お金と寿命と社会的地位について自分の尺度をしっかり持てば、この世は楽しいことばかり



ある知人がこの頃心配性になってしまったと言って嘆いていた。30代半ばになると、おのおの価値観が定まって来て社会的なことにも興味を持つし、友達と話していると主義主張の応酬が激しくて、心の浮き沈みが大きくなるらしい。まあ、社会的なことといえば、新聞もテレビも不安をあおるようなことばかり報道するから、多くの人が批判的かつ厭世的になってしまうだろう。あるいは彼女のように心配性になる。



先日実家で父の庭の野菜をもらって包んでいた新聞の一面に、「2045年には65歳以上の人口が全体の3割」という見出しがあった。二面でもそれが特集されていた。「え~っ、そんなのトップ記事になるようなニュース?前から言われてなかったっけ?」と思った私。2045年というと、いまから27年後か・・・私は77歳だからその中の一人・・・だからなんだっていうの!?



1970年代は人口増加が社会問題だった。人口が増えすぎて食糧難や住宅難が心配された。産児制限やブラジルなどへの海外移住が奨励された。それらの政策がすぐに結果をもたらさなかったが、30年もしないうちに、人口の減少が問題になり始めた。一人当たりの出生率が第二次ベビーブームだった70年代前半の2.14人から1.43人に下がっただけではない、出産どころか結婚すらしないのが当たり前になりつつある今日だ。



つまり社会問題なんて、そのための政策や対策なんて、あてにならないというか、先が読めないというか、心配したってしょうがない。そもそも私たち30秒後に自分自身が何を考えているのかすらもわからないのに、28年の後の社会情勢なんて分かりっこない。ハーバード大学の研究者によると、銀河系中心のブラックホールがあらゆるものを飲み込み始めており、ヒッグス粒子が形成する物質エネルギーが変化し、突如としてすべての生命が消滅する可能性もあると、今朝のスマホの海外ニュースが報道していた。この宇宙が瞬時に消えてしまうかもしれない、なんて心配しようもない問題である。(それはそれで面白いかもしれない、突然自分も全ても消える!!)



それはそれとして、私は50歳になって、もうお金も社会的地位も自分を幸せにしないことが分かってしまった。もちろん生活に必要なお金は重要だけど、お金があるからといって幸せが確保されているわけでもないし、なかったら不幸でもなく、年金暮らしになったらそれはそれなりに幸せに生きていける自信がある、人が何と言おうと。



野草をとって山菜を摘んで、小さな菜園を作って、あとはご飯と味噌とプラスアルファで十分だ。海外旅行なんて行かなくても、たとえば伊東の浜辺や裏山に行くだけでも楽しい。古い着物を解いて洗って素敵な服を作ることもできる。毎日小さな台所をピカピカにして、畳を拭いて柱を磨いて・・・そんな昔気質の家の暮らしをしてみたい、大きなオール電化のマンションなんてほしくない。



コンサートなんか行かなくても、自分でギターが弾ける。読みたい本もたくさんあるし、一日中だって好きなこと書き綴っていられる。



病気になったらそれはそれ。十分楽しく生きたから、寿命だと思う。治療も入院もその時の経済状況で考えればいい。楽しく質素に生きていれば、そうそう病気に何かならないだろうし、年をとったら枯れるのは当然だし。



社会に評価される必要は全くない。されても嬉しいとこれまで思ったこともないし、されている人を羨ましいと思ったこともなく、それなりに大変そう思うだけで、無責任でいられることはじつに幸せだと、生まれつき野心がないことも、いってみれば得であり徳なのかもしれないと、うぬぼれている。そもそも一過性の社会的評価なんて、何の価値があるのだろう、所詮不完全な人間の気まぐれであり、そんなことに一喜一憂するほど私の人生は薄っぺらくない。社会的評価を求める人は、人間界という生物のわずか数パーセントの世界を絶対視しているわけだから、それはそれでかわいそうな気がする。



というわけで、お金、寿命、社会的評価に自分の尺度があれば、この人間としての人生は楽しいことばかりなのだ。万物は生命エネルギーの多様な、瞬間的な表出であり、まぎれもなく私自身もそうなのであり、そう思えば、すべてのことはあるがままに起きているのだから、批判も不満も不安も不平も持つ必要がない。起きていることは、天文学的な要素が絡み合って生じているのだから、それ以外のことが起きるわけもなく、自分を含め人間の意思や能力でどうすることもできず、したがって、起きていることはすべてベストなのである。



これまでの自分の過去も、この先起きるすべてのことも、自分一人の力で出来たことでも出来ることでもないがゆえに、たんたんと受け容れ、面白がっていればいい。将来も、死も、他人も何も怖くない、すべては同じ宇宙エネルギーの現象なのだから。(そして、それすら一瞬で消えてしまうかもしれないという、計り知れない膨大な法則の元にあるのだから!)





伊豆高原のとあるドラッグストアの駐車場にある大きな大きな桜の木







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