今、旧帝国ホテルの設計で知られるフランク・ロイド・ライト関連の著作の翻訳と小論なるものに挑戦しているので、彼に関するたくさんの本を読んでいる。
アメリカで、というより世界で一番有名といってもいい建築家だ。私は池袋の明日館に勤めていたことがあるので、彼の建築や彼の愛弟子遠藤新たによるライトテイストの建築をじっくり体験するという僥倖に浴している。
ライトの建築哲学を、一言で言えば、「有機的建築」つまり、樹が地面から生えるように自然に造られたような建物、である。その土地、その時代、その住人に最もふさわしい建材とデザインで、その住人の人生を最高に美しく意義深くする、それが建築家の使命だと彼は言った。
Any building is a by-product of eternal living force, a spiritual force taking form in time and place appropriate to man.
(建物というものは凡て、永遠の生命の力から派生する。人に相応しい時と場所を形に表したスピリチャルな力といっていい。)
とても奥が深い哲学なので、万の言葉を尽くしても説明しきれないけど、とどのつまりはそういうことなのである。彼自身たくさんの本を書いているが、とても難解で詩的すぎて読みにくいと言われている。
今年は生誕150周年で、ニューヨーク近代美術館をはじめ、日本でもどこでもたくさんのイベントが開催されるようである。そして、関連本もたくさん出版されている。
たいへんに影響力が高く、話題の多い、建築数も多い、長生きの人だから、建築の専門家から小説家まで、彼について書いた本は何百とある。私はそれを全部読んでいるわけではないが、一般的にライトについての認識は、天才だがかなり傲慢で嫌味な人間、というものである。
Early in life I had choose between honest arrogance and hypocritical humility. I chose the former and have seen no reason to change.
(人生の早い段階で、私は、正直な傲慢と、偽善的な謙遜の、いずれかを選ばなければならなかった。私は前者を選んだが、それを変える理由はこれまでのところない。)
―――といった有名な引用をはじめとする彼の傲岸不遜なイメージが、様々な個人的なエピソードと絡めて、押し付けられていった。曰く、日本の影響を受けているのに認めようとしなかった、帝国ホテルが関東大震災でまったく損傷を受けなかったのは嘘だ、妻と6人もの子供を捨てて、クライアントの妻とヨーロッパに駈落ちした、そのあとも2回も結婚した、日本の浮世絵版画を買いあさって金を儲けた、クライアントに金を無心し続けた、などなど。
ライトを天才だとほめちぎる一方で、同じくらい、あるいはそれ以上にライトの個人的な性癖を指摘する、そうした書き方がほとんどである。
メリレ・セクレットによる伝記は、数あるライトの伝記の中でももっとも評価の高いもののひとつである。600ページもあって米粒の三分の一ほどの小さな字で、知らない単語も多く、辞書と目薬がなければとても読めず、はじめのうちは本当に苦労したけれど、そのために昨年から図書館に通ったくらいだが、たしかに何千もの資料を基にしただけあって充実の一冊だった。すぐれた伝記作家である彼女には独特の文体と話の展開のスタイルがあり、まったく飽きることなく読むことができた。生立ちから死までの92年の長い生涯にまつわるあらゆる出来事や彼にかかわる膨大な人々、それらが実に生き生きかつ詩的に表現されていて、本当に面白かった。伝記文学という分野があるが、こういう作家はあまり知らない。ロマンチックな文体でありながら現実的で鋭く、対象と距離感を縮めることのない客観描写に徹している。
一方で、客観描写であるがゆえに、ライトの人間的欠陥ともいえるような面を徹底に暴き出している。この本を読んで、ライトを好きになる人はあまりいないのではないか。しかし彼女だけでなく、多くの本がだいたいこんな感じだし、日本を代表するライト研究家の谷川正己先生も、何度もお会いしているけど、ライトをほめるよりけなすことの方がお好きなようである。研究者というのはそういうものなのかもしれないが。
He is loved to be hated.
ではライトの著作を直接読んだらどうかというと、これもまた悪文として知られている。曰く、独断的な表現が分かりにくい、傲慢な調子が鼻につく、虚偽の内容が多いなどなど。
しかし、わたしは、浅学ゆえであろうか、初めてライトの建物に直に接した20数年前から、こうしたライトへの批判が、ライトが本来伝えようとしていた一番大切な点をぼかしてしまってるような気がしてならない。ライトの一見傲岸不遜な態度には、それなりの理由があると思う。大衆をmob「愚衆」と呼んだ彼を傲慢というけれど、彼からしてみれば、そうとしかいえない理由があったと思う。ライトは人口の都市集中が諸悪の根源であるとみなしていたが、晩年のテレビインタビューのなかで、大都市を批判するライトに対し、インタビュアーはまったく彼の本意を理解しておらず、大仰で時代錯誤なことを言っているとでもいう風に小ばかにしている態度が感じられた。
https://www.youtube.com/watch?v=DeKzIZAKG3E
しかし、私は今朝思った。最寄りの駅までの桜並木の道を、歩行者にぶつかりそうになりながら、子供を乗せた自転車を飛ばす若いお母さん。危ないな~。急いで支度をし、子供を保育園に預け、そのまま出勤するのだろう。そして仕事が終わり次第、子供を迎に行き(旦那さんと交代でかも知れないが)、家事をこなし、忙しい夜と、再び慌ただしい朝を迎える、そんな毎日。子供や旦那とゆったり過ごすゆとりがない中で、彼らもまた心にゆとりを持てるのだろうか。お母さんや奥さんが家で癒してくれるからこそ、子供も旦那も外で頑張れるのではなかったか。(もちろん女性の社会進出は必要であるが、その本意とするところとはまた別の議論。)
こんなゆとりのなさは何のせいなのかと考えると、大都市の一極集中なのである。この辺で家族が住める程度の家を持つなら、一戸建てでもマンションでも、30代の夫婦なら共働きしなければ無理である。しかし景観美ゼロのこんな場所の、庭もない小さな簡素な家に30年以上のローンを払う、その価値があるのだろうか。
もし、東京でない、自然が豊かなところにそれなりの人口があり、街があり、学校があり、職場があったら・・・土地が広くて安く庭付きの、それなりの大きさの家が建てられたら。しかし、今の日本には、そういうところがない。何もかもが大都市に集中して、都市と呼べるような文化をもつ街がない。かつて藩の中心だった都市には文化の名残が観光資源として存在しているが、それらも東京に劣る中途半端な場所にすぎず(だからと言って東京や横浜や大阪がきれいでも魅力的でもないのだが・・・)、郊外は日本全国チェーン店が席巻し、どこへ行っても同じ町にいるようである。自動車中心社会の町並み。
ライトの言っていた「機械の魅力」というものは、それとは違った。機械によって安く効率的にいい家を建てる技術が進み、また自動車によってより遠く広い範囲に暮らせるようになる、ということである。
東京で言えば、たとえば目白とか落合などの元お屋敷街は今も高級住宅街である。もちろん、敷地は10分の1ほどの狭さになってはいるが、坪単価はとんでもなく高く、どの家も億単位の住居であろう。元お屋敷街の時代は車がなかった。あっても運転手が迎えに行くようなところである。ところが、今はどの家も立派な車を持っている。どれも外車、少なくとも3ナンバーである。なので、家の正面は、昔のように立派な門と垣根があるわけではなく、道路すれすれまで壁になっていて、大きな駐車スペース(たいてい二台分の)となっている。玄関は横にちょこっとある。道路は旧態依然で狭いので、運転も駐車も大変だ。芸術的なバック駐車の技を求められる。先日トラックが目白の住宅街の角を曲がれず、標識をこすり続けていた。車が通るたびにわきを通る通行人も危険である。これが、日本でもっとも稼ぎのいい人たちの住んでいる住宅街の一例だ。
ライトはブロード・エーカー・シティという構想を持っていた。一人当たり1エーカーの土地に住むべしというのである。そこでは菜園も可能で或る程度の自給ができる(当時の1億何千万人かのアメリカ人に1エーカーずつ分配しても、テキサス州の大きさにも満たないはずだ、と主張していた)。そして豊かな住環境が人を育て、都市を育て、文化を育てる。
都市の核には文化が必要だ。住宅と商業と教育と芸術のバランス。しかしゆきすぎた資本主義(=拝金主義)を前にそのバランスは崩れ去った。
うちの近所の小さな庭のない建売住宅は、若い夫婦が30年以上もかけてローンを払うほどの経済的価値はあるが、本物の価値があるのかどうか、ライトはそれを恐れていたのだ。ライトの先見性は、当時の凡人には計り知れなかったのである(現在の凡人にも)。
ライトの一見傲慢な態度は、建築家としての自分をアピールしたかったのではなくて、差し迫る将来の不幸を未然に防ぐべく健闘し続けた、彼の建築家としての使命感から生じていたものだと思う。その時々の権威から与えられる名誉など全く意に介せず、大自然の法則の一環としての人の営み、その叡智の源泉となる住居という存在の大きさをいかに伝え、建設し、後人を育てるかが重要だったのだと思う。
当時のアメリカはまだ新しい国だった。両親はイギリスから移民してきた。自由を標榜する新しい国づくりに、彼は貢献したかったのである。
A free America... means just this: individual freedom for all, rich or poor, or else this system of government we call democracy is only an expedient to enslave man to the machine and make him like it.
(真に自由なアメリカ、それは富める者も貧しき者も、みなそれぞれが自由であるということに尽きる。さもなければ、我々が民主主義と呼ぶこの政治システムによって、人は機械の奴隷となり、その虜となるだろう。)
昨日メトロの車内CMで、男が小さなロボットに向かって、「いつか君が家族のだれより僕のことを分かってくれる日が来るのかもしれない」、と愛おしそうに語っているのを見て、ぞ~っとした。もちろん私たちはすでに機械=コンピューターやスマホの虜だが、ついにここまで来たか・・・予言者ライトよ!
ライトについてはもっともっと書きたいこと、書かねばならないことがたくさんある。小論を楽しみに!
数あるほんの一部だけど・・・ |
Frank Lloyd Wright's Prophecy
I am reading a lot of things about Frank Lloyd Wright, as I am translating a book about him and writing a thesis on this great architect.
He is the best-known architect in the US, probably in the world. Since I used to work at Myonichkan, a school designed by him and his pupil Arata Endo, I had a blessing to fully experience the wonderful architecture.
If one sums up just one word to describe Wright’s architectural philosophy, it is “organic architecture”: a building created naturally as if it comes out from the soil with materials and design most suitable to its land, era and inhabitants in an attempt to make the dwellers’ life most beautiful and meaningful; “that’s the mission of the architect”, he said.
Any building is a by-product of eternal living force, a spiritual force taking form in time and place appropriate to man.
I have just interpreted his philosophy in an ultimate way, but it is so profound that ten thousand words are not enough to fully explain anyway. He himself wrote a number of books, but they are said to be too poetic and difficult to read.
2017 marks his 150th birth anniversary and thus related events are underway in many places including a retrospective exhibition in MoMA, and Japan is no exception. Of course, publication of related books is very active too.
Wright is a very influential architect, offering a variety of stories and buildings in his long life, so that there are hundreds of books and thesis on him by architectural critics, scholars and novelists. I have not read all of them, but in general, he is perceived as a man of genius but also of arrogance and sarcasm.
Early in life I had choose between honest arrogance and hypocritical humility. I chose the former and have seen no reason to change.
This famous quote and such have established his lofty image, together with various private life stories that are not necessarily favorable: he did not admit Japanese influence on his work; his Imperial Hotel was actually damaged by the quake but he did not tell that; he fled with a wife of his client to Europe leaving his wife and six children behind; he got married two more times after that; he purchased a tremendous number of Japanese woodprints and made money out of selling those pieces; he kept asking his clients for money….
Most writers of his books denounce his personal character as much as, or more than, they admire him as a genius.
The biography by Meryle Secrest is one of the best in this category. The 600 hundred-page book is consisted of small characters, one of which as tiny as a third of a rice grain, and contains many English words unfamiliar to me. Without a dictionary and eye drops, I could not read it and really had a hard time when I started reading it; in fact I needed to go to the library from the end of the last year to focus on reading. Yet, it is worth reading, as it is based on thousands of materials and resources. As an excellent writer, Secrest has her own style of writing and developing a story, which never made me tired of reading.
What fascinated me most was her capability of describing numerous events and people coming by through his long life of 92 years in a vivid and poetic way. The writer takes a very objective stance, keeping a certain distance from the objects she was writing on.
But because of this stance, she never lets off Wright’s personal shortcomings. I think no readers of the book ever come to love the architect. Not only Secrest’s, but also other books have the same kind of critical stance toward Wright. Professor Masami Tanigawa, the most well-known Wright scholar in Japan, whom I have met many times, too seems to like condemning the architect rather than admiring. I guess scholars are that kind of people anyway.
Wright is loved to be hated.
So, what if reading Wright’s own books? Well, his writings are not favorably perceived by the readers who say that they had many dogmatic phrases that are hard to understand and even disgusting, that there is a lot of false information added for the purpose of making him grander than he actually was.
However, probably because of lack of my knowledge still, since I first saw his building 20 some years ago, I have kept thinking that all these criticisms against Wright have hindered one to understand his most important message. I see a reason for his seemingly arrogant attitude. The fact that Wright called a mass a “mob”, which surely made him look very snobbish, has a decent reason for him. He thought urban concentration was the root of all evil. In a TV interview show that Wright appeared in his final years, he criticized big cities such as NYC, but the interviewer did not get what he meant and even teased him as an exaggerated, old-fashioned man.
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=DeKzIZAKG3E
This morning on my way to the station I saw a young mother on a bike carrying her child in the front cage, hurrying while avoiding carefully not to crash passers-by. She looked so dangerous. She must have rushed to get herself ready to go out, bringing the child to the nursery school and going to office. And after her work is done, she must again hurry to get her child back---her husband might do it in turn---, go home, do the household chores, spending a busy night and getting ready for a busier morning again. This goes on and on every day. Without a relaxing time together with her kids and husband, how could they relax too?
I guess they can go work and study lively when there is someone as a wife or mother waiting for them at home. (I do agree the importance of women’s career building, of course, but what I mean here is a different issue.)
What makes our lives so hectic is too much concentration of urban population. Having a house for a family in my vicinity requires both husband and wife in their 30’s to have jobs to earn enough money. A small and simple house without any vista or garden still demands the couple to pay back a 30-year loan. But is it worth?
What if somewhere rich in nature, obviously not in Tokyo, there is a certain population forming a good city with schools and workplaces? What if the land is spacious enough to build a house and garden with an inexpensive price?
Unfortunately, however, there is no such a city in Japan. Everything is concentrated in biggest cities, and other places are much less developed to be called cultural cities. Some old cities have remains of their historic assets to attract tourists, but they can never excel in Tokyo anyway---although Tokyo, Yokohama, and Osaka are not so beautiful and attractive either. Japanese suburbs look totally the same anywhere with chain stores along the main streets, making no difference wherever one goes. They are the towns created by the automobile oriented society.
That is different from what Wright meant by the attractiveness of the machine. He welcomed the machine age as it provides advanced technologies to build good houses efficiently and inexpensively and the car to live in wider areas.
For instance, areas such as Mejiro and Ochiai in Tokyo were upscale residential areas and still are. Even though each housing space has reduced to one tenth of what used to be, the land price is astonishingly as high as some hundred million yen. In the past the residents did not own cars and had their chuffers pick them up if needed.
Now, however, every house has cars, mostly imported or at least large-sized ones. So, the dwellers have to build garages---in most cases for two cars per house---in the façades of their houses along the streets and their entrances are set aside. They cannot have grand gates and hedges that they used to have. The streets are as narrow as the past, so driving and parking are a hard task. One is required for an acrobatic skill to park a car backward. The other day, I saw in Mejiro a truck keeping scratching a traffic sign as it could not make a turn in the corner. Passers-by get scary each time a car passes their sides. This is one of the towns of people earning the best incomes in Japan.
Wright had a project called “Broadacre City” calling for one acre per person to live. There one can grow vegetables. There were about 100 million Americans at that time and if one acre was allocated for each person, the total land required was still smaller than the land of Texas, according to Wright. He believed a good living environment helps grow inhabitants, a city and culture.
The core of a city needs culture which needs a balance of housing, business, education and art. But excessive capitalism and resulting worship of money have destroyed the balance.
A small gardenless ready-built house in my neighborhood is worth for a young couple to pay back a more than 30 year loan in an economic sense, but I doubt if it in a real sense. Wright would know that. His foreseeability was beyond ordinary people at that time (or even today).
In my opinion, his self-importance is not to appeal himself as an architect, but for the mission as one to fight against imminent crisis. He never cared about the fame provided to him by authorities from time to time, but he rather tried to find the way to enlighten the importance of homes as a base of human activities and wisdom in accordance with natural law, to build such houses and to educate young followers.
The USA was still a young country; his parents came from England. Wright wanted to contribute to building a new and free nation.
A free America... means just this: individual freedom for all, rich or poor, or else this system of government we call democracy is only an expedient to enslave man to the machine and make him like it.
Yesterday, I saw a CM on the train and could not help feeling horrified: a man is talking to a tiny robot gently, “someday you might be able to understand me more than anybody else” We are already enslaved by the machine such as computers and smart phones, but at last the robot…Oh, Wright the prophet!
I still want to or have to write a lot more about the architect. Hope I will write a good report!
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