簡素な家に30年以上のローンを払う、その価値があるのだろうか。

もし、東京でない、自然が豊かなところにそれなりの人口があり、街があり、学校があり、職場があったら・・・土地が広くて安く庭付きの、それなりの大きさの家が建てられたら。しかし、今の日本には、そういうところがない。何もかもが大都市に集中して、都市と呼べるような文化をもつ街がない。かつて藩の中心だった都市には文化の名残が観光資源として存在しているが、それらも東京に劣る中途半端な場所にすぎず(だからと言って東京や横浜や大阪がきれいでも魅力的でもないのだが・・・)、郊外は日本全国チェーン店が席巻し、どこへ行っても同じ町にいるようである。自動車中心社会の町並み。

ライトの言っていた「機械の魅力」というものは、それとは違った。機械によって安く効率的にいい家を建てる技術が進み、また自動車によってより遠く広い範囲に暮らせるようになる、ということである。

東京で言えば、たとえば目白とか落合などの元お屋敷街は今も高級住宅街である。もちろん、敷地は10分の1ほどの狭さになってはいるが、坪単価はとんでもなく高く、どの家も億単位の住居であろう。元お屋敷街の時代は車がなかった。あっても運転手が迎えに行くようなところである。ところが、今はどの家も立派な車を持っている。どれも外車、少なくとも3ナンバーである。なので、家の正面は、昔のように立派な門と垣根があるわけではなく、道路すれすれまで壁になっていて、大きな駐車スペース(たいてい二台分の)となっている。玄関は横にちょこっとある。道路は旧態依然で狭いので、運転も駐車も大変だ。芸術的なバック駐車の技を求められる。先日トラックが目白の住宅街の角を曲がれず、標識をこすり続けていた。車が通るたびにわきを通る通行人も危険である。これが、日本でもっとも稼ぎのいい人たちの住んでいる住宅街の一例だ。

ライトはブロード・エーカー・シティという構想を持っていた。一人当たり1エーカーの土地に住むべしというのである。そこでは菜園も可能で或る程度の自給ができる(当時の1億何千万人かのアメリカ人に1エーカーずつ分配しても、テキサス州の大きさにも満たないはずだ、と主張していた)。そして豊かな住環境が人を育て、都市を育て、文化を育てる。

都市の核には文化が必要だ。住宅と商業と教育と芸術のバランス。しかしゆきすぎた資本主義(=拝金主義)を前にそのバランスは崩れ去った。

うちの近所の小さな庭のない建売住宅は、若い夫婦が30年以上もかけてローンを払うほどの経済的価値はあるが、本物の価値があるのかどうか、ライトはそれを恐れていたのだ。ライトの先見性は、当時の凡人には計り知れなかったのである(現在の凡人にも)。

ライトの一見傲慢な態度は、建築家としての自分をアピールしたかったのではなくて、差し迫る将来の不幸を未然に防ぐべく健闘し続けた、彼の建築家としての使命感から生じていたものだと思う。その時々の権威から与えられる名誉など全く意に介せず、大自然の法則の一環としての人の営み、その叡智の源泉となる住居という存在の大きさをいかに伝え、建設し、後人を育てるかが重要だったのだと思う。

当時のアメリカはまだ新しい国だった。両親はイギリスから移民してきた。自由を標榜する新しい国づくりに、彼は貢献したかったのである。
A free America... means just this: individual freedom for all, rich or poor, or else this system of government we call democracy is only an expedient to enslave man to the machine and make him like it. 
(真に自由なアメリカ、それは富める者も貧しき者も、みなそれぞれが自由であるということに尽きる。さもなければ、我々が民主主義と呼ぶこの政治システムによって、人は機械の奴隷となり、その虜となるだろう。)

昨日メトロの車内CMで、男が小さなロボットに向かって、「いつか君が家族のだれより僕のことを分かってくれる日が来るのかもしれない」、と愛おしそうに語っているのを見て、ぞ~っとした。もちろん私たちはすでに機械=コンピューターやスマホの虜だが、ついにここまで来たか・・・予言者ライトよ!

ライトについてはもっともっと書きたいこと、書かねばならないことがたくさんある。小論を楽しみに!

数あるほんの一部だけど・・・


Frank Lloyd Wright's Prophecy 


I am reading a lot of things about Frank Lloyd Wright, as I am translating a book about him and writing a thesis on this great architect.

He is the best-known architect in the US, probably in the world. Since I used to work at Myonichkan, a school designed by him and his pupil Arata Endo, I had a blessing to fully experience the wonderful architecture. 

If one sums up just one word to describe Wright’s architectural philosophy, it is “organic architecture”: a building created naturally as if it comes out from the soil with materials and design most suitable to its land, era and inhabitants in an attempt to make the dwellers’ life most beautiful and meaningful; “that’s the mission of the architect”, he said.


Any building is a by-product of eternal living force, a spiritual force taking form in time and place appropriate to man. 

I have just interpreted his philosophy in an ultimate way, but it is so profound that ten thousand words are not enough to fully explain anyway. He himself wrote a number of books, but they are said to be too poetic and difficult to read. 

2017 marks his 150th birth anniversary and thus related events are underway in many places including a retrospective exhibition in MoMA, and Japan is no exception. Of course, publication of related books is very active too.

Wright is a very influential architect, offering a variety of stories and buildings in his long life, so that there are hundreds of books and thesis on him by architectural critics, scholars and novelists. I have not read all of them, but in general, he is perceived as a man of genius but also of arrogance and sarcasm.


Early in life I had choose between honest arrogance and hypocritical humility. I chose the former and have seen no reason to change. 

This famous quote and such have established his lofty image, together with various private life stories that are not necessarily favorable: he did not admit Japanese influence on his work; his Imperial Hotel was actually damaged by the quake but he did not tell that; he fled with a wife of his client to Europe leaving his wife and six children behind; he got married two more times after that; he purchased a tremendous number of Japanese woodprints and made money out of selling those pieces; he kept asking his clients for money….

Most writers of his books denounce his personal character as much as, or more than, they admire him as a genius.  

The biography by Meryle Secrest is one of the best in this category. The 600 hundred-page book is consisted of small characters, one of which as tiny as a third of a rice grain, and contains many English words unfamiliar to me. Without a dictionary and eye drops, I could not read it and really had a hard time when I started reading it; in fact I needed to go to the library from the end of the last year to focus on reading. Yet, it is worth reading, as it is based on thousands of materials and resources. As an excellent writer, Secrest has her own style of writing and developing a story, which never made me tired of reading.

What fascinated me most was her capability of describing numerous events and people coming by through his long life of 92 years in a vivid and poetic way. The writer takes a very objective stance, keeping a certain distance from the objects she was writing on. 

But because of this stance, she never lets off Wright’s personal shortcomings. I think no readers of the book ever come to love the architect. Not only Secrest’s, but also other books have the same kind of critical stance toward Wright. Professor Masami Tanigawa, the most well-known Wright scholar in Japan, whom I have met many times, too seems to like condemning the architect rather than admiring. I guess scholars are that kind of people anyway. 

Wright is loved to be hated.

So, what if reading Wright’s own books? Well, his writings are not favorably perceived by the readers who say that they had many dogmatic phrases that are hard to understand and even disgusting, that there is a lot of false information added for the purpose of making him grander than he actually was.

However, probably because of lack of my knowledge still, since I first saw his building 20 some years ago, I have kept thinking that all these criticisms against Wright have hindered one to understand his most important message. I see a reason for his seemingly arrogant attitude. The fact that Wright called a mass a “mob”, which surely made him look very snobbish, has a decent reason for him. He thought urban concentration was the root of all evil. In a TV interview show that Wright appeared in his final years, he criticized big cities such as NYC, but the interviewer did not get what he meant and even teased him as an exaggerated, old-fashioned man. 
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=DeKzIZAKG3E 

This morning on my way to the station I saw a young mother on a bike carrying her child in the front cage, hurrying while avoiding carefully not to crash passers-by. She looked so dangerous. She must have rushed to get herself ready to go out, bringing the child to the nursery school and going to office. And after her work is done, she must again hurry to get her child back---her husband might do it in turn---, go home, do the household chores, spending a busy night and getting ready for a busier morning again. This goes on and on every day. Without a relaxing time together with her kids and husband, how could they relax too?

I guess they can go work and study lively when there is someone as a wife or mother waiting for them at home. (I do agree the importance of women’s career building, of course, but what I mean here is a different issue.)

What makes our lives so hectic is too much concentration of urban population. Having a house for a family in my vicinity requires both husband and wife in their 30’s to have jobs to earn enough money. A small and simple house without any vista or garden still demands the couple to pay back a 30-year loan. But is it worth?

What if somewhere rich in nature, obviously not in Tokyo, there is a certain population forming a good city with schools and workplaces? What if the land is spacious enough to build a house and garden with an inexpensive price?

Unfortunately, however, there is no such a city in Japan. Everything is concentrated in biggest cities, and other places are much less developed to be called cultural cities. Some old cities have remains of their historic assets to attract tourists, but they can never excel in Tokyo anyway---although Tokyo, Yokohama, and Osaka are not so beautiful and attractive either. Japanese suburbs look totally the same anywhere with chain stores along the main streets, making no difference wherever one goes. They are the towns created by the automobile oriented society.  

That is different from what Wright meant by the attractiveness of the machine. He welcomed the machine age as it provides advanced technologies to build good houses efficiently and inexpensively and the car to live in wider areas. 

For instance, areas such as Mejiro and Ochiai in Tokyo were upscale residential areas and still are. Even though each housing space has reduced to one tenth of what used to be, the land price is astonishingly as high as some hundred million yen. In the past the residents did not own cars and had their chuffers pick them up if needed. 

Now, however, every house has cars, mostly imported or at least large-sized ones. So, the dwellers have to build garages---in most cases for two cars per house---in the façades of their houses along the streets and their entrances are set aside. They cannot have grand gates and hedges that they used to have. The streets are as narrow as the past, so driving and parking are a hard task. One is required for an acrobatic skill to park a car backward. The other day, I saw in Mejiro a truck keeping scratching a traffic sign as it could not make a turn in the corner. Passers-by get scary each time a car passes their sides. This is one of the towns of people earning the best incomes in Japan. 

Wright had a project called “Broadacre City” calling for one acre per person to live. There one can grow vegetables. There were about 100 million Americans at that time and if one acre was allocated for each person, the total land required was still smaller than the land of Texas, according to Wright. He believed a good living environment helps grow inhabitants, a city and culture. 

The core of a city needs culture which needs a balance of housing, business, education and art. But excessive capitalism and resulting worship of money have destroyed the balance. 

A small gardenless ready-built house in my neighborhood is worth for a young couple to pay back a more than 30 year loan in an economic sense, but I doubt if it in a real sense. Wright would know that. His foreseeability was beyond ordinary people at that time (or even today).

In my opinion, his self-importance is not to appeal himself as an architect, but for the mission as one to fight against imminent crisis. He never cared about the fame provided to him by authorities from time to time, but he rather tried to find the way to enlighten the importance of homes as a base of human activities and wisdom in accordance with natural law, to build such houses and to educate young followers. 

The USA was still a young country; his parents came from England. Wright wanted to contribute to building a new and free nation. 


A free America... means just this: individual freedom for all, rich or poor, or else this system of government we call democracy is only an expedient to enslave man to the machine and make him like it. 

Yesterday, I saw a CM on the train and could not help feeling horrified: a man is talking to a tiny robot gently, “someday you might be able to understand me more than anybody else” We are already enslaved by the machine such as computers and smart phones, but at last the robot…Oh, Wright the prophet!

I still want to or have to write a lot more about the architect. Hope I will write a good report!


『ナノ・スケール 生物の世界』~宇宙との一体感



『教師「ん」とカリン』の作者との交流から感想文を公開するブログを新設したが、ついでに、桶本欣吾さんのご本についてかつて書いたブログも(非公開のブログから)そちらに転記して、彼に連絡したところ、彼の本を読む「よすが」となりえた私のインドでの体験をもっと詳しく紹介したらどうかと提案された。

たしかに、あのインドでの一種の解脱体験は、桶本さんの一見難解な本だけでなく、あらゆる面において、たとえば般若心経への理解、フランク・ロイド・ライトの有機建築への理解、廣池千九郎の道徳科学、中村天風、羽仁もと子、福岡正信、ヨガナンダやサテッシュ・クマールなどインドの行者たち、あるいはジョージ・ソローやウォルト・ホイットマン、松尾芭蕉・・・ありとあらゆる敬愛すべき賢人たちの思想――しかもいずれにも共通している思想ーーの理解に大いに役立っている。

しかし、あれはすでに6年も前のことであり、しかも短時間の話で、それをいつまでも唯一の「よすが」にしているのも、自分があまりに成長していないみたいで情けない。

そこで、あの体験を今ここでもう一度再現できないかと、今朝の布団の中で試みた。宇宙の中に己をこどまで解放できるか、解脱感を味わえるか。

つまり、色即是空をどれだけ実感できるかということである。

不生不滅をどこまでリアルに理解できるかということだ。

インド体験を一言で言えば、私は完全に「私」を消し去り、万物との一体感を味わったのである。それは究極の解放感であった。

(2010-2011年、インドのカイヴァリヤーナというヨーガの大学の最終試験期間中のことである。)

もう少し具体的に言えば、その時の私の目にはあらゆるものが、初めて見るかの如く新鮮だった。空気、風、樹、葉、花、地面、自分の身体、そういったものはなにもかも、かくあるものであるという前提でしか見ていなかったものが、すべての前提を外された状態になったのだ。

そして、その瞬間に生きているものとして、その瞬間に生まれた状態のままで、そこにあった、自分も含めて。一瞬前の私も、一瞬後の私もいなくて、この瞬間的であり永遠に湧き続ける生命の泉の中で、あらゆるものが新しかった。私を私と認識するにはあまりにこれまで知っている過去の概念がくだらなく無意味に思えるほどの、圧倒的な生命の新しさだった。

そして、その生命を生み続けている大元の前で、あらゆるものは、別の形に見えるけれども、一体なのだった。だから、そこに「私」はいなかった。「空」も「樹」も「風」も人間に概念づけられ、名づけられたものはなにもなく、ただそのままで存在していた。

そんな放心状態にいた私の前を、クラスメートのニーナが通りかかり、私の名を呼んだ。が、私はとても奇妙な気がした。私は彼女を認識したものの、それは仮にニーナと名付けられた生命体であり、私もまた人と区別するために仮につけられた名前をもっているだけで、それらの名前が体現するものすべてではないとはっきり感じたからである。


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新たに解脱感を味わうために、話はちょっとへんな風に逸れるが、今通っている図書館で見つけた『ナノ・スケール 生物の世界』という写真集について触れたい。電子顕微鏡で見た生物の写真が載っている図鑑である。それを見ると、ヤモリが天井から落ちない理由や蜘蛛の糸になぜあれほどの強度があるのかがよくわかる。ヤモリの脚には何億のマイクロファイバーがついているし、蜘蛛の糸は一本じゃなくて、6本の突起からいっぺんに何百本もの糸を吐き出して(しかもいろんな成分から作られた)、それを撚っているのである。




とりわけ面白かったのは、人間の毛根、とくに顔のまつげや耳や鼻に棲んでいる、マツゲダニと呼ばれる虫である。文字通り棲んでいる。毛根の皮脂を食べて、交尾し繁殖し死んでいく・・・誰かとかなり至近距離で顔を近づけたりしない限り、彼らは私の顔の中でどこへも行かずに何代も何代も棲み続け、しかも年を取るほどに増えるのだそうである(65歳以上の人の寄生率は95%!)。

一つの毛穴に三匹ぐらいいて、体中の毛穴を考えると、私の中だけで15万匹ぐらいいるという。排泄器官がないので、排泄物は出ないのだそうである。

体長0.1~0.4ミリ。節足動物(脚は幼虫で6本、成虫になると2本増える)の中では最も小さいのだそうだ。25個の卵を産み、3~4日で孵化し、3週間で成虫になる。時速14センチ、と説明されていた。

左の写真が毛と毛穴で根元にマツゲダニがいる。右が拡大図

目には見えないがこんな虫が私の顔で生まれたり死んだり交尾したり排泄したりしている。もちろん腸や口の中にも何億もの細菌が棲んでいるのだが。

これらはあくまでも顕微鏡で見える姿である。

人間の限界を超えた世界にも、きっと生命はいるはずだ。だって、マツゲダニが排出物を出さないわけはない、皮脂を食べているのだから。ということは、その排出物を分解するさらに小さい虫なり菌がいるに違いない。そしてそれらの虫なり菌の排出物をさらに分解する生命体もいるかもしれない、永遠に小さく小さくなって。(あるいはそのマツゲダニの排泄物は垢となってはがれるかもしれないが、私の部屋の中にそれを主食とする虫がいないとも限らない・・・)人間がこのさき何百年かけて顕微鏡を進化させても見えない世界があるはずだ。

逆もしかり。

人間は大きすぎることも見えないし、実際に今ここで起きているのにもかかわらず体感できない。

地球は時速1400kmぐらいで自転していて(日本辺りでは)、その地球は時速10万km(秒速28km)で太陽を回り、太陽系は秒速約240kmで銀河系を公転しており、銀河系は宇宙を秒速約600kmで回っていて、さらに宇宙自体が、時速約360万kmで膨張し続けているそうである。

これらの数字は国立天文台その他から見つけてきたアバウトな数字で、正確かどうかわかりようもないが、とにかく、私たちは地球にいながらして一秒間にとんでもない速さで動いているのは、事実らしい。

・・・でも感じない。(慣性の法則)

ところでマツゲダニの排泄物を処理する虫はかなり小さいが、最も大きな生命体の一つはブラックホールではないかと思う。お腹がすくと星を大量に吸い込んでしまう。前に見たNHK特集ではブラックホールはダイエットもするらしい。そして、その中には10次元を超える世界が畳み込まれているとかいう説もある。もちろん太陽系や銀河系もひとつの生命体と考えることができる(私にとってのマツゲダニは、銀河系にとっての地球よりずっと大きいが。っていうか私も地球の寄生中にほかならず・・・)。

この超ミクロから超マクロの生命体は、今のところ人間の分かりうる範囲で言えば、すべて原子によって構成されている。原子の種類はわすか100余りで、宇宙誕生期に近い100億年位前から、超新星爆発などによって作られてきた。万物はすべて共通の材料からできているのだ、私も、マツゲダニも、地球も、ブラックホールも。材料だけではない、生命体は大小を問わず、同じパターンを踏襲している――薔薇の花芯、巻貝、銀河系に見られる渦は同じ原理で出来ている・・・私のつむじもDNAの螺旋構造もまた。

しかしこれらの原子は宇宙の構成要素のわずか4%であり、原子の質量の99%を構成する原子核の大きさは原子の1%ぐらいらしいから、宇宙的に見れば私という物質的存在はまったくもってスカスカだ。宇宙の構成要素は今のところ25%がダークマター(暗黒物質)、70%がダークエネルギーということになっているので、こうしたダーク系のものが本当は私を構成してるに違いないのだが、現在の最先端科学ではまだそれらがなんだか分かっていないし、存在も確認できない。

つまり、私たち人間は、ほとんど何にも分かっていないのに、そして絶対に分かりえないのに、ほんのわずかに分かっていることで成り立っている世界をほぼすべてと思い、秒速移動という事実を体感することもできずに暮らしているのである。顔にシミができたとか、洗濯物がたまっているとか、トランプが変なことを言いだしたとか、将来年金だけで暮らしていけるかしらなどと心配しながら暮らしているのである。

と同時に、分かっている人には、何百年も前から、最先端の宇宙物理学などなくても、真理をつかむことができたのである。

このとりとめのなく長いブログの結論はこうである:

宇宙はロケットに乗って選ばれた人だけが出ていくところではない。私はすでに宇宙空間にいる。宇宙は一瞬たりとも休むことなく変化し続け、生命を生み出し、新陳代謝し続けているが、構成要素はすべて同じでなのである。「私」はその中の一つであるが、それ以上ではない、それ以下でもない、万物平等の生命の輝きである。般若心経で言うところの不生不滅、不垢不浄、不増不減・・・それを知れば、人知の世界の出来事はあまりに狭量で取るに足らない、悩むに値しないことばかりであり、度一切苦厄(苦厄は一切乗り越えられる)わけである。

これが分かれば、解脱、したことになるのだが。

ところで桶本さんのシリーズ、『光から時空へ』『明けゆく次元』では、私が乱暴にまとめた上記のことが、もっとずっと哲学的、物理的、そして詩的に書かれていて、読むたびに感動を覚える。