『調印の階段』②~ジェームス・ボンドより面白い重光葵の冒険



前回のブログに続く

重光葵・・・う~ん、聞いたことある、ポツダム宣言に調印した外務大臣?・・・それくらいしか知らなった私である。第一、葵を「あおい」と読んでいたが、実は「まもる」である。ほかの植物を守って堂々と咲く「向日葵=ひまわり」から取られた名前だそうだ。

外交官としてドイツ、イギリスに駐在、第一次世界大戦後のパリ講和条約日本代表、中国、ソ連、イギリス大使、そしてゴールは外務大臣――すごい経歴!ザ・外交官だ。

植松さんの小説では、重光の必死な努力にもかかわらず開戦を避けることも、終わらせることもできなかった苦闘の記録がリアリティをもって迫ってくる。そして彼は、疎開先の日光で、もう一度重要な任務の要請を受ける――重要だが、不名誉な。無条件降伏文書の調印だ。

横浜沖に浮かぶ巨大戦艦のアメリカ海軍ミズーリ号。読者はここで息をのむようにして、階段を登る主人公の緊張と屈辱を見守ることになる。シルクハットをかぶった重光が、眼下は海という、梯子段のようなタラップを義足で登りつめたところへ、普段着のマッカーサー元帥が登場するのだ、見下すように。しかし続く交渉の場で、天皇の戦争責任を追求するという元帥を押しとどめることができたのは、重光の力量に他ならない。

――世界でもっとも古い王家を、あなたは今、ここで潰そうというのかーー
 アメリカ人は自国の歴史が短いだけに、長い歴史には弱い。その点を突いたのだ。そして、すぐさまマッカーサーを持ち上げた。
――あなたは合衆国政府のみならず、連合軍の意志を変えさせるだけの力を、持っているはずだ。GHQが楽に役目を果たせて、日本人も喜んで従う方法を選んで頂きたいーー

マッカーサーの態度が変わる、「こんな切れ者の外務大臣がいるとは」。重光が国体を守り、GHQの軍政を回避したというわけか。まるで火花が散るような緊迫シーン、外交って戦いなのね。彼の右腕であり後に日本初の国連大使になる加瀬俊一が言う。

「戦争には負けたけれど、外交で勝った。日本の外交が勝ったんです。」

しかし、終戦後に移った鎌倉の平和な日々は続かなかった。マッカーサーの信頼を得た重光だが、駐ソ時代の因縁から巣鴨プリズンにA級戦犯として収監されることになる。先に判決ありきの戦勝国による戦勝国のための国際ショーであり、正当な根拠があって裁かれるわけではない。獄中で松岡洋祐が「国際連合に加盟してくれ」と重光に託して病死。東条英機は「戦争のかたりべになってくれ、あの戦争を止めることなんか、誰にもできなかったことを、書き残して後世に残してくれ」と遺言し処刑された。重光は禁錮7年(後に減刑)、そこで歴史に残る手記を書き上げた。

そして最後の階段は、1965年12月、ニューヨークの国際連合会場の演壇だ。(とはいえこの調印にこぎつけるまでにも、アジア諸国からの支持を集めたり、フルシチョフと会って日ソの国交回復を図るなど、重光の苦闘は続いた。)当日、演壇で英語でスピーチする重光。外交官人生最後の栄光の瞬間である。

――今日の日本の政治、経済、文化は、過去一世紀にわたる東洋と西洋、両文明の融合の産物です。そういった意味で、日本は東西の架け橋になり得る。このような立場にある日本は、その大きな責任を、十分に自覚していますーー

苦学して外交官になり、テロによって脚を失い、係争中の国々の公使大使として政府や軍に捨て石にされ、反戦の努力を続けて来たのにGHQに投獄され、それでも日本の国際社会復帰をあきらめなかった男。

歴史の教科書には一行ぐらいしか出てこないような人物だが、こんな外交官がいたなんて。戦前から戦後まで、これほど長期にわって国際舞台に立ち、昭和天皇、チャーチル、マッカーサー、フルシチョフといった大物に持論を説き――まさに波乱万丈である。戦争は哀しい事実だが、こんな有能で度胸ある外交官がいなかったら、もっと大変なことになっていたのかもしれない。現在の在日米軍や北方領土問題も、当時の日本が九死に一生を得るための、ぎりぎりの外交交渉の副産物、というか取引条件だったのかもしれないが、今の時代に、これらの条約を改正したり、彼の国連スピーチの意志を継いで、アジアのリーダーたる国を目指すような外交官や政治家は出てこないものだろうか・・・

それにしても、こんなたいへんな重光の人生を、彼の暮らした地名と、彼の登った階段をモチーフにして、一冊の本に書ききった作者の手腕もまたすごい。ザ・外交官重光の、世界を舞台にした歴史的人物との駆け引きは、つねに時間との戦いであり、時に碧眼の美女たちも登場するし(!)、この上質なスリルとサスペンスは、007より面白いんじゃないかな~。いやあ、植松さん、すごいなあ。


文庫本も出ています。アマゾンで発売中



0 件のコメント:

コメントを投稿