『明けゆく次元』1~桶本欣吾さんの啓示



(2016/8/8記)

この世でたった一冊の本を選ぶとしたら、私は『明けゆく次元』を選ぶ。その作者と親しくお話をさせていただく僥倖を得た私は、何と感謝していいのやらわからない。

久しぶりに、一年ぶりに桶本さんにお目にかかる。一年ぶりでもブランクを感じさせないのは、きっと私たちの何かがつながっているからだと思いたい。とてもお優しい笑顔である。

傍で聞いている人には、何を言っているのかわからない話であろう。

4次元を超えている話だから。譬えで言っているのではない、本当に異次元の話をしているのだ。

100年後になったら彼の本が読まれることだろうと思う。今は最先端の物理学者でも読むことができないという。木を見て森を見ない人たち。木を見て枝を見て葉を見て葉脈を見てクロロフィルを見てミトコンドリアを見て分子や原子を見る。素粒子も見る。でもそれより小さい世界は信じない。

あるいは森を見て空を見て宇宙を見るかもしれない。しかしその前のことは信じようとしない。

なぜ桶本さんが宇宙のはじまる前や原子顕微鏡でも見えない世界を論じられるのか、それは幼いころに啓示を受けたからだ。人は知識や経験を得る前に、すでに何か己の中の神性に従って、見えないものを見ることができる。想像力が現実の世界を超えることを知っている。

ところが今の人たちは、幼いころから自分の世界で想像の翅を広げて別の次元に行く前に、過保護な親やテレビやゲームといったものに、産毛を抜かれてしまう。羽が生える前に現実の世界に染まってしまう。だから目に見えるものしか信じない。

桶本さんのすごいところは、その啓示があまりに強烈で説得力があり、その光は有無を言わせずすべてを悟らせたというものだけど、さらにそれを現役引退後にご本にまとめたということである。

その本に対する反応が少ないことを残念に思われているけれど、確かにあの本を私の周りの人で読める人はいないかもしれない。何かいつも真理を追究してやまないような人、それでいて、物理学や量子論のような先端の話に興味がある人でなければ。だからといって学者や博士のような狭い分野を追求し競い合っている人にはより難しい。

私は幸い、その本の内容の分かる実体験をしたことがある。インドで、たった一度であるけれど。

それにしても、桶本さんとの話は、あまりに現実の社会との相違がありすぎて、実生活の中でリアルに感じることができない。二人で話していた居酒屋を一歩出れば、金曜日の神楽坂は、飲んで浮かれている人でいっぱいだった。それが現実の世の中である。

生まれてきたことの奇跡も、この命を作った創造主も、その意図も、誰も気に留めない。都知事選やオリンピックや年金問題その他よりもずっとずっと根本的ですごいことを、一生意識することもなく生きて死ぬ、それでいいのだろうか。

せめて私だけでも、もっと彼の言わんとしていることを理解し、自分の中の神性と出会えるように生きていきたいと思うのだけど。



『明けゆく次元』
素粒子論のその先に 
新たな次元が開顕する 
直知の哲学による自己と宇宙の再提示

深夜叢書社出版
http://shinyasosho.com/home/book140117-01/



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