『おばさん四十八歳小説家になりました』②~歴史作家の自叙伝



この本を読むきっかけを書きすぎたので(『おばさん四十八歳小説家になりました』~を私が読むきっかけになった満州国のこと①)、仕切り直し。

著者は植松三十里(みどり)さん。幕末を中心とした歴史小説家で、日本海軍の基礎を築いた矢田堀景蔵を描いた『群青』で第28回新田次郎文学賞、『開国兵談』の著者の林子平の人生をつづった『彫残二人』で第15回中山義秀文学賞を受賞。その他にもたくさんの本を書かれている。

とは言いながらも――私は彼女の本を読んだことがなかった。新田次郎は知っているが、中山義秀という作家も知らない。というか、大昔、司馬遼太郎にハマって彼の本はほぼすべて読んでいた時代もあるが、今は歴史小説というのがちょっと苦手で・・・史料を読んで自分で考えるのは好きだが、小説になるとフィクションも入るのが微妙で・・・藤沢周平もなんだか甘ったるくて・・・というひねくれものの私は、時代劇も市川雷蔵シリーズ(そこまで古くなくても、高倉健の昭和残侠シリーズぐらいまでの)は好きだが、現在作られるドラマはいろいろなものがハリボテな感じがして・・・

だけど植松さんの小説は、目の付け所というか、主人公がとても立派なのにマイナーなところがすごく面白そう。彼らを顕彰しようという心意気とエネルギーに感心させられる。早速アマゾンで注文したり、近くの図書館で借りてきてみたが、とりあえず、小説の前に、彼女の自叙伝らしきものを読んでみることにした次第である。

すると、歴史上の人物の立派な、あるいは時に人間くさいストーリーを読むより、現代の人の半生記のほうが面白いんじゃないだろうか、と思うくらい、彼女の自伝は面白かった。この本のタイトルにある通り、作家としてデビューするまでの苦労話を中心として書かれているのだが、それは植松さんと同じ世代の母親を持つ若い編集者に、子育てを終えた女性たちにも、やろうと思えばまだいろいろなことができる、プロの作家にだってなれるという話を書いてほしいと言われたのがきっかけだそうだ。なので、作家志望の人には参考になるだろう、と植松さんは書いている。

しかし、それは真逆だと私は思った。私は子どもの頃から文章を書くのが好きで、できればそういう仕事がしたいと思ってきたが、まあ、翻訳の仕事は長くやってきたものの、文章を書いてお金を稼ぐというのは、絶対に無理だと、この本を読んで理解した。作家になるまでも大変だし、作家として売れ続けるのもたいへんそうだ。複数の小説教室に通い、何十本もの賞に応募して、鬼のような編集者にしごかれて・・・怠け者で面倒くさがりの私にはとてもできそうにない。そもそもそんな才能もないし! なので、この本の作者と編集者の意図は失敗なんじゃないだろうか・・・少なくとも私にとっては。

だけど、彼女の生い立ちから現代にいたるまでのストーリーはとても興味深かった。人ひとりが小説家を志すまでの道程、そして実際の作家の生活はこういうものなのかと、もちろんプロの文章だから説得力があるし、背景がよくわかる。

そういえば、司馬遼太郎にしても、自分の兵役経験に照らして、なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう、 いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう、昔の日本人はもっとましだったにちがいないという心境から小説を書き始め、でも最後は結局そのことは小説にできなかった、そんなエピソードに心を惹かれる私である。

川口という、妾を持つことがステイタスといった男くさい工場町に育った少女は人生の裏表を知らず知らずのうちに見て暮らし、小学4年で引越しした駿府城下の静岡市で歴史に開眼する――まったく人は環境によって育てられるのだ。

植松さんは自分が本物の作家になれたのは、次女が不登校になったからだと書いている。そのことをきっかけに順風満帆だった人生が暗転し、苦しみや悲しみを味わったことが、歴史上の人物の様々な葛藤を理解する糧になった、また娘のために家にいる時間があったから、小説が書けたのだと。

人生には本人が望むと望むまいとたくさんの選択肢や岐路があり、どちらに行っても得るものがあり、その分だけ失うものもある。植松さんが娘さんを通して自分の思うようにならないことの苦しみを経験されたことも貴重であるし、逆に自分の思うようにならないこともまた楽しみでもあるという境地に達したとき、さらに作家として、歴史の中の人々の人生を、強く共感しつつも達観できるようになったのだろう。

私には子供はいないが、妹に二人の息子がいてどちらも不登校になった。私の母はすごく心配していたが、ちょっと変わっている妹はあまりに気にかけているように見えなかった。彼女はたまたま見つけたフリースクールに息子たちを通わせていたが、そこではほとんど勉強させていないようだったので、母や私は外野から「勉強すべき時代にさせないと後で大変よ~」などと、肉親だからこそ言えるといわんばかりに苦言を呈していた。

が、植松さんの赤裸々な話のなかの、最終的には子供を信じて見守ろうという境地になったというくだりで、私ははっとさせられたのである。確かに妹も同じようなことを言っていたから。そして「子供を信じることが実は一番難しい」とも話していた。

家族だからと言って、心境をつづられたものを読むわけでもないし、ましてや離れて暮らしている妹のことを私はまったくわかってはいなかったのだ。植松さんの本を読んで、おそらく不登校の子供を持つ親ならだれでも抱えるであろう葛藤や苦しみを、私は初めて想像することができた。そして、学歴はないがちゃんと頑張っている甥たちを見て、わが妹の偉さを思う次第である。

「どんな立派な小説も、ひとりの人の生涯にはかなわない」というようなことを作家で俳人の齋藤愼爾さんがある時おっしゃったが、このことを言っていたのかもしれない。

歴史上の顕彰すべき人間から学ぶことはたしかにある。しかし、日本人が朝から理想的なヒロイン――清く正しく美しいーーのドラマを一年中見ているわりには、愚痴をやめたり勇気が湧いたりするわけではないので、普通の、いろいろな葛藤を抱えている、身近な人たちの話っていうのが、むしろ他人への理解や自分への反省材料として役に立つのではないだろうか。植松さんは、自分は親として失格だから子育て関連の講演は受けないと書いているが、逆にその葛藤が、多くの人の共感を呼び、勇気づけるのではないかと思う。

歴史小説家による、小説家になるための人に向けた自伝を読んだにしては、はなはだ矛盾した感想だが、植松さんの正直で気取らないご自分の物語は、たしかに私の中の何かを動かしている。怠け者で、何も長続きせず何ものにもなれず、四十八歳も過ぎてしまったけれど、自分なりに一生懸命生きてきた道程は、それでもう一遍の小説なんだろう。

それでは、これから彼女の小説を読んでみることにする。





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