『明けゆく次元』2~本質価値



(2016/8/8記)

前ブログに続く

桶本さんの本によると、4次元の世界の中に格子状に別次元が組み込まれていて、それは物理学的には見えない、素粒子以下の世界であり、そこであらゆるものが4次元の可視化物質に変換される。物理学の先端理論を考慮しても矛盾がないという。彼は、その変換の場所を「生成場」と名付けた。そしてその生成場の手前、つまりそこへ光(とっても4次元レベルのものではない)を注ぎ込む万物の大元を「本質世界」とする。

その光を感知できるのは、私たちの意識や自我のレベルではない。「霊体我」という、言ってみれば般若心経にある「色即是空」の次元になってはじめて、圧倒的な光を浴びて、「本質価値」を知ることができるという。

本質価値とは、次のようなものである。

不壊の愛
無限の慈悲
根源なるいのち
永遠の美
完全なる調和
完全なる平安
完全なる秩序
普遍の善
聖なる至福
聖なる喜び

これらはすべて部分的でも相対的でも時間限定的でもない、本質的な価値だ。

なぜそういう価値があるといい切れるのかという理由は簡単明瞭だ。時代を超えて人種を超えて、私たちを希望に駆り立てるのはそうした価値に他ならないからだ。愛も美も善も喜びも理屈ではない。私たちは必ずそれらにあこがれ続け、普遍的なものであると信じている。まるで赤ん坊が母の絶対的な愛を信じるように。どこかに絶対的な基準が存在し、共有できるはずだと信じているのだ。

しかし、4次元という制約のもとでは、どうしたって価値が減じられてしまう。4次元でしか生きられない私たちの生理的機能もまた制約だらけである。絶対的な価値を受容する能力がない。それでもなお不壊の愛のようなもの、永遠の美のようなもの、あるいは、愛とか美とか、調和とか平安とか、そういう言葉を使いたがるし信じたがるし追い求めたがる。あこがれ続けるのである。

だけど本来は愛とういものは不壊であり、慈悲は無限であり、いのちは根源的で、美は永遠、調和とは完全であり、平安も完全な形をとり、秩序もまた完全であるはずで、善とは普遍的なものだし、至福はあまねく聖であり、また喜びもしかり。

もし私たちが、自我を完全に取り去り、澄み切ったこころのみの霊体我になれば、至高の光の中で、これら本質価値を与えられ続けている「事実」を知ることができるのだろう。

本質価値を注がれて私たちは生まれてきた。それに気がつかず、日常茶飯事に悩まされ、こころを曇らせすり減らし、生活に追われて死んでしまう。かろじて不完全な愛と慈悲と調和と・・・の片鱗を抱きつつ・・・せっかく生まれてきたのに、なんて残念で哀しいことだろう。

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