『戦場にかける橋~The Bridge on The River Kwai』




例によってイタガキさんが、「この映画を観ないで死んではいけない」と言って送ってくださった一作。1957年公開の英米合作映画。なんだか重そうなタイトルですぐには観ないでいたが、実際に観てみて、なぜだろう、戦争特有の暗い話ではなくて、ラストシーンだって主な登場人物が全員死んでしまったのにもかかわらず、不思議な爽快感をもたらす映画だった。


冒頭からインパクトのある、疲れ切ったイギリス軍兵士の捕虜たちが新しい収容所へ向かう映像に加え、有名な『クワイ河マーチ』、演奏はロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団でいきなり盛り上がる。先の戦争では敗戦国としてのイメージばかりある日本だが、一時は戦果を挙げていて、東南アジアをはじめ本土日本にもたくさんの捕虜の収容所があったのだ。舞台となる収容所も「第十六捕虜収容所」であるから、それ以外にいくつもあったのだろう。まだ負けるなんて思っていなかった頃の昭和43年の話である。日本側としては描くことのないテーマともいえる。


そもそも、日本人は捕虜になることは国辱であり、自決しなければならないとされていたので、POW(Prisoner of War)の概念が、西洋諸国とはズレていた。そういう意味では、早川雪州演じる斎藤大佐の、「お前たちはもはや兵士ではない。国を裏切った卑怯者だ」という発想からくる言動も、当時の日本人には理解できるが、国際条約に基づく捕虜の扱いを順守してきた外国人には理解できなかったであろう。実際、戦後は収容所の役人の多くが戦犯となり、死刑に処されている。


齊藤大佐に対するイギリスのニコルソン大佐(アレック・ギネス)がまた堅物である。齊藤大佐の要求に決して屈せず、小さな牢に閉じ込められても譲らない。ましてや、たまたま紛れ込んできたアメリカ海軍兵士のシアーズ(ウィリアム・ホールデン)の脱走計画など、実現不可能として取り合わない。


齊藤大佐とニコルソン大佐の命を懸けた意地の張り合いがテーマではあるのだけど、どちらも個人の意志というより、立場上の対決、という点において、個人主義的なアメリカ人シアーズや、軍医という立場から人道的倫理を重んじるクリプトン(ジェームス・ドナルド)との対比から言っても、前者二人には共通するものがあった。それが、橋の建設という難事業の達成を可能にしたのだろう。


これは全くのステレオタイプかもしれないが、日本側の軍隊の形はよく描かれていたと思う。完全なる縦社会。そこに人間的交流はない。齊藤大佐は、その肩書ゆえに絶対的権力を持ち、部下に恐れられている。しかし齊藤大佐も上層部の絶対的命令下にあるのは同様である。それに対して、イギリス側の大佐は、絶対的な権力を持ち威厳はあるが、それは肩書というより、人望によって支えられている。彼の不屈な精神と上官としての責任感が、自国兵士たちの心をとらえ、ついには橋の建設に誰もが真剣に取り組むようになる。日本軍のための橋の建設だが、その完成という目標が、捕虜たちのモチベーションアップにつながり、過酷な状況を乗り切るエネルギーとなった。


日本側の建設計画の、完全なる無策ぶりは笑ってしまうほどである。尊敬できない上司からの命令で無理難題を出され、心身ともにすり減って働かされる…楽しくもないし、効果も上がらない…現代社会の構図とあまり変わっていないような。とある大企業に勤める知人は、60歳の定年を迎え、同じ部署に再雇用されたが、給料は半減、それでも今まで通り終電まで働いている。彼曰く、仕事内容はナンセンス、部下が上司になって気を遣う、それでも染みついた社畜精神(本人は愛社精神と思い込んでいる)で、休日出勤もいとわない。


日本の会社に勤めるアメリカ人の知人は、毎日4時には退社する。朝は電車が混まない早朝に出かけ、無駄話はせず、一日分の仕事を全うし、早めに帰る。そして夕方の時間を楽しんでいる。日本人が用もないのにだらだらと残業しているのがバカバカしい、むしろ自分の方が効率的に仕事をしているのだから、文句を言われる筋合いはない、と思っている。この個人主義的性質を、ウィリアム・ホールデンがうまく演じていた。仮病を使って兵役を逃れ、天に運を任せて脱出し、収容されたイギリス軍の病院で美人看護婦と楽しい時間を過ごすことを優先し、ウォーデン少佐による橋の爆破計画への参加を断る。とはいえ、やむを得ない事情により、危険極まりない爆破計画に参加して、ジャングルの険しい行程を進んでいくのだが、そこでもアメリカ人らしく、ケガをしたウォーデン少佐を見捨ててまで計画の遂行を優先するつもりはない、と言って、軍の規律より仲間、あるいは個人の尊厳を重要視する。


橋が完成し、斎藤大佐は自決を覚悟する。期日通りに任務は遂行されたが、それは敵による功績である。上官として、あらゆる面でニコルソン大佐に劣っていることを実感していた。かたやニコルソン大佐は長かった軍人生活の中でもっとも達成感を感じているという。それはいずれにとっても、しみじみと哀しいシーンである。


最後は、その橋の爆破シーンで終わる。齊藤もニコルソンもシアーズも死んでしまう。それを見ていた軍医のクリプトンが、「Madness, madness(狂っている、狂っている)」と声を上げるのだが、その感覚がもっとも正しいのであろう。戦争は、人を狂わせる。戦争だけではない、先の企業戦士の知人も、自分がどこかおかしいことを知らない。


それでも、この映画のもたらす不思議な爽快感は、登場人物がそれなりに皆懸命に生きているヒーローだからであろう。自己を捨てて大義に生きようとする姿勢は、狂っているかもしれないが、そしてそれを全うして死んだことすら、どこか救いのような気がするのだ。もちろん、それが可能になったのは、早川雪州をはじめとする名優があってのことだろう。


戦争の一端を、捕虜収容所という特殊な場面設定で切り取り、国籍や立場の違う人間模様を描き切った『戦場にかける橋』。再び観たら、また違う発見があるだろう。アカデミー賞に値する、さすがの名作であった。


『音楽プロデューサーとは何か』寺本幸司


澤チエさんよりご主人が本を上梓されたと聞いて、その場でアマゾンからクリックした。何の本かも知らず、著者の寺本幸司氏のことも知らずに。


翌朝早くも本が届く。『音楽プロデューサーとは何か』という題名。「え~、チエさんのご主人って音楽プロデューサーなんだ。しかも有名な人らしい!」サブタイトルに、「浅川マキ、桑名正博、りりィ、南正人に弔鐘は鳴る」とある。桑名正博は知っている。最近亡くなったよね。でも曲はよく知らない。たしかアン・ルイスと結婚して離婚したっけ…という程度。昭和42年生まれの、芸能関係に疎い私。


隣人が家にやって来たので(その日はうちの人の誕生祝いをした)、「お友達のご主人が書いた本だけど、面白そうですよ」とちょっと自慢気に見せたら、彼女、「浅川マキ、好きだったわ~」と言う。アップルミュージックで検索して、浅川の曲をかけてみる。うわ~渋い、カッコいい!還暦を迎えたうちの人は、「りりィは知ってる。あの有名な曲、なんだっけ」。また検索してみる。曲に合わせて隣人と彼がハモる。「私は泣いています、ベッドの上で~♪」なんか聞いたことあるような気がする!


そして、実際に読みだしたら、寺本氏の文章がうまくて面白くて止まらなかった。歌手の発掘、売り出し、成長の背景に、こんな愛に溢れたプロデューサーがいたとは!歌手名や曲名が出てくるたびに、アップルミュージックやYouTubeで聴いてみる。(かつて元上司が書いた戦争関連の本にでてくるたくさんの軍歌を同様にして聴き漁ったことがあったが、それに比べて、今回はなんと楽しかったことか!)寺本氏がプロデュースする女性歌手には共通点が感じられた。どことなくアンニュイで辛口の独特な声と雰囲気を持っている。イルカだけはちょっと違ったが。中学校の合唱祭の課題曲が「なごり雪」だったので、その曲だけはよく知っていた。彼女にこの名曲を歌わせたのが寺本氏だったとは!素晴らしい!!私の抱いていたイルカのピュアなイメージが本物だったことも、この本と他の曲からもよく分かった。裁縫をしながら彼女のアルバムを一日中聴いた。


桑名正博のかっこよさにもしびれた。YouTubeでみると若い時も年をとってもかっこいい。松田聖子を聴いて育った私にとって、恋愛観を形成したといってもいい松本隆が、桑名の歌詞を作っていたのには驚いた。男性の恋も書けるんだ(当たり前か)、しかもセクシャルバイオレットNo.1!でも一番気に入った曲は、桑名が書いた「夜の海」。松本隆の、映像が浮かぶようなプロの詩ではなくて、かなりありきたりの内容なのだが、桑名が歌うと実に魅力がある。下田逸郎の曲がいいのだろう。ギターで弾いてみたらABCDm7の簡単なコードでほぼいけるのに、なんてステキなんだろうと、うっとりしてしまった。(今日浄化槽清掃の業者が来たのだが、マスクを取ったら晩年の桑名にそっくりで、他社とあいみつを取ろうと思っていたのに、即決してしまった!)


寺本氏は、寺山修司や筒美京平をはじめとした名だたる著名人と一緒に仕事をし、有名歌手を輩出するような人なのに、影の人に徹して、わがままなスターに翻弄されながらも、彼らの信頼を裏切らず、温かく見守り続けるという、たいへんな人格者である。さすが、チエさんの旦那さんだ。チエさんも彼にスカウトされた人だが、あまりにかわいかったので、お嫁さんにしてしまったのだろう、その辺のいきさつは書かれていなかったが。


 私は、りりィさんの曲は知らなかったが、女優さんとしての作品はけっこう観ていた。寺本氏は逆に彼女の映像は、あえて観なかったそうである。「わたしを見つけてくれて、ありがとう」という一行のメールが遺書となったというくだりには、じ~んときた。そんな影の人が、私たちに夢をくれるスターを見つけて育てていたのね。寺本さん、ありがとうございます!!!


井上論天句集 『家洗ふ』~瞬間の心象を切り取る俳句の力


井上論天さんから句集が届いた。なんとお懐かしい、そして、あの水害に遭われても、句集を編むほどに立ち直られたということがとてもうれしかった。と同時に微妙な気持ちに襲われた。私はすでに俳句をやめてしまっていたから。

所属結社を去って以来、親の介護や自身の更年期、引っ越しなどに追われ、ここ何年かは俳句のない生活に慣れてしまった。桜を見ても、ああきれいだな、とただ感心するだけの気楽さが、なんとも嬉しかった。…しかし、去年の桜も今年の桜も同じに見えるというのはちょっとさみしい。その時々の心情が意識的にも無意識にも詠み込まれて、毎年違う気持ちで桜を見ていたということが、一句の中に如実に表れているからだ。それは俳句を作らなくなって初めて分かったことである。

『家洗ふ』を開いてみる。「墓洗ふ」という言葉はあるが、「家洗ふ」は水害に遭った作者ならではの造語であろう、「あとがき」にもあるが、それをタイトルにしたことに凄まじさを感じる。宇多喜代子氏が跋文で書かれたように、吉田町のニュースが報じられたとき、私も論天さんのことをおもった。しばらくしてお電話したら、「一階が全滅して二階に住みながら、土砂を取り除いている、炎天下で体力も限界に近い」とおっしゃっていた。本当にお気の毒なことであった。

そのような中で詠まれた句、そうでなければ詠めなかった句。いずれも酷い内容で、万の言葉を尽くして被害の状況を述べるより、あるいはテレビの映像より鮮明に自然災害の恐ろしさと被災者の苦悩を物語っている。


未曾有なる水・雨・泪そして汗

嗚呼山が嗚呼家が南無七月よ

水無月の山が動きて人を吞む

悪夢より醒めて悪夢のごとき夏

七月の眉間の皺が塩を噴く

夜の底で愚痴れば火蛾の世に迷ふ

炎帝に仕へる古稀の身の軋み

窮すれば神仏めきし羽抜鶏

羽抜鶏泪こらへる力まだ


水、雨、泪、汗、同質感のある言葉の羅列。嗚呼山が嗚呼家が、というリフレイン。俳人とはいかなる時も詩心を持ち続けられるのかと感心させられる。塩を噴く眉間の皺、古稀の身の軋み、泪こらへる力…被災者の自身を客観視できることは救いともいえる。先に述べたように、こうした句群がある限り、作者にも読者にも、あの水害の恐ろしさがありありと蘇る。その時々の心象風景を閉じ込めるのが俳句の力だ。

この悪夢のような現実以前の作品も含め、私の好きな句、まずはご家族を詠まれたものを選んでみる。


乳飲児を胸にまるめて涅槃図へ

母の手を引いて乗り込む寶船

心棒の外れた母と野に遊ぶ

水打つて妻との距離を取り戻す

短日の施設に母を捨てにゆく

妻にまづ御慶の膝をたたみけり

黴臭きものに親父の鉄拳も

父が死に我も死ぬ家柿熟るる

母の日の母の泪を見にゆかむ

秋惜しむすなはち母を惜しむなり

餅搗いて仏の母に会ひにゆく


乳飲児はお孫さんだろうか。「胸にまるめて」が巧く、生まれて日の浅い赤ん坊と仏陀臨終の涅槃図との取り合わせが面白い。男性作家による母恋の句は定番だが、論天さんの母想いは格別だ。施設に母を「捨てにゆく」という強烈な措辞を、「短日」という季語が一層際立たせている。捨ててなんかはいないのに、なんという自虐。奥様を詠んだ句も多い。「御慶の膝」とはなかなか出てこない、素敵な一句。「鉄拳」など今は一歩間違えば虐待と言われかねないから、過去の産物というか、たしかに黴臭い感はあるけれど、それはお父様の愛情だったに違いない。


自画像の鼻の歪みも酷暑なる

鶏頭の雨に擡げる負の思考

梅二月孤高の月を海に追ふ

滴りに地球の軋む音を聴く

累代の貧乏神と屠蘇かはす

蛍降る自縄自爆といふどん底

色鳥や老いてことさら好む赤

荒星や地酒で流す鎮痛剤

さくらさくら想定内に孤独死も

山焼いて酒で宥める野生の血

ラ・フランス私の魂いびつです


俳句とは、その時々の自画像でもある。歪み、負の思考、どん底、いびつな魂…己のネガティブな気持ちと向き合っている。論天さんらしからぬと思いきや、どっこい、そこには赤を好むしゃれっ気も、野生の血も流れている。荒星や山焼の句の男気が魅力的だ。


小鳥来る等圧線の隙間より

大阪が事の始めや絵双六

初夢の涙袋を齧る獏

菜の花や残んの月に魔女の顔

象哭いてレースの日傘重くなる

マニキュアの指の饒舌シクラメン

脱稿し朝のトマトに接吻す

人待ちの日傘に跳ねる六六魚

イヴの日のワインに不覚取られけり


これらの洒脱な句も好きだ。日傘を持ったマニュキアの女性が気になる。

そして、激動の時代を生きてきた作者の、骨太の句も忘れ難い。


凌霄花の登り詰めたる訣れかな

昭和には辿りつけない遠泳子

瘡蓋に血の滲みたる原爆忌

人を焼く夜を覆ひたる鰯雲

雪の夜の青鉛筆で画く自画像

死と向かふ男の矜持梅一分

含みたる水に芯ある原爆忌

かつと炎天モノクロの昭和人

生と死のやじろべゑなり年詰まる


この他にも、もし句会で出会っていたら、きっと採ってしまいそうな句を以下に挙げる。


目刺にもいごつそうなる面構へ

畦径を風のごとくに亥の子連

耳底にオルガンの鳴る麦の秋

墓守の隠れ呑みする蝮酒

補聴器をつけて蚯蚓の鳴くを待つ

薄紙を剝いでは春の山となる

略奪婚めくや蜥蜴の風起こし

大根の穴に滅びといふ時間

鷹鳩と化して許せる嘘となり

サイレンの音が弧を描く今朝の秋

余命告ぐ北病棟のさくらかな

鬼やんまつつと消えたる毛越寺

熱帯夜仏起こして遊ばうか

容赦なき死や雪蛍ほつと来て

夕焼に手を入れ記憶の糸たぐる


この度、このような句集をいただいて、私もまた俳句を作ろうかな、という気持ちと、もう無理だわ~という気持ちが錯綜している。論天さんのような素晴らしい句は作れないけれど、自分の人生を俳句で表現し続けたいような…「おまえの句を作れよ」と論天さんに励まされているような…いずれにしても、俳句を通じてこそ、論天さんに出会えたのであって、そのことに心底感謝しつつ、すべてを丸洗いしてしまった後のような、爽やかで美しい水色の扉を閉じることとする。


お金と寿命と社会的地位について自分の尺度をしっかり持てば、この世は楽しいことばかり



ある知人がこの頃心配性になってしまったと言って嘆いていた。30代半ばになると、おのおの価値観が定まって来て社会的なことにも興味を持つし、友達と話していると主義主張の応酬が激しくて、心の浮き沈みが大きくなるらしい。まあ、社会的なことといえば、新聞もテレビも不安をあおるようなことばかり報道するから、多くの人が批判的かつ厭世的になってしまうだろう。あるいは彼女のように心配性になる。



先日実家で父の庭の野菜をもらって包んでいた新聞の一面に、「2045年には65歳以上の人口が全体の3割」という見出しがあった。二面でもそれが特集されていた。「え~っ、そんなのトップ記事になるようなニュース?前から言われてなかったっけ?」と思った私。2045年というと、いまから27年後か・・・私は77歳だからその中の一人・・・だからなんだっていうの!?



1970年代は人口増加が社会問題だった。人口が増えすぎて食糧難や住宅難が心配された。産児制限やブラジルなどへの海外移住が奨励された。それらの政策がすぐに結果をもたらさなかったが、30年もしないうちに、人口の減少が問題になり始めた。一人当たりの出生率が第二次ベビーブームだった70年代前半の2.14人から1.43人に下がっただけではない、出産どころか結婚すらしないのが当たり前になりつつある今日だ。



つまり社会問題なんて、そのための政策や対策なんて、あてにならないというか、先が読めないというか、心配したってしょうがない。そもそも私たち30秒後に自分自身が何を考えているのかすらもわからないのに、28年の後の社会情勢なんて分かりっこない。ハーバード大学の研究者によると、銀河系中心のブラックホールがあらゆるものを飲み込み始めており、ヒッグス粒子が形成する物質エネルギーが変化し、突如としてすべての生命が消滅する可能性もあると、今朝のスマホの海外ニュースが報道していた。この宇宙が瞬時に消えてしまうかもしれない、なんて心配しようもない問題である。(それはそれで面白いかもしれない、突然自分も全ても消える!!)



それはそれとして、私は50歳になって、もうお金も社会的地位も自分を幸せにしないことが分かってしまった。もちろん生活に必要なお金は重要だけど、お金があるからといって幸せが確保されているわけでもないし、なかったら不幸でもなく、年金暮らしになったらそれはそれなりに幸せに生きていける自信がある、人が何と言おうと。



野草をとって山菜を摘んで、小さな菜園を作って、あとはご飯と味噌とプラスアルファで十分だ。海外旅行なんて行かなくても、たとえば伊東の浜辺や裏山に行くだけでも楽しい。古い着物を解いて洗って素敵な服を作ることもできる。毎日小さな台所をピカピカにして、畳を拭いて柱を磨いて・・・そんな昔気質の家の暮らしをしてみたい、大きなオール電化のマンションなんてほしくない。



コンサートなんか行かなくても、自分でギターが弾ける。読みたい本もたくさんあるし、一日中だって好きなこと書き綴っていられる。



病気になったらそれはそれ。十分楽しく生きたから、寿命だと思う。治療も入院もその時の経済状況で考えればいい。楽しく質素に生きていれば、そうそう病気に何かならないだろうし、年をとったら枯れるのは当然だし。



社会に評価される必要は全くない。されても嬉しいとこれまで思ったこともないし、されている人を羨ましいと思ったこともなく、それなりに大変そう思うだけで、無責任でいられることはじつに幸せだと、生まれつき野心がないことも、いってみれば得であり徳なのかもしれないと、うぬぼれている。そもそも一過性の社会的評価なんて、何の価値があるのだろう、所詮不完全な人間の気まぐれであり、そんなことに一喜一憂するほど私の人生は薄っぺらくない。社会的評価を求める人は、人間界という生物のわずか数パーセントの世界を絶対視しているわけだから、それはそれでかわいそうな気がする。



というわけで、お金、寿命、社会的評価に自分の尺度があれば、この人間としての人生は楽しいことばかりなのだ。万物は生命エネルギーの多様な、瞬間的な表出であり、まぎれもなく私自身もそうなのであり、そう思えば、すべてのことはあるがままに起きているのだから、批判も不満も不安も不平も持つ必要がない。起きていることは、天文学的な要素が絡み合って生じているのだから、それ以外のことが起きるわけもなく、自分を含め人間の意思や能力でどうすることもできず、したがって、起きていることはすべてベストなのである。



これまでの自分の過去も、この先起きるすべてのことも、自分一人の力で出来たことでも出来ることでもないがゆえに、たんたんと受け容れ、面白がっていればいい。将来も、死も、他人も何も怖くない、すべては同じ宇宙エネルギーの現象なのだから。(そして、それすら一瞬で消えてしまうかもしれないという、計り知れない膨大な法則の元にあるのだから!)





伊豆高原のとあるドラッグストアの駐車場にある大きな大きな桜の木







無題④~あるがままを見る





前のブログの続き



先に「解放」と副題を付けたブログを書いたが、それは、自分の存在がないところから見える世界なのだが、それでも「見る」行為は発生するようだ。「見る」のは眼の複雑な機能だが、ただモノを映すだけでなく、そこには対象物を瞬時に「判断」してしまうという脳の機能も働いている。それはそれで「起きていること」として構わないのだが、できれば、対象物をまっさらに見ることが出来たら、そう、あるがままに見ることができたなら、それはさらなる解放につながるだろう。



例えば、先週実家からスキー場へ行く途中、視界に広がる山々について、私と彼は絶えず父に質問し続けていた、あの山はなに、と。あれは妙義の荒船山、あれは赤城の黒檜山、後方に見えるのは日光の男体山・・・と父が答えるたびに納得する私たち。でも待って、私は思った、山の名前を知って納得するってどういうことだろう?それで何が分かったっていうのだろう?



そもそも山ってなに?陸の一番高いところ。陸ってなに?海に浮かぶ部分ではない。海から出ている部分である。つまり陸自体が海底から見ればすでに一万メートルを超すような高い山であり、通常、山と呼ばれる部分はその陸の中で少し高く盛り上がったところに過ぎない。そしてその少し盛り上がった部分は自然にランダムに生じたもので、それが中には火山が噴火したものもあるし、陸と陸がぶつかって盛り上がったところもあるし、その形成はいろいろだが、もともと「〇〇山」という存在があったわけではない。「〇〇〇子」という人間が初めからあったわけでもないし、今だってそういう人間があるわけでもない、単に他の人間と混乱させないように便宜上名前を付けられている、ある生命エネルギーに過ぎない。



なので、あれは榛名の〇〇山だと聞かされて、ふうんと納得するということ自体の意味が分からない。誰かがつけた名前は山そのものではないからだ。そもそも山と山じゃないところの境目も不明だし、宇宙人の眼から見たら山と空の境目も分からないかもしれない。山も空も概念だ。ましてや高い山ってなに?低い山があって初めて高い山があり、青くない空があって初めて青空がある。青という色は青以外のすべての色と違う色を差しているにすぎず、青といった瞬間に、私はなにを見ているのだろう?ある一定の波長の長さを人間が青と決めただけのことで、青という色が元々あるわけではないのだ。それが証拠に、人間以外の動物に青い色は見えない。



形容詞も名詞もすべてそうである。きれいは汚いものがあって存在し、美人は不美人がいて存在し、賢いは愚かがあって存在する概念。痛いは痛くない、面白いは面白くない、まずいは美味しい、酸っぱいは酸っぱくない・・・あらゆる形容詞はそれ単体では意味が成り立たず、必ず反意語が無意識化に立ち上ることで機能する言葉である。



名詞もしかり。薔薇という花はない。桜という木もない。桜は梅との違いを知らない。桜は自分が木であることも花をつけることも知らずに、そのままに存在する。そのままに芽を出し日の光を浴びて成長し、水を吸って二酸化炭素を吸って酸素を吐き出して、夜はその逆、そして花を咲かせ散らし、実をつけて、紅葉し散る・・・しかしこうした行為そのものに意味付けし名前を付けたのも人間である。桜は芽も葉も空気も水も太陽も知らない。ただ在ってただ享受する。ただ生きて死ぬ、それだけ。あるがまま。



そのあるがままの生命の姿を私たちはそのままに見ることができず、先述のように、あらゆる変化と機能に名前を付けカテゴリーしたがる。そして名前がないものを「発見」などと、もともとあったのに(しかも人間より先に存在していたのにもかかわらず!)おこがましくも名前を付け、〇〇科などと分類する。桜という名前にすでにいくつもの既成概念が織り込まれているので、私たちはもうそれをそのままに見ることができないのである。



人に対しても同じで、私、〇〇〇子という存在にはいくつものストーリーがまとわりついている。年齢、性別、職業、住所、性格といった情報が共有されている。レッテルが貼られている。背が高いとか、顔がはっきりしているとか、のんびりしているとか、趣味が多いとか、交友関係が広いというのは、すべて誰かとの比較において語られている。その比較のうえでしか私が存在しないかのようだ。誰とも比較しないである人を見たら、そこには何の形容詞もないはずだ。



なんの形容詞も、あるいは名詞すらないもの、それはカテゴライズもされず、ただそのまま。人間でもなく、生物でもなく、単なる宇宙的なエネルギー。



長年蓄積されたデータをゼロにすることはできないから、この机の上にいろいろなものがあり、それがアイマスクだったり、ケータイだったり、スピーカーだったり、目薬、イヤリング、コースター、さまざまな書類であるように見えてしまうけれど、そしてそれらがいかにも乱雑に存在しているように見えるけれども、たしかに人間がそれらを名付けカテゴライズしたからこそ生じた物質であるけれども、それでも、できるだけ、概念を外し、単にそこにあるものとして、そう、宇宙開闢以来の進化の中で必然として生じたエネルギーの塊として見たら、乱雑に置かれているというより、なにかどれも懐かしいような、ありがたいような、近しいような存在に思えてくるから不思議である。



いずれも今この瞬間を共有し合っているエネルギー同士として、ここに在る。たがいに何の概念も持たず、たただた許されて、恵まれて、存在しているのだ。







無題③~解放



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うちの人がインフルエンザにかかってしまった。一昨日の夜から高熱に苦しめられている。一度解熱剤を飲んだが、熱が38度を下がることはないようだ。かわいそうに。私は昨日は午前中はずっとおかゆやらなんやら作り続け、午後はずっと隣で寝ながら本を読んでいたが、あまり近くにいないほうが良さそうなので今日はパソコンに向かっている。そして、つらつらと「私の不在」について考えている。



唯識論的に言えば、インフルエンザに苦しむ夫という存在はない。そもそも私の夫である〇〇〇男という人間はいない。そういう名前を付けられた存在はある、社会的な便宜上、彼の両親がそう彼を名付けたのだ。インフルエンザというものもない。ある身体の症状を、カテゴライズして人間が付けたものである。あえて言えば、あるウイルスが別の生命の身体の中に入って繁殖しようとしている現象である。「苦しい」と思っているのは、誰か?事実は、ある生命体の中で熱を出してウイルスをやっつけようとしている現象だ。



「苦しい」という感情ないしは感覚は、いったい誰の感覚なのだ?「苦しい」イコール「不快」の感覚は、どうやって生まれたのだろう。ある生命体が人間と呼ばれる形で誕生し、生き延びるために「快」と「不快」を覚えたのだろう、「快」は物理的に生存に有利で、「不快」は不利。単純にそれだけだったのだろう、しかしそもそも「快」「不快」というのも人間の後付けのレッテルであり、現象そのものではない。いってみれば、生存に不都合な現象が起こっている、ということか。それゆえ身体が戦っているが、戦う相手ウイルスもまた生命エネルギーの現象である。究極的には、どちらがいいわけでも悪いわけでもない、単なる現象なのだ。



もちろん苦しんでいる彼には、差し迫った事態なのだろうが、俯瞰してみれば、二つの生命エネルギーがせめぎ合っているということである。そしてその事態はやがて消滅する。万が一、彼としての身体が負けたとしても、宇宙的エネルギーとしては、何ら変わりはない。単に波が打ち寄せて引くようなもの・・・それを「人間」が一大事としてとらえている。もともと〇〇〇男などいないのに。



さて、目下苦しんでいる彼の身体には申し訳ないが、冷静に考えると、「自分=私」がいないということは、とてつもない解放なのではないか。自分がしていること、考えていること、同様に他者に見える人間がしていること、考えていること、あるいは人間社会らしきもので起こっていることすべてが、すべて誰にも関係なくて、単に起きるべきことが起きているだけだという認識に立てば、「私」がシャカリキに生きようとする必要などないからだ。



何が起きてもいいのである。だってそれを起こしている「私」などいないのだから。何かを考えて誰かに何かをしゃべっていると、自分では思いこんでいるけど、それは実は自分ではないとしたら・・・「自分」ではなくて、宇宙的エネルギーの表現が勝手に起こっているのだとしたら・・・それは「自分からの解放」でなくてなんであろう。



「私」はいない。「あなた」もいない。すべては解放され、すべては起こるべくして起こっている宇宙のエネルギー。生きているという感覚がもうすでに大いなる恵みなのだ。



無題②「私」という妄想の世界



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非現実な映画や小説のストーリーを観る自分自身が、自分の創ったストーリーに過ぎない非現実なのではないかという問いがある。



自分、というか、この身体があるのは現実である。しかしこの身体が自分、あるいは私そのものかと言うと、どうやらそうではないらしい(唯識論的に言うと)。



とうか、そもそも「私」ってなんだ?身体が私ではなく、思想も私ではないとしたら、「私」とは単なる概念?



ではその「概念」を認識して、「私」と思い込むのはどこにあるのか?



まずは身体から考えよう。この身体は自然の産物だ。身体を構成する要素は宇宙開闢以来生成され続けてきた原子からできている。この身体は宇宙のあらゆる物質と同じ原子からできていて、つねに変化し、消滅し、また再生することを繰り返している。この身体が死ねば、死体の原子は何らかの化学反応で、この宇宙の何かほかの物質を形成する。いや死ぬまでもない、肺を息を吐くだけでも、その二酸化炭素が、周辺の何かに影響して、何らかのものを生じさせる。少なくとも同じ部屋にある観葉植物の光合成に役立つかもしれない。



この身体がリンゴを食べれば、膨大な神経細胞が動く、膨大な細菌が動く、膨大な電気信号と酵素が分泌される。リンゴと身体は一体になる。この時点でこの身体とリンゴは不可分な存在だといえる。リンゴは「私」であり、「私」はリンゴであるといえるかもしれない。そしてその分の老廃物が身体から排出される。トイレに流された老廃物は何らかの形で分解され処理されるが、けっして消滅してしまうわけではない。



リンゴだって、どこからか突然にやって来たものではない。リンゴがこの身体に入るまでに、膨大な人的エネルギーと物質的エネルギーが実存する。リンゴを向くための包丁も、リンゴを盛るための皿も、リンゴの皮を捨てるための三角コーナーも、リンゴを洗う水道水も蛇口も水道管も、そして、その包丁や皿や三角コーナーをデザインした人も売った人もいるし、それらすべてを「私」が買うためのお金を稼いだ人、紙幣を印刷した人、財布を作った人、財布の材料の革になった牛、牛を育てた人、牛の餌となった草・・・



ああ、もうバカみたいで数えることも不可能なくらい、単にただひとつのことがなされるまでに起きたことは数えきれない、単に脈々と連綿とエネルギーが変化して、今この瞬間が起こっている。



一体全体なにを言いたいかというと、自分の身体だとか自分が食べているとか信じている行為が、まったくもってなにかものすごく計り知れないエネルギーがあって実現しているということである。それは神秘的な奇跡、実にありがたい一瞬一瞬の恵みなのだ。



もう午後4時近いのに、電気もつけないで部屋にいてパソコンを見ることができるのは、太陽があるからだ。朝から晩までこの地表を温かくしているのも太陽のおかげだ。花が咲くのも、植物が育つのも、牛や豚がいるのも、太陽のおかげだ。太陽のおかげで、「私」の身体はいかされている。しかし、人間は太陽をコントロールできない。



太陽ほどでなくても、大気も、月も、海底潮流も、海底プレートの移動も、「私」の存在を可能にするエネルギーである。地震は怖いが、地震というエネルギーの発散がなければ地球は爆発してしまうだろう。すべては「私」が存在するために不可欠な恵みである。



痛いとも言わずに伐られる木、踏まれる草や虫、掘り起こされる地面があって、この身体が快適な家に暮らすことができる。「私」を温めてくれるセーターの原料となる羊毛は、いったいどこの国の草原に住む羊なのか、「私」の足を守る靴の革はどこの国の牛なのか、頭痛を治してくれる薬のために犠牲になったモルモット、あるいはその薬を開発するために苦学した研究者・・・すべてはいまここに「私」が存在するための恵みである。



「私」ではない、「この身体」といったほうがいい。私とは、そうした恵みに感謝して生きていることの神秘や奇跡を味わうというよりも、むしろ膨大な無駄な思考・感情にとらわれる装置のようなものだ。あらゆる恵みの中に自分も存在すると考えるよりむしろ、あらゆるものから分離して個を保ち、孤を悲しむほうにいそしんでいる装置ではないか。



自分は「〇〇〇子」である。1967年〇〇県〇〇市に〇〇と〇〇の長女として生まれ、祖母と妹と5人家族。背が高くやせており泣き虫でいじめられ、幼稚園から小学校まで比較的暗い子供時代を過ごし、中学ではバレー部に入り万年補欠、英語が得意で海外に憧れ、進学校に進むが勉強は不真面目、でもアメリカに行きたくて留学の出来る大学へ行き、通訳の勉強をして、いくつかの会社で通訳と翻訳と広報の仕事をし、しかし組織が向かず会社を辞め、フリーでいろいろな仕事をするがボランティア程度で、趣味は広くヨーガに俳句にギターにスキーなどなど、どれも適当に続けたりやめたり。結婚生活は順調で、交友関係は広く浅く、家族には恵まれ、貧乏でも裕福でもなく、子供はいないがその分自由で、健康で前向きで明るい性格。



―――などと、たったの半ページ足らずで、おおむね「私」を紹介してしまえるのだ。本当にこんなのが「私」なのか?



いや違うだろう、こんなのが「私」じゃない。こんなふうに狭く限定してしまえるほど「私」という存在エネルギーは小さくない。さっきからかいているように、「私」の身体が50年間、この地球上にあることの背景には、少なくとも宇宙の開闢以来の137億年間のすべての進化、というかエネルギーの変化が関係しているし、50年間やって来たことも天文学的な外的エネルギーの助けがあるのだし、今この一瞬ですら、太陽や空気がなかったら存在できないのだ。



「私」は決して、「〇〇〇子50歳」などとくくれるような矮小な個別の分離したものではない。ただただこの一瞬に起きている宇宙的エネルギーの表出なのだ。そしてそれは、一瞬で消えるはかないものではあるかもしれないけど、ものすごく多くの恵み、あるいは愛に支えられてこそ存在可能なものの表出である。



このリアリティーに対して、たとえばとある一人の漫画家の妄想から生まれたストーリーを映画化したものが、いったい何だというのだろう。それもまた宇宙的エネルギーの、ほんの小さなあぶくに過ぎない。



今この瞬間に起きていることしかない―――と「悟った人たち」が言っているのは、おそらくそういうことなのだろう。リアリティは、まさに今この瞬間に起きていることだけ。過去も未来も、エネルギーの矮小化された架空の「〇〇〇子」が捉えられるような単純なものではない。過去に本当に何が起きて、今ここにこの身体があるのかもわからないし、わずか3秒後に何が起きるのかも本当の意味では分からないのだから。



いま、ここに、この身体がある、それだけがリアリティだ。



そしてその「身体」が体験しているように思えることは、「私」とは何の関係もなく、ただ「起きている」だけなのだ。私のお腹がすいたのではなくて、「身体」があって、「空腹を感じる神経が作動している」。私の頭が痛いのではなくて、ここに「身体」があって、「その中の何かの神経が何らかの理由で圧迫されている信号が生じている」ということである。



今私が考えて文章を書いているのではなくて、この「身体」が(身体というのも概念かもしれない、なぜなら、そこには無数の生命体があり電気信号が内外から作動しているから)、なにか得体のしれないものに反応して、パソコンの前に座って、文字を打っている、だけのことである。ほんとうに、ただそれだけのことなのである。





無題①~「映画」という妄想の世界



タイトルは「無題」、なぜなら、最初に決めても書いているうちにだんだん違う方向に発展してゆき、最後にタイトルを変えることが少なくないからだ。何かを調べようとして、ネットで検索するうちに、別の記事を見たり広告に操られて、当初と違うものをいくつも見ることになるように(ネットサーフィン)、書いているうちに考えが発展して、というかあちこちに飛んで、書く予定のなかったことが頭から紡ぎ出されている・・・



最近とみに「思考」とか「感情」というものが、じつは「私」から生まれているのではないような気がしている。なぜなら、自分(=私)のものだとしたら、なぜ思考や感情を自分で操ることができないのか?なぜ理由もなく暗い気分になったり不快になったりしてしまうのか?なぜいやな気分がした時に、それを消すことができないのか?そもそも今から数十秒後に自分が何を感じて考えているかすら分からないなんて、もしそれらがほんとうに自分のものだったら、おかしいではないか?



「私」とは、湧いてくる思考や感情に気づく存在である、とある人が言っている。そして、そもそもその「私」自体も、作られたストーリーで、本来はなんの分離もない、ある一つの宇宙エネルギーの表現の一部にしか過ぎない・・・と「悟った人」たちが言っている・・・



う~ん。ものを書くということは、「私」の存在を強化するような行為の気がして、この頃少しやめていた。廣池千九郎の唱える「自我没却」ではないが、人間は不必要に自我を強調しすぎることに、あらゆる不幸が始まっているような感じがする。



そもそも地球上の生物の数パーセントにしか過ぎない人間の「常識」が、人類史上のほとんどの人間の生き方、見方を限定していることは、考えてみたら自然ではない。社会的動物である以前に、私たちもまた自然の動物である。動物に生存のための本能以外の自我があるだろうか?不幸なライオンとか、悲しいキリンとか、苦しい熊はいるのだろうか?苦々しい思いをしている蟷螂とか、悩んでいる蟻とか、自己嫌悪に陥ちいっているウサギとか、反省ばかりしているウナギとか、集団行動が嫌いなイワシとか、自信がない孔雀とか、さみしがり屋のトンボとか、狡猾なエビとか、義憤を抱くカモメとか、横恋慕したい鷺とか、仲間を蹴落としたい白鳥とか、戦争好きな鶴とか、平和を訴えるカバとか、太りたくないサザエとか、うつ病のフジツボとか・・・そんなものはいないのである。そもそも、不幸も哀しいも苦しいも苦々しいも・・・狡猾も義憤も横恋慕も・・・戦争も平和もうつ病も、人間が作り出した「概念」である、どれも存在すらしない、たんなる「思考」である。



人間はすごく愚かだ。存在すらしない「概念」にひたすらひたすら振り回されて生きている。来る日も来る日も、死ぬ日まで。そんな生物も動物もほかにはいない。集団的動物なら多少社会的な要素は持っているかもしれない。虚勢を張りたい虎とか狐とか、脅したい水牛とか、怖がる鹿とかネズミとか。でもそれは本能の範疇であろう。人間は本能の範疇を大いに超えて、概念を作り出し、概念に振り回される・・・



もちろん、巨視的に見たら、社会的動物として生きる人間というのが、すでに「自然」なのだろう。二人に一人はがんになるという統計をはじき出し、がん保険を考案し、不安を掻き立てて月々2,500円の掛け金で、がんと診断されたら100万円出します、一日の入院料は1万円、このプランは90歳まで10年ごとに更新できます―――などというあらゆる概念を駆使した経済社会的「ストーリー」を作り出し、それを聞かされてもっともだと思いこまされるのも人間らしさであり、それは、冬眠する前に何かを食べておこうというクマや蛇と何ら変わりない「自然の摂理」なのだろう。



しかし、両者の隔たりのなんと大きいこと。生命の98%が後者であり、じつに単純に生きているのに、どうして人間は不必要に(!?)複雑なのだ!?



なんでこんなことを書いているかと言うと、これも冒頭のネットサーフィンといえるのだが、私は60-70年代の車が好きで、『日本の名車』というAmazonの映像を見て、鈴木亜久里らが運転するホンダS600とかトヨタの2000GTとかにうっとりしていたのはよかったのだけど、その後、団地のおばさんから電話があって、当初のよもやま話から、建て替え反対に関する彼女の意見がしつこく繰り返され、一時間以上もしゃべって切ったら、気がくさくさして、何となくタイトルの可愛い『ストロベリーショートケイクス』という映画が同じAmazonのサイトで目に留まって、クリックしてしまった・・・そしてその映画を観てからずっと、すごく妙な感覚にとらわれ続けている私なのである。



この映画を観るにいたるまでの、異常に長いイントロ的説明自体が、自分の数時間という人生をいかにコントロールできないかを物語っている。そもそも名車の映像も、そこ(ネット上)にあったから観たにすぎず、ものすごく観たかったわけでもない。それでも好みの世界なので楽しく観たのはよかったが、そのあとの団地のおばさんの電話もその内容のそれによる私の感情の不愉快さから、思わずクリックしてしまった変な映画の世界に引きずり込まれたことも、どれも私が選んだものでもないし、想定出来たものではない。



で、肝心な『ストロベリーショートケイクス』という映画だが、冒頭に池脇千鶴が男の足に縋りつきながら、どこかの商店街を引きずられていき、そのまま男に捨てられるという、衝撃的な出だしから始まり、突如場面が変わると、狭いアパートの一室に棺桶が置かれてあって、その上で目覚ましのベルが鳴り、棺桶の顔の部分の窓が開いてきれいな腕が出て目覚ましを留め、そのまま煙草の箱をとって箱の中から、煙が吐き出されるという、風俗嬢らしき女性の一コマ・・・このイントロが巧みすぎて全部見せられてしまったというわけなのだ。



こうやって物事は「私」の意図に関係なく、「私」というものの経験に基づく好みとか興味という過去の蓄積データから生じた「感情」に、「私」が突き動かされて進んでいくようである。



さて、その映画はかわいらしいタイトルとは正反対に、4人の「崩れた女」のストーリーである。誰もが一生懸命生きているのに、その一生懸命さのために男に捨てられ、社会に適合できず、落ちていく・・・けれど、映画的にはそれ自体が愛おしい人生ではないか、というようにまとめられているというか、ありがちなエンディングなのだが・・・とりわけ池脇千鶴は、社会の底辺にいて周りに翻弄されながら、芯があるのにつかみどころのない魅力的な女性をうまく演じている・・・『そこのみにて光り輝く』という映画の中でも、痴ほう症で性欲の強い父親に悩まされる極貧の女性を生々しく演じていた。本作では男に捨てられて、デリヘル(という商売がすごいな)会社の電話受付しながら恋に憧れるという現実離れした女の子(里子)役である。



他の3人のキャラクターも「痛い」女たちである・・・里子の勤めるデリヘル会社で風俗嬢をしながらお金を貯めている秋代(中村優子)、人気作家の装丁をするなど、そこそこ稼いでいる美人イラストレーターの塔子(岩瀬塔子)、そして塔子の幼馴染みで、よい条件の男と結婚したがっている、やはり美人OLのちひろ(中越典子)。



誰がみな美人でスタイルもいいのに、幸せではない。里子はデリヘル会社の、妻子持ちの社長に告白されてたじろいで仕事を辞めて、場末のラーメン屋に勤めるフーテンぶり。



風俗嬢の秋代はあんなにセクシーなのに、普段は棺桶の中に寝ている虚無な女で、専門学校時代の同級生の菊池(安藤政信)といるときだけが生きているようであるが、彼に告白もできない。



塔子は魂をささげてイラストを描くものの、その作品を生み出すまでの苦闘を理解されず拒食症になっていて、ルームメイトのOLのちひろがいかにもお気楽で憎らしい。半年前に別れたばかりの元カレから結婚したという葉書と、かつて彼に貸していたお金が返送されるーー社会的に成功しているばっかりに、他者からは同情されない孤独な女・・・これはこの映画の原作者の魚喃キリコ像らしい。



そしてちひろはフツーのOLである。仕事も友人関係も恋愛も、常にそつなく振舞っているのにもかかわらず、なにかが不自然で計算高く感じられ、男にも女友だちにも嫌われてしまう。そして塔子のように自分の能力で社会的に成功している女には、自分のような平凡な女の悩みは分からないと思っている。



さっき書いたように、開き直ったフーテンのリスもいなければ、セクシーで弱気なカラスもいないし、自尊心の高さに苦しめられているカブトムシもいないし、自分は平凡だから結婚するしかないと思い込んでいる雀はいない。



これらはみな魚喃キリコさんの頭の中にある妄想人間である。実際の人間よりさらに質が悪い、というか実際にはあんな変な人たちはめったにいないだろう。



ところが、私たちはこうした映画を一種の芸術だと考える---魚喃キリコさんも、映画監督の矢崎仁氏も、池脇千鶴をはじめとする役者たちも、社会的に尊敬に値する憧れの職業である。そしてこの映画の製作や配給には何百、何千という人たちと彼らの才能が使われ、さらに何十万という人たちが映画を見る―――一大産業なのである、がはじまりは、魚喃キリコさんという漫画家の妄想だ。



実際にはいない人たち、あり得ない感情を、映像化し、音楽をアレンジし、一編の切ないストーリーに作り上げる、なんという膨大な努力、そしてそれを観る私たち、なんという膨大なエネルギー。



それを観て何かを感じることが私の人生の、いったい何になるというのだろう。「ああ、誰もが切なさを抱えて生きていて、それがそのまま人生の美しさなのだ」と思えるだろうか?



いやそこまでは達観できない。そもそもそんな風に自分の人生を投げだしたい人などいないのだ。デリヘル会社の電話受付とか場末のラーメン屋に勤める女性など私の周りにはいないし、デリヘル嬢自体も知らないし、拒食症のイラストレーターも知らないし、フツーのOLとかフツーの結婚なんていうのも絵に描いた餅のようなものである。私たちはもっと現実的な世界を生きている。そう、がん保険に入るとか、子供を塾に入れるとか、週末のスキー旅行を計画するとか・・・



たいていの小説や漫画の原作というものは、底辺のストーリーである。底辺にいる人たちが、そうでない世界に憧れて、妄想を描き、抗い、挫折し、受け入れる、あるいは破滅への道をたどる人々のストーリー。社会的に底辺でなくても、殺人とか復讐とか、たいていの人の人生にまずは起こりっこない、現実離れしたテーマをもとにしたストーリーがほとんどである。



こうした非現実的な人間模様を描くストーリーを多くの労力と才能で「芸術」にして、それを観る、決して楽しい気分になるわけでもないし、観たら数日後には忘れてしまうものばかり、それなのに一大産業。



いったいこのブログはどこへ行きつくのだろう・・・誰も読まない前提で書いているのだが、実はここからが肝心だ。



つまり、こうした妄想から生じた現実味のない、映画や小説や漫画に出てくる人間の物語と、今「現実的」だと「私」が思い込んでいる「私の人生」は、もしかして同じではないのかということである。



だって、映画を観ていろいろ思い悩む鷹がいるだろうか?他者の妄想に振り回されるミツバチがいるだろうか?こんな文章をだらだら書きたいと思っている山猿がいるだろうか?



本当の私なんてあるのだろうか。本当の私がいると思っている私って、いったいなんだろうか?



つづく・・・



(副題に、「映画」という妄想の世界、とつけてみた)



風邪のおかげで読書―『海辺のカフカ』


この頃別のことにハマってしまって、あまりに更新していないので、非公開ブログから転記。

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2015年4月6日月曜日

4月になったら、4月になったら、と呪文のように唱えながら、何とか乗り越えてきた3月が、終わった途端のダウン。4月に入ってこそ何もできないでいる。洗濯も料理も掃除も何も。

昨日は甥の引っ越しの手伝いすら行けず、ダラダラと寝ていた。というか、それしかできない。少しでも動くとずっとだるくなってしまう。とくに足に痛みが走る。リンパを通って悪い菌が入ったかのように、足全体が痛くてかなわない。マッサージしてもお風呂に入っても痛い。

その痛みから気をそらすように、ダラダラと読書を続ける。あんまりダラダラ読んでいるので、なにを読んでいるかもわからない。先日俳句の知人が『井上ひさし全芝居その三』という分厚い本を送って来たので、それを適当に読んでいる。

吉本隆明の宮沢賢治論も面白かったが、井上ひさしの宮沢賢治の芝居もおもしろい。これから自分で宮沢賢治を読む際に、2人の論考がきっと参考になる事だろうとおもう。両者とも自分で調べて調べて、そして自分の中の歴史観とか人生論とか宗教観とか、そういうものをベースに宮沢賢治を論じている。

井上ひさしの芝居は、宮沢賢治の作品を芝居化しているのではなくて、彼の解釈した宮沢賢治の人生を芝居化しているのである。よって、だらだらと私は夏目漱石と芭蕉の芝居も読んでみて、彼の解釈している漱石と芭蕉にも触れた。吉本隆明も漱石についてはいろいろ言っているので、また比較してみようとおもう。


こうした知の巨人たちの作品とはまったく違ったテイストのものも読んだ。前から読みたくて、なかなか読む機会のなかった長編小説だ。野口晴哉ではないが、これもまた『風邪の効用』(笑)。村上春樹の『海辺のカフカ』


この小説の主人公である15歳の少年は、私にとってある意味、いちばんうらやましい存在だ。大人でも子供でもない年。汚れていないその心に、可能な限りの知識が詰まっている。私なんかが一生かかっても読めないほどの、高度な本をすでに読みつくしている少年。そんな生き方を可能にした内向的な生い立ちも気の毒だが、こういう少年が出てくるのはよくあるパターンで、村上春樹の小説には最も多いものの、よしもとばななとか、太宰治の幼少期なんかもそうなのかもしれない。

とにかく、早熟な少年。世の中を知らないくせして、知識だけはある。それも高等な。クラシック音楽にも現代音楽にも詳しい。背伸びしているのではなくて、その生い立ちや父の蔵書などから必然的に詳しくなっている。

同年代の子どもとは一線を画している。全然子供っぽくない、なぜなら、甘えさせてくれる親がいなかったから。現実を受け止め、澄んだ目で世の中を知った気になっているから、どこか醒めて斜めに世の中を見ている。かわいげがない。生意気である。でもそれに対する恥じらいもある。

こんな主人公の少年が、自分探しの旅に出かける。といってもそんなのんきなものではなくて、父のそばにいたら、父を殺してしまいそうな気がするのだろう、切羽詰った旅でもある。学校で学ぶものは何もなくなったのだ。というか、書物に書いてあることなら、すでに十分学んでいるし、それ以上のことは自分で学ぶ力があるから。

こういう一風変わった少年は、一風変わった大人に出会う。普通の人にはあまり縁のないタイプの。村上春樹やよしもとばななの頭の中にしか存在しないような、知的で素敵で中性的で傷をたくさん負いながら、それがすべて魅力になっているような、外見的にも美しい人々。だいたいがゲイでもある。トランスジェンダーやトランスジェネレーションを体現している人びと。国籍、時代、時空すらトランス出来そうな人びとだ。

そして少年はその一風変わった大人たちに助けられながら、自分を探していく・・・一言でいえば、村上春樹やよしもとばななのパターン化された小説である。設定はいつも世の中の社会経済活動とは切り離された、自然豊かな海辺、と舞台もきまっている。

徹頭徹尾現実離れした小説。登場人物は決して怒って声を荒げたり、俗っぽい愚痴をこぼしたりせず、モーツアルトとかスタインベックとかサルトルとか、なんでもいいのだけど、私にはよくわからない高度な会話を、なにかのメタファーとして話し合っている。結論はあるようなないような会話を。

しかし『海辺のカフカ』にはもう一人の主人公がいて、それもまた世間離れしている人なのだけど、そちらは文字も読めない知的障害のある老人である。猫と話ができる(村上流!)。そしてその老人に出会うトラックの運転手は、15歳の少年とは対極にあるような、俗っぽい青年だ。

15歳の少年のみずみずしい、そしてかなり屈折している恋愛(50歳ぐらいの女性との)の物語のとなりで、知的障害を持つ老人とトラック青年の不思議な旅物語が、シンクロしながら進んでいく。老人が知的障害を負うきっかけとなった戦中の謎の事件や、少年の父と思わしき男の奇怪な殺人事件が、シュールに絡み合いながら話は進む。

こんな変な複雑な話を、時空も、場所も、登場人物も、あちこち行ったり来たりさせながら、読者に読ませ続けるという作家の力には本当に恐れ入る。読み終わって、なにかを得たとかそういうことでもない。不思議な夢を見たというか。とくにこの小説の登場人物はものすごく多くて時間的にも複雑で、よくこんなものが書けたなと感心してしまう。世界中の言語に訳されて、とても評判がいいらしい。

ある書評によると、西洋的なテーマ(オディプスの呪い?とか)が描かれているのだそうだ。シュールなストーリーに、モンブランの万年筆とか銀の細いネックレスとか、シックなディテールがリアルで、自然描写も精緻を極めているし、やっぱり村上春樹ってすごいなと思う。

この作品は、蛭川幸雄が芝居にしたそうである。ロングランらしい。小説でもこんなに長くて複雑なのに、これを芝居にするのもすごいな。世の中にはすごい人がいっぱいいる。

吉本隆明、井上ひさし、村上春樹、蛭川幸雄・・・頭の中はいったいどうなっているのかなあ。


私の希望は、体調を治して、家じゅうをピカピカにすることぐらいしかないわ・・・

『人生フルーツ』~人生は長いほど美しくなる




アントニン・レーモンドとノエミのような、素敵なカップル


私は長生きするということにずっと懐疑的であった。別に長く生きればいいってもんじゃないと。子供がいないので、うちの人を看取ったら、周辺をきれいにして、見苦しくないうちに、極端な話、城ケ崎の崖からでも飛び込んじゃおうとすら思っていたほどである。

しかし、この映画を見て考え方が変わった。素敵な老夫婦の、心温まるストーリー。ご主人の津端修一さんは、海軍で戦闘機を作っていた技術者だが、戦後の焼け跡に住宅の供給が高まると見込んで、アントニン・レーモンドの建築事務所に入った。その後、住宅公団の第一期社員として、たくさんの団地を造る。名古屋郊外の高蔵寺団地開発で、自然と一体感のある集合住宅を造ろうとしたが、質より数という方向転換にあって、自ら近くに敷地を買って、雑木林を植え、野菜や果樹を育てる暮らしを始めるのである。

そこには70種類の野菜と50種類の果物があるというから驚きだ。奥さんの英子さんもまたすぐれた人で、突飛なだんなの夢に寄り添い、一緒に畑を作り、そこで採れた食材を上手に料理して暮らしてる。

彼らの家はアントニン・レーモンドの家をまねたもの。たしかに、この前高崎で見てきた井上房一郎邸に似ている。30畳のダイニング兼リビングからは、緑の庭がよく見える。風通しもよさそうだ。

二人がこの家で、「コツコツ、ゆっくり」暮らしている、行ってみればただそれだけの映画である。若いうちはヨットを乗り回したり、大学で教えたり、いろいろなことがあったのだろうが、映画では90歳と87歳の老夫婦が、畑と家の中で、なにやらごちゃごちゃと働いたり(当然動きは緩慢)、食事をしたり、絵を描いたり、何気ない会話をしているだけなのだが、生活するということの、ただそれだけの持つ美しさに溢れていた。

ふたりの人間が出会って、いいところを引き出し合って、協力して、生きてきた。そうやって年を重ねた夫婦は、その存在そのものが芸術なのだ。そして普通の暮らしをおろそかにしない、それを可能にしているのが、彼らが尊敬する建築家の哲学。

「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」 コルビジェ 
「すべての答えは自然の中にある」 レーモンド 
「人生は長いほど美しくなる」 F.L.ライト

このドキュメンタリー撮影中に、ご主人の修一さんが亡くなった。草取りをして、昼寝をし、そのまま起きなかったという。あっぱれな最期。英子さんは、庭に満艦飾の旗を立てる、にぎやかに送りたいと。そして、彼の作った野菜や果物をたくさんの箱に少しづつ詰めて知人に送った。それから、気が抜けたと言いながらも、健気に一人で生きていく、相変わらず、毎日を丁寧に、こつこつ、ゆっくり。

何でも自分の手でやってみる、時間がかかるけど、そこから見えて来るものが絶対にあるから、という二人の言葉がずしんときた。すべてを人任せにしないから、自分の人生を自分でコントロールして、自分の責任で生きている。今の社会はともすれば、ベルトコンベアーにのっているように簡単に物事ができてしまう一方で、世の中が自分とは関係ない所で動いているような不安感がある。自分に根がなければ、マスコミにも踊らされる。

自分の手も、足も、頭も、目もしっかりと使いづづけていれば、最後の最後まで働いてくれる。人間の身体と精神とはそうできてるんだ。そうやって年を重ねれば、知性と美的センスに一層磨きがかかって、あんな素敵な暮らしを最後まで続けることができるのね。将来に希望が湧いてきて、いつになく明るい気分になって映画館を後にした。


『雪のつもりし朝:二・二六の人々』~主義主張を越えねば②



前のブログの続き


二・二六事件をめぐる天皇から一兵卒までの人間模様を描いた本書を読んで、戦争そのものについて考えてみたいと思う。なぜなら、この一部の陸軍将校が起こしたクーデターやテロが、現代世界中で起きているさまざまな紛争と無関係とは思えないからだ。見方を変えれば、ちょっと前の日本もまたテロ国家であり、北朝鮮のように追い詰められた軍事大国であり、罪なき若者を特攻隊という形で自爆させるような国だったのだ。

暗殺された政府高官は、昔から先の戦争まで数知れない・・・井伊直弼、大久保利通、原敬、犬養毅、濱口幸雄・・・アメリカでもリンカーンや、戦後にはケネディ兄弟が殺された。IS国を批判するけれど、日米だってかなり野蛮な国だったのだ、ちょっと前まで。

そして日本では、そのようにして力を持った軍部を抑えることが出来ぬまま、中国各地で戦争を起こし、世界大戦に突入し、結果として敵味方含めて何千万人ものあらゆる犠牲者を出した。自爆テロなんていうもんじゃない、あれだけの特効兵を出した理性なき日本が、当時核兵器を持っていたら、使わなかった保証があるだろうか?

当時の日本を先の戦争に駆り立てたのは貧困である。徹底的な経済制裁によって日本は袋小路に追い込まれた。第一次世界大戦に負けて膨大な賠償金に苦しんだドイツの国民もまた、好戦的なヒットラー政権を生み出して次なる戦争に突入した。今の北朝鮮やISを戦闘状態に駆り立てているのもまた貧困に相違ない。このほかにもシリア、エジプト、イラク、トルコ、アフガニスタン・・・貧困にあえぐ多くの国で弱者の命が戦いに脅かされている。いずれもかつては世界最大の富と権力を誇った国々である。

一方で、今日の世界の富の大半がたった数パーセントの人間の手に握られているという。そして、このあからさまな不均衡は、不満分子を扇動する、これは基本的に二・二六事件の背景と同じであろう。現代は、それが国際規模で、ボーダーレスに起きているということだ。

数日前バルセロナでテロがあって13人の一般人が犠牲になった。そしてテロの犯人と思わしき4人が銃殺されたという。テロの犯人を何人殺したところで、全く解決になどならない。世界中の空港で大々的な取り締まりをしようと無駄であろう。バルセロナのケースは自爆テロではないが、9.11以来の自爆テロ実行犯の多くが誘拐された女性だそうである。女性なら怪しまれずに実行できるからだそうだ。彼女たちは悪者どころか、もっとも同情されるべき犠牲者である。二・二六事件に巻き込まれた一兵卒や特攻兵と同じである。

とはいえ、この小説にあるとおり、戦争の発端においてもその過程においても、誰かが決定的に悪者であるというわけでもない。IS国や北朝鮮を単なる暴力的な国家として、力ずくで抑えようとしても、さらなる紛争の火種になるだけだ。そこに至るまでには理由がある。だいたい金正恩政権にしたって、日本が朝鮮半島を植民地にしていなければ生まれなかっただろうし、そうかといって、一歩間違えば、日本そのものもロシアの統治下になる可能性もあったわけで、いまさら歴史を振り返ってもきりがないほど人類は有史以来戦争によって覇権を争い続けてきたのであり、すべてはそうした因縁であり、結果なのである。

そもそも誰も戦争など望まない、ましてや国民を守る立場にある天皇や首相が望むわけがない。アメリカの大統領や北朝鮮の将軍だって同じはずだ。それは今も昔もどこでも同じはずであり、この小説にある通り、悲劇の背景では、為政者も、そして人民も、それぞれ一生懸命に、自分がやらねばならないと思うことをやっているのだろう。

それは現在の日本においても同じであり、日本海側に配備された対朝鮮迎撃ミサイルの発射を、一般人が止めることもできないわけで、北朝鮮とアメリカの緊迫したにらみ合いを、全く文字通り指をくわえて見ているしかなく(命がかかっているかもしれないのに!)、安倍さんにしても、なんらかの断固とした態度をとってほしいと理想としては思うけれど、いったいどんな選択肢があるというのだろう。日米関係の積み重ねから見ても、少なくとも彼一人が背負える問題ではないという意味では、昭和天皇の戦争責任を問う難しさに似ていると思う。

広島・長崎に落ちた原爆が、その多大なる犠牲者をもって、もっともリアルな形で核の恐ろしさ、核戦争の愚かしさを伝え、戦争放棄という憲法9条が、おそらく世界で初めての理想的な解決法を提示したのだろうが、それもアメリカのバックアップがあってこそ可能なのであり、終戦後間もなく、その理想を不意にするような立場に日本を追い込んだのもまたアメリカなのであるからして、9条の理想は、事実上うたかたの空夢となった。

歴史は繰り返すどころか、人間は何も変わらない。国は興亡を繰り返し、歴史に学ぶこともない。歴史に学ぶには知性が必要だ。知性とは、正論を貫くことではなく、自分の正論が本当に正論なのか疑うこと、あるいは自分の正義が必ずしも他者の正義ではないと知り、相手を認め、紛争の背景と原因を究明し、暴力ではなくて対話によって解決をする力だと思うが、知性を裏付ける知識と経験を積む前に、多くの人は貧困と戦わなくてはならず、あるいはその場限りの享楽や商業的なマスコミに踊らされてしまう。

これは国家間の争いに限ることではない。夫婦間、親子間であっても同じである。すべては自分が正しいと思い込むことから争いがはじまっている。

少なくとも、誰かを悪人と決めつけたり、自分だけが正しいと思ったり、あるいは、自分には責任がないと思っている限り、この世からあらゆる争いというものはなくならないのだろう・・・

一言で戦争というけれど、実際に戊辰戦争で戦った祖父を持ち、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と、その生涯になんども戦争を見た羽仁もと子(私の敬愛する教育者)が、晩年に言った、「平和の道を歩むことは戦争をするよりもずっと難しい」と。「善によって悪に打ち勝とうとするには、悪をもって悪に勝つよりももっと大きな力がいる」と。

主義主張は人間の一部です。全部ではありません。人間から主義主張を取り除いて、なお残るその重要な部分において、どこまでも人と人は好意と同情と尊敬を示し合い信じあっていけるはずです。    『羽仁もと子著作集20巻』

国を強く憂う言動と種々の平和運動から、左からはナショナリスト、右からはコミュニストと非難された羽仁もと子。しかし実はそのどちらでもなく、彼女の主張は戦前戦後を通じて一貫してぶれていない。戦争といえば「先の戦争」だけを取り上げ、自分の主義主張から善悪を唱えている限り、日本人にとっても戦争は終わらないのである。

二・二六事件を人情ドラマとして描いた『雪のつもりし朝:二・二六の人々』は、戦争は、単純に背景に悪者がいるから起きるわけではなく、今も昔も人間同志の、複雑で哀しい因縁であること、そして生身の人間が殺し合わなければならない虚しさと、それを乗り越えて平和的解決を考える知性の大切さを再確認させてくれた。




『雪のつもりし朝:二・二六の人々』~天皇から一兵卒までの人間ドラマ①







暑い夏は、逆にこういうタイトルの本がいい。(習い始めたギターで目下、山下達郎の『クリスマス・イブ』を練習しているのだが、こっちはかなり違和感がある・・・それでもクリスマスまでにうまくなりたい!)

やはり8月は戦争と平和を考える月だし、この本は、先の戦争につながった二・二六事件のことであり、作者の植松三十里さん自身も、「戦争はダメだと伝えるのが自分の仕事」とあとがきの中で書いている。

それにしても、終戦日が新たな開戦日になりかねない今年の8月なのである。一体この世に戦争をしたい人などいるのだろうか。あるいは、過去の戦争や現代の戦争を考えても、これだけ多数の罪なき人を巻き込んで、命を犠牲にする価値のある戦争など、この世に存在するのであろうか。未開の地を奪い合ったり、国盗り合戦に明け暮れた戦国時代ではないのである。原爆の恐ろしさは知っているはずである。たった一発で人類の多くが消えてしまうような兵器を作って威嚇し合わねばならぬのは、なぜだろう。自爆テロの大半が、誘拐された女性によるものだという。戦争とは人間を兵器にする、究極の悪であるはずなのだが・・・

この本を初めて読んだときは、そのオムニバス形式に現れる登場人物をめぐる、切迫したストーリー展開を夢中になって追っていたが、再読してみて思ったのは、二・二六事件という、昭和の象徴的なクーデターにおいて、攻撃された政府高官も、攻撃した陸軍上層部も、彼らに引きずられた兵士たちも、誰かが決定的かつ一方的に悪いわけでもないということである。

この本によれば、岡田啓介首相も、その身代わりになって死んだ義弟の松尾伝蔵も、九死に一生を得た鈴木貫太郎侍従長も、実に立派な人間である。反乱軍に国賊呼ばわりされるいわれなどない、国のために身をささげてきた人たちだ。一方で、鈴木侍従長宅を襲撃した安藤輝三隊長も、この事件がきっかけでのちに映画『ゴジラ』を監督することになる本多猪四郎一兵卒もなかなかの人格者である。そして、天皇のために決起したはずの陸軍将校を厳しく粛清しようとした昭和天皇も、陸軍から信頼の厚かった弟の秩父宮も、それぞれの立場でやるべきことを全うしてきたにすぎず、非があるというわけでもない。

背景には貧困という哀しい事実があり、それを悪化させたのは、軍備拡張という事態であり、ゆえに政府高官は軍縮に取り組んでいたのであるが、この事件から、むしろ事態は悪化してついに世界大戦に突入してしまうという皮肉。

この小説では、二・二六事件に始まって、終戦、戦後の日米安保条約の提携までの紆余曲折にそれぞれの立場でかかわった人々の、公式文書にはあらわれないであろう裏話を描き出している。天皇と秩父宮の乳母を勤めた鈴木侍従長の妻のタカや、講和条約締結に尽力した吉田茂の娘の麻生和子など、平和への道を開くにあたり女性の果した役割も小さくなかったことも分かる。それにしても、天皇をこれほどヒューマンに描いた作品も珍しいと思う。ここに出てくる昭和天皇は、映画などでよく見る硬直した君主ではなくて、矛盾に満ちた立場にあって喜怒哀楽のある人間らしい天皇であり、この辺は女性作家らしい描き方だと思われる。

植松さんは、昭和史は評価が難しいからまだ書き手が少ないというようなことをおっしゃっていたが、それでなくても私たちの世代にとって、学校の近代日本史の授業はあっさり流されて、二・二六事件は大雪の中で起きた怖い事件だったという印象しかなかったし、財閥のトップや首相が次々暗殺されたあの時代も、今のIS国を見るがごとく、まるで別の国の出来事のように思わされてきた。こうした重要な事件を、無味乾燥の年表上の出来事としてではなく、生身の人間を登場させて再現できるのも小説という力なのだろう。

この本に描かれた「二・二六の人々」を通じて、戦争とはだれもが否応なく加担しうるし、巻き込まれることが見えて来る。そしてその背景に必ずある貧困という問題。これについて、もう少し考えてみたいと思う。

つづく

『ひとつぶの宇宙:俳句と西洋芸術』~俳句は日本の宝だ!



本阿弥書店より出版


作者の毬矢まりえさんは、若くして海外で学ばれた国際派で、西洋文学の研究家であると同時に俳人として、俳句の世界遺産登録申請運動にも携わる活躍ぶり。この本は、究極の芸術表現ともいえる俳句を、西洋芸術と比較して論じたものである。

正岡子規が、友人の画家中村不折を通じて西洋絵画の「写生」の概念を知り、それを句作に適用して近代俳句の基礎を作った一方で、フランスの批評家ロラン・バルトや詩人のポール=ルイ・クシューが、芭蕉や蕪村に影響されていたーー。こうした国際間の相互作用が、たくさんの例句を引いて、詳しく書かれている。

私たちが何気なくやっている俳句だが、たしかに宗祇がいて、芭蕉がいて、蕪村がいて、子規がいて、虚子がいて、そうやって時代とともに俳句という表現形式に息を吹き込んできてくれたからこそ、いまここに歳時記もあり、さまざまな結社や俳誌があって、俳句という文化も存在するのだろう。その過程には、子規のように新たな表現方法を探して西洋の概念を取り入れる人もいたし、同様に西洋にもまた日本の俳句から、表現の神髄を学ぼうとした人たちがいる。

ジャポニズムがあれだけ印象派に影響を与えたように、あるいは、フランク・ロイド・ライトやアントニン・レーモンドが日本建築からインスパイアされたように、俳句もまた多くの西洋の表現者にとっては、魅力のあるものらしい。「俳句は羨望を起こさせる。その簡潔さが完璧さの保証となり、その単純さが深遠さの確認となる」とはロラン・バルトの言葉。

作者は、本の冒頭でマルセル・プルーストの散文を挙げ、彼の試みた、丹念な写生や描写の積み重ねによって到達しうる自然の深遠な境地を、俳句という形式がたったの17文字で成し遂げる可能性について論じている。そして虚子の晩年の句――明易や花鳥諷詠南無阿弥陀――を引いて、感動が深遠なものへと、物から心へ、より高きものへ向かうのだと説く。

さらに、彼女は俳句をなんとダークマター(おお、私の大好きな暗黒物質!)になぞらえる。

ダークマターは宇宙に確かに存在し、この宇宙に大きな影響を与え続けている物質である。俳句もまた文学という宇宙空間に確かに存在し影響を与えるものとはいえないだろうか。俳句の一句一句は小さいものかもしれない。太陽のように巨大な発行体として君臨しているのではないだろう。けれど俳句は多様な国々に革新的な影響を与えてきたのである。多くの文学者、芸術家にインスピレーションを与えているのだ。 
繊細かつ簡潔、イメージ力に溢れ、大胆でありつつ洗練された俳句。伝統と革新が両立し、小景も遠景をも包含してしまう俳句。クーシューはそのような俳句を「一瞬の驚き」とも評している。一瞬一瞬を切り取り表現してしまう日本人の感性に、ヨーロッパ人は感嘆したのである。

「俳句とはポエジーのダークマターではないか」、と作者は言うのだが、まあこの飛躍が俳句的ともいえるのかもしれないが、ずいぶんと大仰な(笑)。しかし、俳句が一瞬一瞬を切り取って表現する、日本人独自の感性だと言われれば、たしかにそれは面白い。

作者は俳句をカンディンスキーのコンポジションにもなぞらえる。コンポジションとは、画家が視覚的に獲得したものをいったん内面的に沈潜させ、検討し練り上げてから組み立てる(コンポーズ)するもので、自然や事物をありのままにリアリスティックに表現するのとは違うという。「内面的視力」を持つことで、吸い殻のような小さき命のないものも、「魂」を打ち明け、「心の秘奥」を体得できる・・・いわゆる「心の目」でみるということ。一方で、心を空しくして見なければ、自然の本来の姿は見えてこないともいえるのだが。

このほか季語についてもさまざまに考察されている。何気なく使っている季語だが、これもまた、日本人独特の感性が長年をかけて編んできた文化遺産だと言われれば、すんなり納得できる。

ニュージーランドの知人宅にいたときのことである。外では蝉が鳴いていた。「うるさいわね」と顔をしかめる彼女に私は言った。「日本では蝉の声を蝉の雨(蝉時雨)といって、夏の風物詩として愛でるのよ、そればかりじゃなくて、蝉の抜け殻や落ちて死ぬ蝉までも。蝉の抜け殻って英語でなんて言うの?」「a cicada’s case?」「うわ、そのまま。日本では蝉の抜け殻が、千年以上も前に書かれた長編小説の主人公の恋人の名前になるくらい風情のあるものなのよ!」

英語の辞書で引くと、空蝉は「cicada’s shell」となっているが、shell (殻)だろうがcase(入れ物)だろうが、ニュージーランド人(あるいは英語のネイティブ)にとってはどう呼んでもかまわないくらい、取るに足りない、風情など全く感じ得ない、たんなる抜け殻なのだ。といっても、日本人だって俳句をやらない人にとっては、どうでもいいものなのかもしれない。昔から季語として愛されているがゆえに、風情を感じる・・・という逆説も成り立つ。

桜だって、朝咲こうと夜咲こうと、俳句をやらない人には同じだが、歳時記に、朝桜、夕桜、夜桜とあれば、それぞれの違いを感じようとするし、花の雨、花曇り、などといわれれば、せっかくの桜の時期なのに残念だなどと思わずに、しっとりした情緒を味わえたりもする。そう考えると、季語は日本人ならではの感性の結晶であり、日本人にうまれたのなら俳句をやらなければ損だという気もしてくる。

一方で、作者は、こうした季語の持つ一定のイメージないしは虚構性が、俳人の足かせにもなり得ると警告する。例えば、「蝉時雨」という季語によりかかり、実際の蝉の声を自分の耳でしっかりと聴かなければ、季語が死んでしまうという。

俳句をとても英語にはできないと思っているので、俳句の国際化というものがピンとこなかった私だが、この独特の形式が、他国の人に影響を与えることは、この本で納得がいった。しかし、風土というものを考えると、やはり日本のこの四季があっての俳句であり季語であると思う。それは、一般に言われているように、日本が自然というものに親和性があるからというのは、あくまでも西洋との比較であり、インドや台湾に暮らしたことのある私からしてみれば、熱帯性の国の方がもっと生活と自然が密な気がする。特にインドでは、地べたに座って裸足で歩き、箸やフォークを使わずに手で食べたりもしたし、自分自身がもっと自然と一体化している感覚になれる。スラム街では、周りにある素材――場所によっては、石、土、粘土、段ボール、ビニールシートなど――を使い、隣家の壁を自分の家の壁として、まるで細胞が分裂していくような形で増殖していく暮らしぶりも目の当たりにした。という意味からいって、日本人は自然と一体というより、自然を身近に感じつつも間接的に捉え、信仰の対象として、また心象の表出手段として扱ってきたと思われる。そうした客観性がなければ、ただ落ちただけの椿、枯れた蓮などを愛でる文化は生まれまい。

それにしても、落椿や枯蓮・破蓮など、日本人は自然を愛でるといいつつも、意外とネガティブというか、生命賛歌とは言えない季語が多いことに驚く。蛇の衣とか、凍滝とか、枯野とか、生命感の乏しいものに思いをはせるのも、カンディンスキーの言う「心眼」のなせる業か。

英語には形容詞が多く、たとえば日本語の「おいしい」を表現しようと思ったら、いくつもの言い方が思いつく。日本人がよく使うdeliciousだとかtastyだけでなく、yummy, wonderful, super, fabulous, beautiful, great, amazing・・・とキリがないくらいに。逆にネガティブな形容詞も多い。つまり、ポジティブとネガティブを表現するには、とても豊富な言い回しがあるのだが、その間の微妙なニュアンスの言葉が少ないような気がする。「風情がある」「味がある」などという言葉は、とても一言では英語で言えない。

蚯蚓鳴く、亀鳴く、紙魚走る、蟭螟(蚊のまつ毛に棲むと言われる架空の虫)などの滑稽味のある表現や虚構の季語も面白い。そして、この高度に洗練された独特の感覚から生まれた季語を使って、作者ならではの見立てで、心眼を持って、卑近な人事はもちろん、蟻の穴を覗いて宇宙の果てまで見てしまえるような闊達さというか、スケールの大きさがある、それが俳句の面白さだろう。

ところで歳時記には現代の私たちにはもはやなじみの薄い季語も多いが、日本人である以上、祖先から受け継いだ記憶から、見た事がなくても、あるいは使ったことがなくても共感できるとして、作者は、蚊帳、火鉢、竈猫などの句を挙げている。一方で限界もあり、若い世代の俳人に季重なりの句があるのはその表れだともいう。ほのぼのと餅は黴つつ春を待つ(大谷弘至)・・・たしかに餅、黴、春を待つ、と三つの季語がある。

この本では、このほか、山口誓子、沢木欣一、小池文子という三人の俳人を取り上げ、俳句の中に受け継がれる芭蕉以来の漂白の精神についても論じている。そこには日本人特有の無常観があり、季語の中にも移ろいを表すもの―――初霜、冴え返る、春動くなど、季節の微妙な動きを示すものが多いと指摘する。


私は、20年ほどやってきた俳句の壁にぶつかってもがいているところなので、参考までにこの本を読んでみたのだが、いろいろな示唆に富んでいて、たしかに俳句は日本の宝であること、しかも俳句をやるやらないにかかわらず私たちの祖先が築き上げてきた、生活に根差した美意識、あるいは滑稽・おかしみ・達観(つまり俳諧味)や無常観のなかから生まれてきたという事実に気が付いた次第である。

日本人としてこんな魅力的な俳句を、やっぱりやめられそうにない。よって、自分の心眼をどう磨くか、それが目下の課題であろう。


『私と日本建築』~アントニン・レーモンドの見た日本



ライトに続いて、彼の帝国ホテル時代の弟子であったアメリカの建築家アントニン・レーモンドについて読み始めた。ライトが日本の文化や建築にインスパイアされて、美術品や浮世絵を収集したり、自分の設計に何らかの影響を与えたというが、レーモンドは、ホテル建築の来日以来、戦争中と最晩年を除いてずっと日本に暮らして仕事をした人だから、ライトよりいっそう日本とその建築に対する造詣が深かった。

ライト以上に具体的に日本建築の素晴らしさを理解し、またそれを自身の作品に反映させたし、また劣化してゆく価値への危惧を強く抱いていた。

レーモンドが日本とその建築をどうとらえたかは、実際に彼の文章を読んだ方がよくわかるので、引用してみる。

40年前(1919年)、私が来た頃の日本の民家は、物質的にも、精神的にも、必要なものを統合した一つの驚異であった。おそらく、世界のどこにも見出すことのできないたぐいのものであった。民家は、茸か、木のように大地に生えたものであり、自然であり真実であった。その内部の機能が、自由に、しかも完全に表現されていた。その内部の機能が、自由に、しかも完全に表現されていた。あらゆる構造材は、積極的に外部に露出し、構造そのものが仕上げであり、それが唯一の装飾であった。あらゆる材料は自然材であったし、選別され、職人によって仕事がなされた。すべてにわたり、また周囲においても単純で、率直で、機能的で、経済的なものがあった。人々、その着物、その調度、その陶器、絵画、庭園のすべてが、自然の中のあらゆるもののように、自然の家庭により年月を経てはっきりした進歩を示し、すばらしい目的統一を表現していた。大自然の比類ない愛を、明瞭に示していたのである。
爾来、私は基本的な日本建築の原型を学ぼうとするよりも、常にその存在に感謝し、絶対原則が含まれていることを意識してきた。原則は、おそらく常に同じであり、不変であり、また将来もそうであろうが、真の美をつかまえようとするわれわれを、導いてくれるに違いない。
私は、本当の日本の伝統が、今世紀の初頭、現代建築の設立者たちによって形成された、よいデザインの原則と、正確に一致するのを見出したのである。真の伝統は、知識と経験の宝庫であり、何世紀もの自然発展の結果である。
日本人の堅実さ、仕事に対する情熱、その紀律、忍耐力。人間の尊厳の維持と、酷い環境の中での気品の維持、みじめさからの脱却を、私は尊敬している。日本人の大自然への密接さ、彼らは大自然とひとつになり、共に生きる気分を持っている。日本人は、気持ちよりもむしろ心を信頼し、考えよりも感覚を信頼して、その安全装置としてきた。私は殆ど、他のどこの世界よりも、真に人間的尺度を湛える、日本の大自然を尊敬し、くつろぎを感ずる。その人間的尺度は、日本の絵画、彫刻、建築に証拠だてられたように、日本の芸術家や職人の中に、何世紀もの間を通じ、成功のうちに伝えられてきた。エジプトや、ローマ、ファシストたちが到達したモニュメントの類いのように、巨大なものになったり、記念碑的寸法には決してならなかった。言い換えれば、自然と人間との統合と、適切な環境にするための人間の努力とが、日本にあっては充分に達せられていたのである。


レーモンドの事務所に長くいた建築家三沢浩氏による翻訳も素晴らしい。彼はレーモンド研究家の第一人者で、ライトに関する書物もある。かつて私は、明日館の三沢氏の連続講座を受けたことがある。あの時のテーマはライトだった。

研究者によると、ライトは自分が日本建築の影響を受けたことを認めたがらないと言われる(ホントかなあ、研究者特有の穿った見方のような気もするが・・・ライトは日本建築を見て自分が考えて来たことが正しかったと確認したというようになっている)。その点、レーモンドは諸手を挙げて日本建築をほめたたえ、その特徴を積極的に自分の設計にも取り入れたのだと主張する。ライトは、仏像や浮世絵など日本の骨董品に興味を持ったが、庶民の暮らしはあまり評価していなかった。ところが、レーモンドは、日本人の普通の暮らしに興味を持った。


当時、帝国ホテルに住んだ後、私達(ホテルの内装を手掛けた妻のノミエとふたり)は郊外に小住宅を借りた。全くの村で、鉄道によって都市に接しているだけのことであった。日本の住宅は畳の上に座り、眠ることで、広く世界に知られている。私たちの住まいもその類いの純日本式で、暖房も湯もない生活であった。しかし、この小さな、見栄を持たぬ典型的な住まいは、少しばかりではあるが、ぜいたくな庭がついて、丘の上にあり、豊富な経験のセンターであった。私はその体験を、高く現代化された世界の国々に、分かち合いたいと考えている。
村の中に誰かが新しくやってきたかをみるために、村の長老が訪れる。商店からは使いの小僧がやってくる。土地の食堂は、一枚の大きな板にかかれた、達筆の当日のメニューをもって毎日たずねてくる。通りからは行商の売り声が聞こえる。豆腐屋のラッパ、そばやの笛が聞こえる。夜ともなれば、夜廻りが拍子木の調子を合わせて打ちならし、通りを駈けおりながら、寝しずまった住民たちに、火と泥棒の用心をよびかける。蒸気の笛を鳴らすキセル直しのラオ屋。頃は春、中でも嬉しいのは、どこかの片田舎にあって、農夫が天秤棒を肩に、調子をとって種蒔きするとき。やや足早に畝を上り、あるいは下りながら、鳥がさえずるように歌う。歌は胸にあこがれを呼び、その後いつまでも、心にその歌をうたう時、焼きついてはなれない。
神社の祭りに、人々は着飾り、戸ごとに提灯をさげる。人々は社に詣で、柏手をうち、賽銭を箱に投げ入れ、銅鑼を鳴らして祈る。そして、派手な色の飾りでうめつくされた、店や屋台を訪れる。
灯火のともる夕方ともなれば、巨木の下では、相撲大会がひらかれる。皆は、茶屋の番頭が、魚屋と必死の闘いを演ずるのをみる。やぐらにすえられた大太鼓の、ときめく胸の鼓動のような音が、静かな夕空に向かって、村の広場から立ち上がる。それこそ、日本の情景の持つ意味を、すべて盛りこんだものであろう。創造における人間の人間たるゆえんを、簡単にくりひろげたものなのである。

なんとまあ、上手に日本の、ある時代の情景を描き出したものだろう。豆腐屋のラッパ、火の用心の拍子木、農夫の鼻歌、神社詣での柏手と銅鑼とお賽銭・・・日本の日常やハレの日の音が、彼にとってとてもすてきだったのだろう。何気ない近所の人々との交流がうれしかったのだろう。「創造における人間の人間たるゆえん」か・・・この風情、この詩情、当時のレーモンドでなくても、私ですらもはや異邦人の目つきで当時を眺めてしまう。きっと彼の見た日本は、こんなかんじじゃなかったかしら。

当時の写真集より(よくありがちな写真だけど、今とは全く違う世界)


東京郊外のお花見

車がない、看板がない、柵がない、色は花と着物だけ 


農家も農民も美しい・・・ 

こんな宝石のような日本人もいたのか!



亀戸天神(今は周りはビルだらけ)

昔の葬式は特別な雰囲気があった。今は葬儀場でベルトコンベアー式に


レーモンドの暮らした麻布の家のほぼ同じものが高崎にある。地元の文化活動に尽力した井上房一郎が、レーモンドから設計図をもらって戦後にたてた家だ(文化財として公開されている)。麻布の家は戦災で消滅したが、母屋に続いて設計事務所があった。そこに三沢氏や前川國男が勤めていたのである。ここでのレーモンド夫妻の暮らしぶりは、三沢氏の著作『おしゃれな住まい方~レーモンド夫妻のシンプルライフ』に詳しい。

この三沢氏の本を読んで、高崎の井上邸に行ってみると、レーモンド夫妻が日本でどのような暮らしをしたかがおぼろげに分かってくる。たしかに質素な、というか簡素な家である。足場丸太といわれる柱がそのまま露出していて、家の中にいるのに、半分くらい外にいるような開放感のある家だった。壁は薄いべニアで、部屋と部屋の区切りは障子と襖で、和風とも洋風ともつかない、まさにレーモンド風。インテリアデザイナーだった妻のノエミの、主張のない、それでいてシックな家具が、室内を上品に仕上げている。

食事は玄関のパーゴラの下で、雨が降ればそのまま寝室へテーブルを動かして、そんなふつうの彼らの日常・・・ぐっと来たなあ!





『時代を生きた女たち』~宝石箱のような一冊





この本はまるで宝石箱だと思った。35個の輝くアンティーク・ジュエリーが入っている。どれも全部違って個性的なデザインの。

私は時々美しく老いている人―男でも女でも―を見て、芸術品だなと思うときがある。その人が一生をかけて作り上げてきた人格や外見。生い立ちもその後の経験も含めて、全部がその人の表情や姿勢や立ち振る舞いや考え方を作り上げる。いい加減に生きて来たのでは作りえない気品や自信が表に現れている。

有名人であるなしに関係なく、あるいは時には年が若くても、幼少期から数十年の間でも日々培ったものがあれば、どことなく芸術的な人もいる。そういう人が年を重ねると、それこそいぶし銀のような魅力になるのだろう。そして、それがお似合いの夫婦だったとしたら、それは二人の個性がまじりあって支え合う本当に素敵な芸術的カップルだ。

実際そんな風に思わせてくれる人は少ないのだけど…ましてや宝石になるほどに原石を磨くことは難しい。

この本に出てくる35人の女性たちは、いずれも輝くばかりの才能を発揮した人たち…有名なところで、大山捨松、人見絹江、岡本かの子、小森和子、皇女和宮、沢村貞子、与謝野晶子、長谷川町子など…時代もジャンルもいろいろの、作者の植松三十里さんがほぼご自分で選んだ対象の一代記を、化粧品メーカーの月刊誌に連載してきたものであり、それが一冊にまとまっているのだが、こんなに様々な人の人生を書いてしまう植松さんの守備範囲がまずすごい!

私の全然知らなかった人も多い―茶貿易で財を成した大浦お慶、明治の天才マジシャン松旭斎天勝、輪島塗の名工天野わかの、女性初のパイロット兵頭精、アイヌの天才少女知里幸恵、『里見八犬伝』を口述筆記した滝沢路、富士山頂で気象観測をした野中千代子など、半分近くは名前も知らなかったり、聞いたことはあってもよく知らない人だった。明治期に東北地方を旅したイザベラ・バードやハワイ王朝最後の王女プリンセス・カイウラニなど、日本にゆかりのある外国人も紹介されている。

へ~、こんなえらい女性がいたんだ、と驚かされる。一人一人の密度の濃い人生が、生い立ちから死ぬまでにわたって、じつに分かりやすくまとめられているので、あっさり気軽に読めてしまう。とくに興味を持った人物がいたら、評伝や自伝を呼んでほしいと、植松さんも書いている。

「この中にあなたの目指す女性がきっといる」と表紙に書かれているが、敢えて考えてみると、みんなすごすぎて、私のような凡人には目指せそうにない…そういう人は、「十年寝太郎」でもいいから、流されてもいいから、平凡な日常を生きていればいつか花が開く、晩年に活躍した人も多いのだから、と作者はあとがきに書いている。

私の世代(1967年生まれ)は、進学したかったけどできなかった、離婚したかったけど経済力がなかったという母親が多かったり、男女の機会が均等化されてきた時代だったので、大学に進学して就職させてもらうのがわりと当たり前で、結婚や出産は、社会に出てやるだけやってみてから考える、という風潮が強かった。たぶん同級生の半数近くは結婚していないかもしれない。結婚しても子供がいなかったり、離婚した人も多い。つまり家庭的であることはあまり尊重されていない時代の申し子だ。

では結婚や出産をせずに、あるいはそうしたところで仕事を優先して、この本にある女性たちのように、自分の人生を投げうってまで、大義や人や家族のために、あるいは社会のために生きたかというと、それはない。自分のために、という感じが一番しっくりくる。

う~ん、この違いは何だろう。時代なのだろうか。少なくともここに出てくる35人の女性は(太宰治と心中した山崎富栄や坂本龍馬の妻の楢崎お龍など、社会的に活躍しなくてもそれなりの男性を支えた女たちも)、出自が普通ではない。資産家か家柄がとてもいいー家老の家とか、将軍の孫とか、議員とか、さもなければ、親が天才ピアニストとか漢学者とか。そういう社会的地位の高い家に生まれて、教養のある親や親せきに育てられて、選ばれた人間であることを早い時期から自覚していたのではないだろうか。

私は子どもの頃『偉人の話』という本が好きで、そこに出てくる人たちに憧れていた。たしかフランクリン、キュリー夫人、画家のミレー、良寛さま、豊田佐吉などが出てくる本だった。その人たちの滅私奉公の生き方にえらく感動していた私は、大きくなったら「偉人」になりたいと、本気で思っていた。今でもどこかにそういう気持ちはあって、せっかく生きているのだから、そして子供もいないのだから、何か社会的に役立つことに人生を使いたいとは思うのだけど、現実はどうもままならない。

だいたい親が普通である。農家に生まれた父は(おおもとは武士の家らしいが)、とにかくお百姓さんより楽な仕事をしたいと工業系の学校に進学し、メーカーに勤務したのち脱サラして商売をした。母は21歳で結婚して、商売は忙しく、二人とも高邁な志を持っていたわけでもないし、ましてや子供を「偉人」に育てるなんて考えもしなかったであろう。

働き者で明るくて真面目でやさしくて、とてもいい親である。でもそこからやっぱり鷹は生まれないのだろう。私は本が大好きな子供だったが、親は本を読むより家の手伝いをさせたがった。こうして適度な田舎で育った私は、のんびりと欲もなく、欲もないから向上もしない代わりに敵も作らず、なんとなく平和に生きてきた。もちろんそれなりに勉強や仕事の苦労はしたけれども、この本に出てくるような壮絶な体験はない。人生はスタートから決まっちゃっているのかな。

もし私が大山捨松のように、会津藩の家老の家に生まれて、戊辰戦争で城に立てこもり、目の前で家族を殺されて、北海道で凍死か餓死しそうになって、フランス人宣教師の家に預けられて、親の希望でアメリカに留学させられたら、そしてそこからは自分の努力だけど、祖国の人たちの希望を背負って一生懸命勉強して、世界を見て日本に帰ってきたら、私もきっと女子教育をしようと思ったかもしれない、津田梅子のような同志がいたら。そして大山巌のようなフランス留学をした陸軍大臣のプロポーズを受けたら、彼と結婚して、鹿鳴館で国際外交を果たそうと思うかもしれない。

あるいは、山崎豊栄のように、裕福で教養ある家庭に育ち、親の事業を継ぐ立場にあったら、私だってそれなりに頑張るだろう。そこにハンサムで今を時めく太宰治がやって来て、「死ぬ気で恋をしてみないか」と言われたら…彼がほかの女との間に子供を持っても、彼のために貢ぐし、心中してくれと言われたら、してしまうかもしれないな。

私がどうのという前に、生い立ちから人生はある程度決まっているのだろう。

だけど中には共感できない人物もいる。与謝野晶子に生まれていたらどうだったのだろう。彼女も同様に、資産家の教養ある家系である。私がそのように生まれ、文才に長けていたら、やはり与謝野鉄幹の才能と男ぶりに惚れただろう。そして彼が次々女性を作ったら…この時代、私でも離婚はしないかな…だけど11人も子供を産むなんて…いくら産児制限ができない時代でも…よっぽど鉄幹を愛していたのだろう。しかも鉄幹がパリへ渡るとなると、その子供たちを妹に預けて、パリへ行ってしまうなんて。育てられずに里子に出すほどの数の子供を産んだり、何度裏切られても夫を愛し続けたり―これはちょっと共感するには難しすぎるシチュエーションだ。そんなに多くの子供を妹に預けちゃうというのもすごい。これは晶子が常人じゃないというより、時代もあるだろう。そのくらい子供がいるのは珍しくないし、ほかの女性の例にあるような、戦争や病気で夫や子供が次々死んでしまうというケースもよくあったことなのだろう。

というわけで、立場の違いというより、時代の違いが、彼女たちへの共感や理解を阻むことになる。それから、知的障害児の施設を創った石井筆子や二千人もの日米混血児を救った澤田美喜などは、おそらくキリスト教信仰がベースにあっての偉業だと思う。日本の教会の父と言われた植村正久が「自分を犠牲にしてまでしての善事は、自分を本尊にしてはなしえない。神を戴いてこそ、自分を超える力が発揮される」と言っているが、この二人の女性などは、まさにその通りに生きたと言える。自分を犠牲にしても取り組みたい大義、そのための努力や勇気は、個人の中から出てくるものではないだろう。私にはそこまでの信仰心がない…

最初に彼女たちの人生を宝石に例えたが、その美しく輝く人生は、いずれも原石が磨かれてみがかれてできたものだ。尋常でない苦労や哀しみや努力によって磨かれたものである。教養ある家柄に生まれ、社会的な意識の高い素地ができたところへ、没落して貧乏になったり、戦争で負けたり、親が死んだりと、必然的に苦労を強いられる。その苦労が深い信仰に導かれることもある。今の世の中は、原石を磨くような苦労や哀しみが存在しない。

そのくせ、一人の子供を育てるだけでもたいへんという、なぜだか自分のことでいっぱいいっぱいのゆとりのない女性ばかりになった。あるいは社会の何に役立っているのか分からない会社で身を粉にして働く女性ばかりになった。この本にある女性のように、勇気やオリジナリティを発揮することより、そつのない社員、そつのない妻、そつのない嫁、そつのない母親―こうした役割を果たすことが一番だと思わされて生きている。それは今も昔も同じかもしれないけど。

今の世の中で一番成功している女性って誰だろう?女性の政界進出が目立つ。イギリスもドイツも女性が首相だし、アメリカでもフランスでも大統領候補は女性だった。日本でも小池さんをはじめ知事に女性が増えて来たし、女性党首や大臣も珍しくなくなった。一方で、「イクメン」などという言葉があるように、仕事も子育ても男女が協力して行うことがだんだん当たり前になってきている。つまり昔に比べて女性の社会的に活躍できる時代になったのだろう。それは、この本にあるような、女性たちの苦闘の歴史によって徐々に実現したのだろう。今や、女性だから、とか、女性ならでは、という言い方も古いのかもしれない(今回は女性の本を書いた女性の植松さんも、男性を主人公にした硬派な歴史小説をたくさんものにしているし…)。

時代が人を創る。そういう意味では、現在のヒロインは、断捨離の提唱者のやましたひでこさんや、ときめきの片付けの近藤麻理恵さん、ミニマリズムに火をつけたゆるりまいさんなどが、大量なモノに溺れそうになりながら捨てることのできない現代人の救世主といえるかもしれない。彼らの活動は確実に社会の役に立っていると思う。

AKBなどのアイドルたちは、オタクとか草食系というような新しいタイプの男性の救世主といえるかもしれない。相当の経済効果は生み出している、少なくとも…


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35個のアンティーク・ジュエリーの入った箱のような本を閉じて、私は思う。凡人の親を持ち、のんびりした時代の田舎育ちの私には、どうしたって時代の急流についていけそうにない。でも流れに棹さして、十年寝太郎をきめ込んでいれば、いつかきっと何かの機会に人さまのお役に立てるかもしれない。有事に役立つときに備えて、平和な時は寝ていよう、そのまま平和ならそれはそれで…

そして、毎日を淡々と生きていても、心がけさえ悪くなければ、それはそれなりに素敵な作品になるでしょう。いぶし銀のような、素敵な皺のあるおばあさんになれるといいのだけど、とりあえずは、ジーンズが似合ってギターのうまいおばあさんを目指している。




『ネグレクト』&『「子供を殺してください」という親たち』、そして羽仁もと子②

前回の続き

インパクトあるタイトルだなあ


作者の押川剛さんは、問題児の親や兄弟から依頼され、当人を説得し精神病院に入院させたり、自分の施設で保護監督するという仕事をしている。そして、その子を含む家族を物理的精神的にケアしながら医療関係者や雇用者とつないで、暴力等の再発を抑えようとされている。

しかしまあ、こんなに難しい仕事もないわね。親たちから「子供を殺してください」といわれるような仕事だなんて。こんな仕事、世界のほかのところにあるのだろうか。ヒットマンならいるだろうが。

もしかしたら、これは日本固有の仕事かもしれない。というのは、親の命が脅かされるほどの状態に子供がなってしまったのには、日本独特の世間体を気にする体質がありそうだからだ。こうした親はたいてい世間体を気にするだけのエリートである。普通の家だったらそこまで気にしないかもしれないけど、家柄がよく一族みな高学歴の家では、子供に大きなプレッシャーがかかる。子供は勉強ができて当たり前で親を喜ばせようと一生懸命だ。兄弟の全員が勉強が得意というわけではないのに、常に出来にいい方と比べられる。

そういう子供は高校生や大学生ぐらいまではなんとか頑張っても、受験や就職の失敗で、一気に爆発してしまうのだ。学校へ行かなくなる、会社へ行かなくなる。でもそういう家庭たいてい裕福なので、生活には困らないし、うっぷんを解消するための浪費も支えられる、そのことが事態を一層悪化させる。

しかも家柄がいいから、子供の引きこもりや狂暴化が周りに知られないようにしてしまうので、ますます子供がつけあがる。この本に出てくるケースはほぼ同じパターンである。母親も父親もあまり挫折したことがなく、子供の気持ちが分からない。あたふたと子供の言いなりになって奴隷化する母親と、仕事が忙しいからと見ないふりを決め込こむ父親。しかし、彼らの命が脅かされるようになると、第三者に依頼するしかなくなる。

こうした親の苦悩も分かるが、親を殺そうとするくらいにめちゃくちゃに気が狂っていく子供たちがほんとうにかわいそうだ。そんなことしたいわけがないが、どうすることもできない。一番喜ばせたかったお母さんを一番苦しめている自分がどれだけ哀しいだろう。病院に送られるときは、裏切られた気持ちでいっぱいだ。遅すぎた反抗期は何倍も何倍も激しいのだろう。どれだけのプレッシャーだったろう。

作者の押川さんは、大人になれなかった子供たちに振り回され、時に嫌悪しながらも、やはりその親たちに戦う覚悟がないと指摘する。いつまでも世間体を気にし、人のせいにし、お金で解決しようとしたり、子供を見捨てようとしたり…

羽仁もと子は、「富貴の家ほど子供の教育に悪いことはない」とはっきり書いている。彼女の創刊した『婦人之友』も自由学園も、当時はエリート家庭が主な対象だった。金持ちの子供は、比較的、虚栄心が高く、生活力が乏しくなりがちだと、雇人のいない学校を創って、自ら掃除や料理もさせている。物質的な豊かさが必ずしも教育的にいいとは限らないのだろう。

自らがエリートの親たちは、勉強のできない子供が理解できない。本当なら、そのままのお前でいいんだと言ってほしかったに違いない。誰もが一人違った個性と特質を持っている。

そして子供の方も、いつかは親が完璧でないことを知る必要があるだろう。親も親なりに精いっぱいだったのだ。親子だけでない、人間関係はみな同じだ。誰もが完璧じゃないことは、自分が一番よく知っているはずだ。人を許せない人は、まず自分を許していないのかもしれない。

羽仁もと子は、「すべての子供がよく出来得る子供である」といって、子供によっては覚えるのが早い子もいるし遅い子もいて、それは学力に関係がない、親や教師の忍耐と工夫次第で、たいていの子供を自ら勉強をするよう導いていかれると書いている。

『教育三十年』より

一人の人間を、あるいは学科からあるいは行儀作法から、あるいは他の局部的の長所や短所からみてほめたり貶したりするような教師や親にはなりたくないものです。そのためにまず親が教師が学校が、その愛する子供たちを十分に理解するために、ほんとうに飾らずに人間的な親しみと尊敬を交わし合うことが第一です。親と教師、親と学校の対立ほど、子供の進歩と教育に有害なものはなく、親と教師の同情と親しみほど、子供もたちの心情を豊かにし幸福になしえるものはないでしょう。(そうして)すべての子供が、すぐれた人になる道を、勇んで堂々とふみ出してゆくことができるものです。

う~ん、なんか根本的なことが、今の教育から抜け落ちている気がする。親だけでは教育できないが、今の学校や社会は、どこまでひとりひとりの子供の教育に真剣なのだろう。

ネグレクトも子供の親殺しも、親だけの問題じゃない、社会問題だというのはたしかである。子供がいないからという私だって社会人として、今のこういう社会をつくった何らかの責任を負っているに違いない。誰も悪気はないのに、殺伐とした世知辛い、生きずらい社会を無意識に作っているのだ。人は人、自分は自分、われ関せずと、子供にとって夢のない社会を作っている、知らず知らずに。

政治家も行政担当者も子殺しも親殺しも、私には誰も批判する資格がない。

もと子の教育はキリスト教信仰と切っても切り離せない。父なる神によって恵まれない人間はいない、という。彼女の究極の教育論は以下の通りだ。

教育の目的は何ぞというきく人があれば、真の自由人を作り出すことこそ、真の教育の目的であると、私は熱心に主張したい。
 考えてみよう、各々の意志の自由、その意志というものはどうしてできるか、意志は瞬間の間にできるものでなく、その人の長い間のあり方によって成長し定まってゆくものである。端的に言えば教育の力でできてゆくものである。
神のみ心によって、その経綸の中に他の万物とともにつくり出され、お互いに助けあい関わりあって生きる所の人間は、その教育も訓練もまた神とそうして万有とによってなされる。一人一人についていえば、その自分を教育してくれる、あらゆるものの示してくれる与えてくれるところのものを受け入れて、自己の生命を養い育ててゆかなければならない。
すなわち取ってもって自らを教育してゆく最重要最高最後のものは、自分のほかにないはずである。人はよく教育されて、よい人間に成長しつつあるならば、その意志もかならず正しく働くはずである。右せんか左せんかの決定は、いつでもただ自分一人の責任である。人間はそれがあるがゆえに貴く、人権の尊厳もそこにある。しかしそこに到るまでの教育は大切である。 
人はみな神と万有の力に感謝しつつ、虔(つつし)んでその教育をうけ、かかわりを生きなくてはならない。人の中にきまりきった一人の先生もなく、生徒ならざる一人の人もいない。みな共に学ぶ同志である。あらん限りの思いを尽くし力を尽くして、だれでも一心にみずから学びつつ進歩してゆかなくてはならない。
またそのようにして学んだこと、発見したことを精いっぱい実行して、この天地の中に活かしてゆくことが、神の経綸に奉仕つつ万有を助け治めてゆくことになるのである。同化も協力もまたその中にできてゆくのである。

私もまた生徒の一人に他ならない。




『ネグレクト』&『「子供を殺してください」という親たち』、そして羽仁もと子①



副題は「真奈ちゃんはなぜ死んだか」


自由学園の創立者の羽仁もと子の研究を細々続け、今ライトとの関連の文章を書いているのだが、羽仁もと子といえば幼児教育のパイオニアでもある。たくさんの育児に関するエッセイを書いているし、実際に幼児生活団という今でいう幼稚園も創立した。長女の説子はその道の研究者で、幼児教育の権威でもあった。戦争中に子供の疎開をいち早く国に提案したのも彼女だ。

残念なことに私は子供ができなかったので、もと子の育児エッセイを役に立てることはできなかったが、それに基づいて教育した人たちはたくさんいるだろう。皇后陛下の美智子さまももと子の愛読者でいらっしゃったし、おそらく皇太子をはじめとするお子様たちにも、もと子の提唱する子育て方法を取り入れられたと思われる。紀宮様は幼児生活団の通信教育をご利用されたと聞いたことがあるし、英国の皇室で出産があると、自由学園工芸研究所の知育玩具をプレゼントされていらっしゃった。

知の巨人、立花隆さんが何かの本で、お母様がもと子の信奉者だったのでその方針で育てられたと書いていたし、生物学者の福岡伸一さんのお母様とはもと子の創刊した『婦人之友』の愛読者の「友の会」の中心的リーダーで、ご一緒に仕事をしたことがある。あの明晰なお母様をして福岡さんのような秀才が育ったのだと納得する。

絶対音感という概念をいち早く教育に取り入れたのももと子で、生活団からはオノ・ヨーコや坂本龍一などの才能が出ている。

なので、私は妹に子供ができたときに早速生活団を勧めたし、友達に子供が生まれたりすると、もと子の本を読むように勧めたりしてきた。

だけど、どうも今は時代が違うようである???

私も自由学園に広報担当者として勤めたことがあるし、中学で教師をしている友だちや甥もいるし、保育園に勤めている姪もいる。フリースクールのようなところで働いている甥もいる…子供はいないけど、そのように周りに子供の教育にかかわっている人がいて、いろいろ話を聞いている。甥が保育園に勤めていた時、保育園の実情を垣間見たりもした。

う~ん、確かに、私が子供だった頃とずいぶん違っている。羽仁もと子の教育論は時代遅れなのかな…ネットをいろいろ見ているうちに、なぜか標記の二つの本を読んでみる気になった。現代の教育といっても極端なケースであり、いずれもかなりショッキングな内容だったが、ある意味現代の子育ての現状と結果を描いているとも言えなくはない。

『ネグレクトー育児放棄』の作者の杉山春さんも、『「子供を殺してください」という親たち』の押川剛さんも、それぞれこの極端なケースが単なる事件ではなく、すでに社会問題であると指摘している。ここまでのケースに至らなくても、子育てに関する親の葛藤や苦しみ、子供の孤立感と閉塞感が、ますます増大しているのが現状だというのである。

ふたつの本はある意味で反対の立場から書かれている。前者は夫婦が長女の育児を放棄した結果死に至らしめたケース。後者は子供の狂暴化によって命が脅かされている親たちが、その子を病院や施設に送り込んでも退院しては同じ目に合わされるので、いっそ殺してくれないか、と作者に訴えるという話である。

親から子への暴力と、子から親への暴力。いずれもこれらに書かれたエピソードは、私の想像を絶する壮絶さだった。

簡単に言うと、前者は幼馴染の男女が十代で女の子を産んだが、自分たちの幼さゆえに、うまく育てられない。そのため発達が遅れるのだが、さらに男の子を出産したため、長女がいっそう疎ましくなって虐待を繰り返す。良かれと思って介入してくる親たちが、一層事態を悪化させ、最後は長女が餓死してしまう。逮捕された夫婦の裁判を通じて、作者は彼らと手紙をやり取りしながら、味方になることもできないが、犯罪者と決めつけることにも疑問を呈す。

私は最初はもっと単純な話かと思っていた。子供が安易に子供を産んで、面倒になって放棄したら死んじゃった、みたいな。彼らの家族も行政も見放していたのだろうと。これはかなり有名な事件としてマスコミでも騒がれたらしいが、彼らは鬼畜のようなレッテルを貼られ、裁判では有罪になったらしい。

事実はそんなに単純ではなかった。若い二人(作中では智則と雅美)は若いなりに熱烈に愛し合い、授かった命(真奈ちゃん)を二人で大切に育てていこうと決心する。智則の両親は最初は反対していたが、息子に高校を卒業させたいからと、母子ともに自分の家に引き取って一緒に暮らすことになる。智則の母聡美は、孫をたいへんかわいがる。雅美の母も納得して、やはり孫をそれなりにかわいがる。智則は高校を卒業して就職し、若い親子は社宅に引っ越しする。

案外普通の人たちである。真奈ちゃんは望まれて生まれ、夫婦仲はよく、双方の両親も協力的で、金銭的にもさほど困らない――そのままいけば、そうだった。
誰もが真奈ちゃんをめぐってベストを尽くそうとしていたのだ。だから登場人物のだれが悪いと責めることもできない。歯車が一つ狂ったら、全部だめになってしまった。赤ちゃん、という大人の思いのままにならない存在が、若い母親の一人のものになったとき、すべてが狂っていった。

行政――つまり保健所、児童相談所の介入も、私が思っていたよりずっとまともだった。虐待が予想される一人の子供をめぐって、あれだけ多くの人たちが話し合いをもったり心を砕いていたとは思わなかった。作者や弁護団は行政担当者の対応の問題点を指摘したが、子育てというプライベートなことに、あれほど行政が関心を払っていたとは、私は全く知らなかったので驚いた。

しかし母親が心を開いて助けを求めないかぎり、行政も助けることはできない。

一言で言えば、真奈ちゃんの母親の雅美が、親になるには子供すぎたのだ。義母の好意を受け入れられない。実母には本音は言えない。仕事で疲れている智則の気持ちを察することができない。発達が遅れている真奈ちゃんが恥ずかしくて、保健所の担当者に会いたくない。担当者は心配して何度も訪ねたり電話をするのだが。

だけど雅美を責めるのも難しい。子育ては誰にとっても大変なのだから、というより、彼女の育った環境からして、愛情深い母親になるのは無理だ。彼女自身が貧困家庭で父親に性的な虐待をされている。じゃあ母親の秀子が悪いかといえば、彼女自身も虐待と貧困に苦しめられていた。

智則にしても母の聡子は次男を失くし、ギャンブル好きの夫に苦しめられて離婚した。そんな母親の感情のはけ口として、智則もまた体罰を受けて育っている。母はホステスとして働き始め、再婚して経済的に豊かになったが、今度智則は学校でいじめにあう。
おそらく聡子もまた虐待されて育ったのだろう。

負の連鎖である、さかのぼればどこまでも続く…

愛された記憶のない雅美も智則も大人を信用できない。だから子育てに行き詰まると、ストレスを通信販売やゲームに向けてしまう…

私のようにかなりまともな両親を持つ場合でも、いろいろなかけ違いからいじめにあい、親や先生に相談するほど信用もできず、今でもなにかと不必要に人に気を使ってしまって、疲れて、面倒になると正面からぶつからずに身を引くというところがある。誰も責めない代わりに、距離を置く。人を信用しないわけではないけど、自分の欲求をぶつけたりはしない。ただ、雅美より大人な対応ができるだけだ。

自分の好きな世界に没頭する、それが人によってはお酒だったり、通販だったり、パチンコだったり、ゲームだったり、ショッピングだったり、私の場合は子どもの頃から読書や書くことだったり、みんななんとかストレスを発散して人と傷つけあわないように生きているのだろう。

子供を餓死させたのも、若い夫婦の本意ではなかったし、そこまでひどい状況だと知らない彼らの母親たちも最後まで孫を心配して、最後の最後まで毎日のようにメールをしたりもしていた。みんな切ない生い立ちを抱えながら精いっぱいだったのだ。裁判を通して、それぞれの事件後の対応を見ていると、だれも反省をしていない、反省ができない、智則をのぞいて。反省とは大人の理知的な行為だから。

雅美は子供のままだった。裁判中は第三子を妊娠していたが、「真奈のためにもこの子を産んでしっかり育てたい」などズレたことを作者や母への手紙に書いている。母の秀子は、そんな娘の手紙をマスコミに公開する、まるで他人事のように。彼女も子供なのだ。智則の両親は面会にも来ない。手に負えなくなれば他人事だ。彼らもまた子供である。誰も自分の責任というものが分かっていない…。ただし智則だけは収監中にたくさんの本を読んで論理的に考えて深く反省してたと書いている(ただし殺意については認めず上告した)。

一体こういう子供な人たちを、どこまでさかのぼって責めたらいいのか分からない。羽仁もと子は、教育は三代かかる、といっていた。良くも悪くも、真奈ちゃんを見殺しにする(本意ではないにせよ)人たちを育てるのに、たしかに三代はかかっている。

羽仁もと子の子育て本は、どちらかというと子供を甘やかさず一人の人間として自分の欲求の意味が分かるように、授乳も睡眠も基本的には時間を決めてだらだらしてはいけない、というものである。親の気まぐれで子供を振り回したり、子供の欲求に無制限に答えているだけだと、自ら生きる力の弱い子供になると警告していた。そうかといって四角四面に決めたことをするのでなくて、子供一人一人の個性と欲求を理解して、その子にあった方法を母親が自ら考えらえるようなヒントがたくさん書かれている。

今の子育ては、とにかく愛されている実感が伝わるように抱き続けることだというのもある。私にはよくわからないが、それはそれで母親は大変であろう。仕事をしていたらまず無理だろうし、母親こそが神聖な仕事だというのも無理がある。職業を持っていても頑張って子育てしている人もいるし、昔はそこまで母親がべったりでなかったが、まともな人が育っている。だいたい10人も子供を産んでいた時代もあるのだ。その時代の子育てはそんなに難しかったのだろうか?

やはりいろいろな意見を参考にしながらも、母親が周りの協力や理解の中で、きっちり子供に向き合って、自分で考えるしかないのだろう。みんなそれぞれ違っていい、どれが一番ということではないと思うのだが、情報が多すぎて考える力がなくなりそうだ。


羽仁もと子の『教育三十年』より

おさなごはみずから生きる力をあたえられているもので、しかもその力は親々の助けやあらゆる周囲の力に勝る強力なものだということを、たしかに知ることです。のみならず、そうしてその強い力がわれわれに何を要求しているかを知ることです。人は赤ん坊のときから、その生きる力はそれ自身の中にあります。母親が自分の持っている知識や感情を先にたてて、知らず知らず赤ん坊の自ら生きる力を無視していると、赤ん坊というものは容易にそのほうによりかかって、そうして自分の中に強く存在しているところのみずから生きる力を弱めてゆくものです。
(そうすると)自分の生命のほんとうの要求が自分にわからなくなってくるのです。そしてただ眼前の苦痛や満足や喜びや悲しみのみに囚われて、そればかりを訴えたり表現したりするようになります。したがって母親をはじめ周囲のものが、その赤ん坊の真の生命の要求でないところの、その場その場の浅はかな訴えに動かされて、さまざまの処置をするようになる。その結果は赤ん坊の真の命ははぐくまれずに、当座の感覚的欲求ばかりが日に日に強くされてゆきます。こうして丈夫に生まれても弱くなる赤ん坊や、良知良能が授かっているのに、全くききわけのないわがままな子供や、頭脳(あたま)の悪い子供が出来てゆきます。


そしてもう一冊の『「子供を殺してください」という親たち』の方は、むしろ子供に期待をかけすぎたり甘やかしすぎたというケースである。


つづく

『無伴奏』~感情を失くしてしまった私





辛くて長い苦しい翻訳作業の合間の気晴らしにアマゾンプライムで配信されている映画を、二日にわたって観た。『無伴奏』。主演の成海璃子が好きというだけで、何の前情報もなく観た。

それは哀しい映画だった。哀しいはずの、お話し。

観終わって、とても奇妙な感覚に襲われている、涙一つでなかった冷め切っている自分に。見ている間はその世界に浸っている自分がいた。登場人物のだれにでも共感できるとも思った。1969年という、我が国の経済が上向き出して、学生は反体制運動に忙しく、戦後のくびきから離れた、今よりずっと若くて騒々しい日本。平和に慣れ切った多感な女子高生の空虚感を埋める様な、大学生との出会いもうまく描かれていた。

控えめで繊細でミステリアスな大学生は、文学少女の心を一瞬でとらえ、キラキラした恋が始まる。誰にでも経験のある若い新鮮な恋・・・のはずだったが、実は彼には秘密があった・・・

そして悲劇的なラスト。映画の原作者は小池真理子。これは半自伝的小説の映像化とある。なるほど、ということはこのドラマは実際にあったことなのだろう。若いうちにこんな経験をすれば、たしかに彼女は小説家になる運命なのかもしれない。

映画にはテーマがある。この映画のテーマは60年代末期という時代なのか。しかしこの映画の恋愛は時代的要因より、むしり普遍的な気がするのだが。いややっぱりあの時代の恋愛なのだろう。成海璃子扮する響子という女性の、ひたむきな想い。矛盾を感じても裏切られても愛し続ける女の気持ち。そしてその彼女を愛そうとしても愛しきれない男の不器用さ。その背景にあるもう一つの恋愛。

ここまで書いたらネタバレだが、やはりあの時代は男と男が惹かれ合うほど、人間関係も濃かったのかなと思う。誰もが知っている老舗の息子の渉(池松壮亮)と、父親に愛された記憶のない祐之介(斎藤工)がお互いにないものを相手に見つけてしまったのか、学生運動を通じて絆が一層深まったのか。幼馴染だというから、どちらも幸せだったとは言えない家庭環境の中で、互いがかけがえのない救いの存在になったのに違いない。

そんな彼らがそれぞれ異性の恋人を得てから、歯車が狂っていく・・・

今の恋愛関係は、もっと自分本位で、突き詰めたところまで行く前に、あるいは徹底的に傷つけあう前に、自分を守るために別れてしまうような気がする。この響子のように、相手の事情を全部知った上で愛し続けるには、他者への強い理解や共感がなければ成り立たないと思うし、その共感や理解は、落ち着いた家庭環境における読書や詩作という形で育まれたのであって、現在の女子高校生の精神年齢レベルでは無理であろう。日本人はもうこうした、自分の感情を抑えるような、大人の恋愛はできないのかもしれない。

恋愛小説の名手とでもいうべき小池真理子という作家もまた、時代が生んだ作家であり、いずれ読まれなくなってしまうのかもしれない。

ところで昔から同性同士の恋愛はあったのだろう。男同士の友情は女性のそれよりずっと強そうだし、同性だからこそ理解し合い、それがすぎればそこからは恋愛の領域に入ると言えるのかもしれない。繊細な男が感情的な女性を疎ましく思う気持ちも分かる。一方で、男性同士の恋愛はこの頃の日本ではかなり公認されてきていて、ドラマでそうしたカップルが描かれることも珍しくなくなってきた。そこで今回の映画化があったのかもしれない。

なので、おそらく小池真理子の原作は女性視点が強く、映画のほうは矢崎仁司監督による男性目線がはっきり出ているのかもしれない。

タイトルの通りバッハの無伴奏曲が全編を通じて流れていて、静かなトーンとレトロな映像が、苦悩を抱える登場人物たちの抑えた演技を引き立てていた。主役の三人ははまり役だったと思う。

しかし悲しいかな、見ている私の心はどんなまぶしい恋愛のシーンにも悲しい結末にもあまり動くことがなかったのだ。それは映画が悪いのではなくて、私の心もまたいつの間にか瑞々しさを失ってしまったからなのだろう・・・

『キャンディ・キャンディ』という小学生の頃に流行っていたアニメがある。孤児院で育った少女キャンディが様々経験をしながら大人になっていくという、1900年初頭のアメリカを舞台にしたかなりロングランのストーリーで(いがらしゆみこ作)、私はそのテレビ放送を毎週とても楽しみにしていた。漫画の方は『なかよし』という雑誌に載っていて、テレビよりちょっとはやく世に出るのだが、たまたま廃品回収中に私はその古雑誌を見てしまい、キャンディが恋人のテリーと別れるシーンを読んだら、あまりの哀しさで一週間ぐらいご飯が喉を通らなかったことを覚えている。

それからもう少し大きくなって高校生の時に映画『ロミオとジュリエット』を見たときは涙が枯れるくらい泣いたし、『慕情』や『追憶』を見たときにも、胸が張り裂けそうに痛かったのを覚えている。初めて原書で読んだ『マディソン郡の橋』や『さゆり』は、読み終わってからしばらく何日も甘く哀しいムードに襲われていたものだ。

今は、見ている間だけは感情がすこし動き、見終わったらしらばくの余韻があるだけ過ぎない。この映画を見ての一番の感想は、自分の感情がこんなにも薄くなってしまったことが悲しい・・・ということである。今は翻訳で頭がいっぱい過ぎて、感情が特に鈍っているのかもしれないけど・・・





フランク・ロイド・ライトを理解するために



1939年のライトの講演記録


フランク・ロイド・ライトの本や論文はかなり読み込んできたが、このたび、アマゾンからまた待望の一冊の本が届いた。それは1939年に 王立英国建築家協会で行われた4日間にわたるライトのスピーチをまとめた『An Organic Architecture』というタイトの本で、このたびライト生誕150周年を記念して復刻版が発売されたのである。邦訳は持っているが、とても大好きな本なので、原文が読みたかったのだ。

ところが、この本には再版特別企画として、アンドリュー・セイント教授という「高名な建築歴史家」による序文が載っていた。そして、それには本当に驚かされた。いったいこの本の出版の趣旨は何なのだろう!?

セイント教授は、ライトの講演が、集まった多くの聴衆にとって期待外れで、内容がなく、現実味もなく、矛盾だらけだと指摘する。そして当時その講演に参加してがっかりしたというとある建築家のコメントを長々引用している。以下はその引用文の最後。

Mr. Wright, who has a distinct gift of wisecracks, set himself to score off them and to raise a laugh at their expense, which he easily did. 
辛辣なジョークを飛ばす才能を持つライト氏は、観衆をバカにして笑いを取ることを簡単にやってのけた。

そして セイント氏は序文をこう締めくくる・・・

So, there was no mutual meeting of minds at the RIBA (the Royal Institute of British Architects). For the rest of his visit Wright stomped off to enjoy himself round London, which he was good at doing. After a short holiday in Dalmatia, he put the finishing touches to the text of the lectures back in Taliesin, unrepentant. They were promptly published that autumn in the handsome book that is here reprinted.
というわけで、 王立英国建築家協会でのスピーチにおいて、講演者が聴衆の心をつかむことはできなかった。イギリス訪問の最後にライトはロンドンを遊びまわったが、そういうことはお得意のようである。(クロマチアの)ダルマティアに寄った後、タリアセンに戻り、講演原稿に手を加えた---よくまあ懲りもせずに! その秋には立派な本として発行され、それがこのたび再販されたのである。


一体何なんだ、この皮肉たっぷりの序文の意図は?それに続いて、「くだらない」講演内容が、いかにも150年記念に相応しいハードカバーで 復刻されている意図は?じゃあ復刻しなければいいじゃないの、と言いたくなってくる。読んでいて腹立たしくなってしまった。

この腹立たしさは、ライトの研究者からよく受ける印象であるが。私は、彼らがライトを非難することに反対しているわけではない。非難するならなぜこういう企画に参加したり、あえて研究するのかと疑問に思うだけだ。ライトにたとえ非があったとしても、それを深堀したり貶したりすることに、研究者として何の意味があるのかが分からない。ライトの思想を素晴らしいと思う人をけん制しているのだろうか、だけど何のために?

帝国ホテルの末期にその建物の写真とエッセイを収めた、キャリー・ジェームス氏の本『Frank Lloyd Wright's Imperial Hotel』(1968)から引用して、この腹立たしさを収めよう。

Frank Lloyd Wright stood outside the mainstream of Western culture. It is the foreignness of his thought which is behind the strangeness of all his architecture. His idea of man and the world nearly opposite to ours; it is this we fail to grasp in our reaction to his art. To begin to understand Wright, it is necessary to put aside more of our traditional attitudes than may easily be done. It is necessary to see that his views of man and art were animated by the idea of unity, a sense of the singleness of all being and all life. This singleness, this inter-relatedness shaped his mind and his architecture in unusual and to us often incomprehensible ways. It is unity which ordered the being of the Imperial Hotel.  
フランク・ロイド・ライトは西洋文化の主流ではなかった。彼の思想の不可思議さが、彼のすべての建築に一風変わった作風を与えている。人間と世界に対する彼の考えは、我々とはほぼ正反対のものであり、我々が彼の作品を完全に理解できないのはそのためである。ライトを理解するには、思い切って既成概念を外すことから始める必要がある。彼の頭の中には、人とアートが一体感を持って生き生きとしている、あらゆる存在と生命が一体となって息づいているという感覚がある。この一体感、この相互の密接な関係性が、彼の思想と建築を並外れた、そして我々にとって不可解な形にしているのだ。帝国ホテルをつかさどっているのは、この一体感なのである。


と言って、ジェームス氏は、分析的思考で作られる従来の建築は固定の物質として存在するのであり、この物質と精神を分けて考える我々の思考の二重構造を指摘する。ライトの有機建築は、時間と場所と人間の命と一体であるがゆえに、二重構造思考では理解が難しい。そしてその二重構造が、人間から生き生きした暮らしを奪い、物質的・経済的至上主義的な世界に放り込んだのだと。

Unity deals with change and dynamism.
一体感の中には、変化と動的な流れがある。


私はこれを読んで、仏教の無常と因果を思う。あるいは、福岡伸一さんのいう「動的平衡」を。すべては流動している、この一瞬も宇宙も膨張し、生命は進化と淘汰を続け、私の細胞は分割し続け排出し続ける。あらゆる存在は相関関係の中に起きる、つまり因果よって一時的に生じている現象に過ぎない。

あるいはインドの元始哲学ーーすべては見るものと見られるものという相対から始まったという、本来は何もないのに、無であるのに、相対的な見方がこの世を作ったという二元論。

ところが従来の建築は、永続する固定的なものとしてとらえられる。さらに土地の選定、坪単価、強度計算、耐震構造、建材、工賃、流行――あらゆる側面が個別分析的に集積されて経済的に処理される。生命体として、またそこに暮らす人たちと一体感のあるものとしてとらえられることはない。

こういう既成概念がある限り、ライトを虚心坦懐に理解しようとは思えないし、そうなると彼の言葉がいちいち皮肉に聞こえるのかもしれない。彼の根本思想が分からない人にはたしかに彼の言葉は分かりにくい。彼の文章は、たとえ英語のネイティブでも難解に思えるだろう。しかし、理解している人には、ネイティブじゃなくてもよくわかるのである。

現実的に考えると、当時も今も、建築のプロには受け入れがたい思想なのだろう。そういう意味でライトは単なる理想家として見られているが、それでも根強い人気がある。彼の鮮烈なメッセージが色褪せないのは、真実だからだと思いたい。



1968年帝国ホテル解体直前の写真集




ウディ・アレンの映画~ある種のブラック・ユーモア



先のブログに、ウディ・アレンは自然体だと書いたが、その後つらつらいろんなところで彼の映画のシーンやセリフを思い出すたびに、あの自然体の裏には、やっぱり一つの屈折したものがあるような気がしてくる。

『おいしい生活』(2000)にしても『マッチ・ポイント』(2005)にしても、『ブルー・ジャスミン』(2013)にしても、そこに描かれているセレブはいつも不安定なセレブである。ヨーロッパの権威あるセレブに憧れている似非セレブ、あるいは成金の世界。

祖父母がユダヤ人というヨーロッパの中で独特の運命を持つウディが、アメリカという成金セレブの世界で成功しても、しかも映画という人気稼業とも虚業ともいえる世界で成功したところで、何か根本的なことが充たされない・・・それが彼のいう、「子どもの頃の夢が全部かなったのに、なぜか『落伍者』の気分がぬぐえない」ということなのかもしれない。

ある種の諦念に似たという気持ち。社会的に評価されても、「所詮は」という気持ち。これが彼をして、どこかノンシャランというか投げやりというか、自然体な雰囲気を漂わせているのだと思う。そしてそのシニカルさが彼の作品全体に表現されている。成金セレブの虚を哂い、正当セレブの欺瞞を嗤い、それでもセレブになりたい人たちを笑い、似非セレブである自分をわらう、ある種のブラック・ユーモア。

古代エジプト時代に迫害され流浪の民となったユダヤ人。国を持たない民族は知の力で世界を席巻した。ビジネス、アカデミック、アート、いずれの世界でもトップに立つ人が多い。世界の人口の0.2%というユダヤ人が、ノーベル賞受賞者の22%を占めている。こんなに国際的に成功しても、故郷が欲しい、しかし1948年に建国したイスラエルはいまだ紛争状態だ。

2000年近い歴史と国土を共有し、基本的には誰もが同じ日本人で階級も意識されることなく(戦後からとくに)、同じ言語で話し、まったく同じ時間に同じ内容のテレビを見ることができる私たち。政府に不満があったところで、選挙に行かなくても済むくらいの程度の私たち。ここではお笑いが全盛のようだが、ウディの根深いブラック・ユーモアとはだいぶ濃度がちがうみたいだ。




『恋と映画とウデイ・アレン』~好きなことを自然体で



私はウディ・アレンの映画が大好き。

2011年に発表された本作は、彼の長年にわたるコメディアン・映画監督としてのキャリアをドキュメンタリーに仕立てたものだが、これ自体がすでに一篇の物語になっている。彼の幼いころから現在までのエピソードが妹やともに作品を作ってきたプロデューサーや俳優たちによって語られ、また本人のインタビューや作品の名シーンが、彼の人生の軌跡をくっきりと浮かび上らせる。

それにしても、こういう華やかな業界にいて、ウディ・アレンはという人は、なんと自然体なのだろう。若い時からコメディの才能に恵まれて、はやくからマスコミの人気者になったが、その後どんなに映画が売れても、売れなくても、誰と一緒になっても別れても、様々なスキャンダルに見舞われても、一貫して彼の姿勢は変わらない。「好きなことをしたい」、ただそれだけである。

ミア・ファローと暮らしていた時に、養女と恋愛関係になり、ほかの子供たちの親権を争うに至ると、彼の評判は地に落ちたがーー

「好きなように考える自由をだれもが持っているからね。同情してもしなくてもいい。僕を嫌っても好きでいてもいい。僕の映画を見続けてもいい、二度と見てくれなくてもいい、そう思っていた。」

ーーのだそうだ。このセリフに彼の強さと本質を見る気がする。この徹底的に自分に正直でいること、そしてそれを他者の権利としても認めること――これはなかなかできないことだと思う。

監督としても、役者に役作りを強いないのだそうだ。それでいて役者はベストを尽くそうと頑張って、コメディなのにアカデミー賞を取る俳優も少なくない――ペネロペ・クルスやケイト・ブランシェットなど。「満足したらもう一度取り直そうとは思わない、それより早く家に帰りたいんだ」「偉大な芸術家が持つような集中力や熱意は持ち合わせていない。自宅でスポーツを見ているほうがいい」、こんな監督の姿勢が、かえって役者をリラックスさせて、いい結果を生むのであろう。

実際、ダイアン・キートンによると、ウディは「好きに演じてくれ、セリフも変えてもいい。さっさと撮ろう」とよく言っていたそうで、「プレッシャーも何もない、あんな監督は他にいない」ということである。

普通の監督は自分の前作を超えた作品を作ろうと思い詰めるが、ウディは自分で興味があるかどうかが一番の問題で、それに全力を尽くすのだという。前作が売れたから同じものを作ろうとは思わない、むしろ違うものを作ってみたい、それがたとえ観客を裏切ることになっても。当然ながら失敗作はある、しかし彼のスタンスは好きな映画を撮っていれば「数打ちゃあたる」というわけだ。

「40本ほど作品を取ってきたが、価値のあるものはほとんどない。簡単に名作が生まれたらやりがいも価値もない」

このフラットな自己評価と前向きな姿勢がすごい。自虐でも謙遜でもない。80歳を前にして、彼は言う。

「恵まれた人生だと思う。子どもの頃の夢をすべて実現したのだから。憧れていた映画監督にも役者にもコメディアンにもなった。ミュージシャンとして世界中のホールで演奏もした。夢見たことでかなわなかったことは一つもない・・・こんなにも運がよかったのに、人生の落後者のような気分なのはなんなのだろう・・・」


この、彼にまつわる「人生の落後者」観、これが愛される秘密でもある。体も小さいし、ハンサムでもないし、髪はぼさぼさで野暮ったい服を着ているのに、ジュリア・ロバーツのような美女と恋に落ちる役を演じても全然おかしくない、こんな俳優がいるだろうか。神経質で知的でセクシーでシニカルで、こんな役者はほかにはいない。そして彼が演じる役はいつも同じキャラクターなのに飽きることがない。っていうか、役というより、現実の、自然体の彼がそのままそこにいて、それを素直に観客は楽しんでいるのである。

自然体の力はすごい。無理に演じなくてもいい。美人でなくてもスタイルがよくなくても頭がよくなくても要領が悪くても、そのまま好きなことを好きだと言って続けていれば、人はみな魅力的なのかもしれない・・・

そんなことを思わせてくれたドキュメンタリーだった。






『阿修羅の戦い、菩薩のこころ』~小池百合子さんの挑戦



先のノンシャランなブログがちょっと恥ずかしくなるような本を読んだ。

作者は溝口禎三さん、豊島区で会計事務所を経営している、わりと古い知人だ。兄貴肌で自然にみんなが集まってくるような、しかし熱血漢というのともちょっとちがう・・・青森県三戸育ちらしい東北の純情さを持った、豊島区は池袋というどこか下町的な大都市の、すごくスマートでもないけど、東京人らしい・・・う~ん、書けば書くほど彼の独特のキャラクターが伝わらなくなってきた・・・とにかく、とっても明るくてユニークな人である。私は奥さんとも親しいが、彼女もまた不思議な魅力のある女性で、二人ともべったりじゃないのに、なぜか二人がセットのような、全然違うキャラクターなのだけど、禎三さんの活躍の陰には、必ず奥さんの存在が感じられる――内助の功といった窮屈なものではないが――とにかく面白い夫婦なのである。

で、溝口さんの旦那さんの方が、標記の本を出版した。これが三冊目。いずれも豊島区の高野之夫区長さんを通じて、彼が外野から間接的に関わることになった区政や都政に関するものなのだが、素人目線でありながら、綿密な調査と取材に基づいた、読みやすくて面白い本である。

豊島区を選挙区にもつ自民党国会議員だった小池百合子さんの都知事選を応援することになった溝口さん。魑魅魍魎の選挙の世界を、素直で素朴な視点から読み解いていく。知りたいけど、知りなくない、あの(うちのマンションからも見える)近未来的な都庁の建物の中で起きている、コメディアンとか作家とか評論家をトップに据えた、がちがちの官僚世界・・・私も都庁に勤める知人からいろいろ聞いてはいたが・・・そしてそれらのトップや官僚を陰で動かしているらしいドンの存在!(業務というより予算取りについてだと思うが)。

ここの暗~く恐ろしい世界に、果敢にも切り込んできた小池百合子! 去年の知事選で、291万票という、党員である彼女を推薦しなかった自民党が推した元官僚・元岩手県知事の増田寛也氏をなんと100万票以上も上回る、圧倒的な投票数を獲得して都知事の座を射止めた。彼女の徹底した戦略がマスコミを動員し、選挙への関心を高めて選挙率を上げ、浮動票を取り込んだのだ。町内会とか商店街というベタな「地上戦」に対して、小池陣営はインターネット、SNSなどを効果的に使う「空中戦」を展開したのだそうだ。

この彼女の策士ぶりは、もちろん今回に始まったことではない。溝口さんはこれについて、小池さんの、独立精神を重んじる実業家の両親からの影響や、好きだった英語プラスアルファを学ぼうとカイロ大学に進学したことなど、かなり若いころからの、凡人とは違う、有能な戦略家的エピソードを掘り起こしている。やっぱり偉大な人は子どもの頃から違う、親からして違う、という、これだけはどうも古今東西不変の法則のようである。同じように子どもの頃から英語が好きだった私も一応アメリカへ短期留学したが、なんというか、最初のボタンのかけ方が・・・いってみれば、私は100円ショップで売っているような小さなプラスチックのボタンを二つくらい掛け違えて生きてきた気がしてしまう、ここに書かれた彼女の半生記を読むと。小池さんのボタンは真鍮の立派なもので、着ている服は詰襟のしっかりした軍服みたいである。まるで無駄のない、目標一直線のような生き方・・・

自虐に陥っても仕方がない。とにかく彼女は才色兼備で明るくて勇敢で、男性の潔さと女性の美しさを併せ持った、まさに「選ばれた人」であろう。エジプト留学中は第4次中東戦争(1973年)の戦火も体験した。西洋一辺倒の価値観をはやくから抜け出し、若くして真の国際人となった彼女の行く手に人生のレールは切り開かれてゆく。アラビア語の通訳、個性的なジャーナリスト竹村健一氏のTV番組のアシスタントを経て、人気ニュースキャスターに。

キャスターとして、毎日のニュースを伝える中で、世界の激動をひしひしと感じました。日本の動きを見ていてイライラしていましたからね。ましてや(だんだん業界がデジタル化してきたから)シミもシワも、ますますはっきり写るようになるとなったら、舞台を変えよう、と思った瞬間は確かにありました。

別にシミやシワが画面にはっきり写るのがいやで政治の世界に飛び込んだわけではないと思うが(笑)。きっかけは、細川護熙氏の日本新党立ち上げだった。「責任ある改革」をうたった、この元熊本知事の理念に共感した小池さんは、この新党から立候補し国会議員となった。1992年のことである。

そう、あの細川さんの登場はたしかに鮮烈だった。私もうちの人も一生懸命応援したっけ(投票しただけだけど)、日本が変わると思った・・・が細川内閣は一年足らずで終了・・・盛り上がっただけに、裏切られたというか、失望感が大きくて、以来うちの人は(かつて某県会議員の事務所で働いた経験からも)もう政治には一切関心を持たないことに決めてしまったほどである。私もつられて、次第に選挙には行かなくなった。「税金は払っているから国民的義務は果している。選挙に行かない代わりに政治に文句を言わない」と決め込んで。

しかし、さすがは小池さん。細川さんからは政治の理想を学び、次に小沢一郎さんのもとで政治の現実を学ぶ。そして小泉純一郎政権下では、地元の兵庫から「刺客」の落下傘候補として東京10区(豊島・練馬区)に降り立つことで、衆院解散選挙における与党の大勝を先導し、首相が苦闘していた郵政民営化を実現のものとした。

その後は環境大臣としてクールビズを考案、国内のみならず世界中に広め、さらには女性初の防衛大臣となる。

しかし大臣になったとはいえ官僚世界は動かしがたい。そこでこのたび、「崖から飛び降りるつもりで」、党からは孤立無援の状態で、舛添要一氏のスキャンダル辞任による東京都知事選に打って出たわけである。

溝口さんは、地元の有志とともに小池さんを応援する「勝手連」に参加して、彼女の戦いぶりを間近に見る機会を得る。そして「ものすごい人がいるものだと、小池さんの能力とパワーに圧倒されました」という。

この都知事選の本を書いた一番の動機は、なぜ自民都連(自民党都議による連合会)は、小池さんではダメだったのだろうかという疑問でした。・・・自民都連の小池候補拒否の論理を追ってゆくと、図らずも現在の既存政党の大きな問題点が現れてきました。

と、この本の送り状に書いてある。結局、これまでの歴代知事も、この自民都連、つまりはそれを牛耳るドンの力に負けたようである。都知事の権力は、米国大統領のそれに匹敵する、というような話も聞くが、そう単純ではないようだ。この本では、都知事選をめぐって繰り広げられる、この自民都連による矛盾だらけの対立候補選びが如実に描かれているのだが、それはまるでイエス・キリストと、無実の彼を裁判にかけるパリサイ人ぐらいに明確な善と悪のストーリーである。

さて、キリストないしはジャンヌダルクの生まれ変わりのような(?)小池さん、これからどうなるのだろう。すでに2020年オリンピックの開催費用の削減や豊洲市場移転問題を巡って、窮地に立たされているといった報道が目立っている。また、7月に実施される都議選では、彼女が率いる「都民ファーストの会」から過半数の議席(127人中64人)を目指しているが、この動きに対して、いまや自民都連どころか、国を敵に回してしまった感がなくはない。安倍首相が、党内の都議選の決起大会で「急に誕生した政党に都政を支える力はありません、私たちは、まなじりを決して戦い抜く決意だ」と勇ましく語ったのは一昨日のことだ。

例のドンは高齢のために都議会を去ったと言うが、今度は自民都連会長の国会議員下村博文氏やオリンピック大会組織委員会の森喜朗会長、そして首相までが攻撃を仕掛けてくる・・・

作者の溝口さんは、女性に優しい彼だからこそまた指摘できると思ったのだが、彼女の成功のカギは女性ならではの視点や立ち回り方があるという。基本的にはピラミッド構造の男性社会はどうしたって矛盾と行き詰まりに直面する。さらに男性は嫉妬深い・・・下村議員や森会長、あるいは菅義偉官房長官などの、非生産的な小池さん攻撃を見ると本当にそういう気がする。言葉の暴力に近い。攻撃するより上手に話し合いができないものか。都民も国民もどっちの味方というより、まともな大人の協力体制を望む。議会は揚げ足取りやスキャンダルをめぐって勝ち負けを競うショーではない。こうした対立をあおるマスコミのレベルもひどすぎる。(一体議会に一日どれだけの予算が使われていると思っているのか。森友学園とか首相夫人とかの話は、別のところで関係筋が論理的に処理してほしいよ、もう)

浮動票を空中戦で掴んで勝利した小池都知事だが、空中戦だけに支持者は浮動であり、この先支持し続けてくれるのかどうかかわからない。インターネットの情報はプロの発言も素人のコメントもめちゃくちゃで、信用が置けない、掴みづらいし、どう発展するかわかないし、どう影響するかもわからない魔物である。この際だから、小池さんには、国民の知性を信じて、稚拙で余計な情報や男どもの横やりに振り回されず、信じる道を行ってほしいものだが、直面する問題はどれも根が深そうで、予想外の困難があるのだろう。

理想を貫く難しさという点では、同じく細川政権誕生の頃、政界に登場した俳優の中村敦夫氏を思い出す。彼もまた若くして世界に飛び出して国際感覚を身に着け、俳優として成功したのちに、ニュースキャスター・ジャーナリストとしてTV番組を担当、その後参議院議員として独自路線で活躍し、理想を掲げた新政党も作っている。しかし結局は選挙に負けて政界を去る羽目になった。

たまたま昨年の夏に、ある俳句の会の集まりで、山頭火の朗読劇をしている彼に会い、仏教僧として得度したことを知った。「(この世の矛盾を解決するのは)仏教しかないと思っている」と言っていた。名文家としても知られる彼の著作(『国会物語―たった一人の正規軍』他)をいくつも読み、思想を理解している私にとって、中村氏の得度が、政治に失敗した厭世観から来たものなどではないことを分かっている。人一倍才能に恵まれていた彼は、若いころから人の何倍も世界を見て、体験することことができた。その人が最後にたどり着いた境地であり、それまでの経験がすべて元になっている。華やかな芸能界はもちろん、貧困による餓死の現場から政界の裏側まで、普通の人はとても経験できない世界を見て生きてきた人だ。

あら~、なんだかまたノンシャランな世界に戻りそうな私・・・だけど、同じ女性として、男性社会の矛盾を見せつけられてきた私も、小池さんが彼女のブレーンたる未来の議員とともに、新しい価値観とやり方でオジサンどもを骨抜きにしてほしいと願っている。オジサンたちだって男のピラミッド社会のあほらしさは身に染みているはずなのだ。というか、だからこそ前都知事達も頂点に立つ前に自ら降りてしまうしかなかったのだろう。まただからこそ、アメリカのトランプのような、超型破りな人しか頂点に立てなかったのだ。

とにかくずっと選挙に行っていなかったけど、溝口さんのおかげで、都議会選だけは小池さんを応援するために行こうと思う気になった。25年前に政治に失望したうちの人もそう言っている。


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『釈迦の教えは「感謝」だった』②~当たり前すぎて見えないこと


前のブログの続き


小林正観さんの本にハマったきっかけは何だったかしら・・・表記の本は般若心経についての解説本でもある。

ここ数年、いろいろなことがきっかけで(更年期障害もある)不眠症になってしまった私は、病院に行ったり専門書を読んだり、瞑想音楽を聴いたりといろいろしてみたが、起きてしまって瞑想するのが一番いい方法のようだった。しかし瞑想するつもりが、雑念が湧いてしまい妄想になってかえって眠れなくなることも多かった。そこで般若心経をひたすら唱えていれば雑念は起こらないのではないかと、暗記してみることにした。

暇さえあれば写経をしたり、YouTubeで流れる読経に合わせて唱えたりして、だいたい1週間で暗誦できるようになった。ところが、眠れないときのおまじないのはずなのに、意味を考えると分からないことが多くて、余計に眠れなくなってしまった。そこで、解説本を読みだした。

まずは高神覚昇氏の『般若心経講義』から始まり、家になぜかあった中村元とか瀬戸内寂聴とか、その他いろいろ10人くらいの解説本を読んでみた。そうこうするうちに、般若心経の世界観は、仏教徒でなくても悟っている偉人は誰でも同じようなことを言っているし、その他インド哲学も、さらには最新物理学もどうやら同じコンセプトに基づいているということが分かってきた。

そのなかで一番わかりやすいのが表記の、小林正観さんの本だろう。般若心経について、とてもシンプルでズバリと解説している。小林さんは、子どもの頃自分と同じ名前の小林少年に興味を持った、あの怪人二十面相シリーズに出てくる明智小五郎の弟子である。(私もハマったなあ!)それからシャーロック・ホームズにハマった彼は人間観察のプロとなる。大学浪人中からあちこちを旅して人間を見続けるうちに、人から相談を受けるようになり、旅行作家として、40年間も手相見人相見をすることになったのだそうだ。面白い!

この間、人から受ける相談の内容が変わってきたという。自分の病気とか自分自身に向き合って生じてくる悩みというより、他者に関するものの相談が増えたのだそうだ。例えば「夫が働いてくれない」、「姑が意地悪をする」、「子供が学校に行かない」など。

彼は言う、これらの悩みは結局、人が自分の思い通りにならないことから派生するものだと。彼のもとに相談に来る人たちだけではない、そもそも釈迦の悩みもそうだった。
この悩み・苦しみの根元は、「思い通りにならないこと」と見抜いた。だから「思い通りにしようとしないで受け入れよ」と言った。その最高の形は「ありがとう」と感謝することだったのです。

だからとにかくなんでも「ありがとう、ありがとう」と何千回も何万回も唱えると幸せになるとか、トイレを掃除するとお金がたまる・・・と言ったことも書かれているので、これが人によっては、小林正観は胡散臭いとかインチキだとか言うかもしれないけど、結局、彼は文字の読めない一般庶民に「南無阿弥陀仏」と唱えるよう布教した親鸞と同じことなんじゃないだろうか。

もっとも簡単な言葉ともっとも簡単な行為。

私みたいに小難しく考える必要もない、難解な本も読まなくていいし、瞑想なんて厄介なことをしなくてもいい。幸せになるのは本当は簡単なのだ。世の中は単純なのに、人間が難しくしているだけ・・・一見深刻に思える問題も、人を思い通りにしたい自分が、自分の問題だと思っているだけで、実はそれは人の問題だ、それがたとえ我が子でも。
「なぜ不登校なの、なぜ学校へ行かなくなったの」
と(子供に)いくら問いただしても、もうたぶん、真相や真実を話してはくれないのでしょう。この子は最善の方法として、学校に行かないことを自分の判断で選んだということです。
 親は自分に、
「この子を学校に行かせる、行かせなくてはいけない」
という思いがあるものだから、不登校が悩み・苦しみになってくるのですが、その子が不登校という結論を選んだことを丸ごと受け入れてあげたならば、そこに悩み・苦しみは生じません。・・・不登校である間、親がずっと見方であるのだということを示し続ければ、子供はほんとうに安心して信頼して、心を開いてくれるかもしれません。

毎年お正月に必ず見るようにしている『青空娘』という映画がある。増村保造監督、若尾文子主演。この両者のコンビで『刺青』のようなかなりエロくてグロい作品も撮っているが、前者は文部省奨励作品ともいうべき、明るく健康的な映画である。メッセージは明確だ、どんな境遇でもこの主人公なら絶対に不幸になりっこない、と。とても暗い生い立ちの不幸なはずの娘だが、どうしたって幸せしかやってこない生き方なのだ。あまりに当たり前すぎて、かえって忘れてしまう・・・というわけでお正月に観るようにしている。私の周りの人を見ても幸せな人とそうでない人には、このパターンが100%当てはまっていると思う。

しかし正観さんの言っている幸福論はもっとずっと簡単だし、核心をついている。人間は悟るためには3秒あればいいという。

一秒目、過去のすべてを受け入れること。
二秒目、現在のすべてを受け入れること。
三秒目、未来のすべてを受け入れること。

今回再読してみて特に心を惹かれたのは、以下の部分だ。このところライトや羽仁もと子という偉人を研究したり、植松三十里さんの書かれる歴史上の立派な人たちに感心しているが、そして、彼らは確かに人類の平和や文化に貢献すべく犠牲になった人たちではあるが、では現状はどうであろう。ライト建築のような豊かな住環境も、羽仁もと子の目指した人間教育も実現されていない。重光葵たちが頑張ってくれて日本の平和が達成されたが、北朝鮮からミサイルが飛んでくるかもしれない今日である。

もちろん彼らがいてくれたから、今の平和な時代の私がいる、こうした恩人には今の私の実存という個人的な因縁という意味では感謝している。しかし、結局人間も世界はなるようにしかならない・・・??

あるいは本当に幸福や平和を達成したいなら、これからは努力を積み重ねた人間による経済活動や国際外交や、ましてや抑止力としての軍備ではなくて、もっとも基本的な、人間の欲望の抑制という方向にしかないのかもしれない。

正観さんの幸福論、ちょっと長いが、この本を手放すこともあって、引用してみることにする。ほかでもこういう話は読んだことがある。また人は自分が意識する前に自分の言動がすでに決定されているという最新の「脳科学的常識(養老猛)」にも、ある意味で合致するようである。

すべてを淡々と受け容れる 
 今、生きている自分の人生が、生まれる前に全部、自分の書いたシナリオであったということを認めることができると、達成目標や、努力目標はいらない。喜ばれる存在であればいい。それはイコール、頼まれごとがあればそれでよし、ということと同じ結論になってきます。生きることに力を入れる必要がありません。生きることに気迫を持って臨む必要はないみたいです。
 夢や希望をたくさんもってそこに努力邁進しなければいけないという人生は、もしかしたら、そのように洗脳された結果なのかもしれません。生きることにそんなに力を入れなくてもよいみたいだ。頼まれごとをするだけで、努力目標や達成目標は必ずしも立てなくてもいい。
 楽しい人は立ててもかわまないのですが、必ずそれを打ち立てて、そこへ向かって歩まなければならないということはないように思います。
 しかも、生まれる前に、全部、自分でシナリオを決めてきた、その書いたシナリオのとおりいろいろなことが起きてくるので、そこで起きたことに対して、とやかく不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、否定的な言葉を並べて、論評・評価するよりは、それを淡々と受け容れて、「ああ、そうなりましたか」と生きていくことの方が、はるかに楽な生き方でしょう。

最近科学の一分野として「幸福学」というのがあるそうだが、それによると幸せな人(数値による定義あり)の近くにいる人は自分の幸せが40%アップするらしい。間接的な知り合いにも、40%より数値は減るが、幸せが「伝染」するのだそうだ。なんだかちょっとあいまいだが・・・正観さんの話と考え合わせるに、おそらく、幸せな人は受け入れる力の高い人であり、その人の傍にいるとそのままの自分が受け容れてもらえるから幸せを感じ、その幸せ感をまた自分も人に与えられるということなのだと思う。

大きな夢や目標をもって努力しなくても、人は幸せになれるし、人を幸せにできる・・・ということである。というより、むしろそっちの方が、これからの生き方なのではないだろうか。

私の愚痴ばかり言っている知人に関して言えば、彼女はそうなるべくしてそうなっている、だから私がどうこう思う必要はない。ただ彼女をそのまま受け容れて、たまたま私が感動した読みやすい本を送ってみる。それを読むかどうか、読んで彼女が少しでも幸せになれるかどうかは、もう私の考えることではない、ということであろう。

正観さんは2011年に62歳で亡くなった。早すぎる死のように思えるが、頼まれて年に300回もの講演をし続けた結果疲労しきったといわれている。何もかも悟りきっての、平和な臨終だったそうだ。長生きが必ずしも幸せを意味することではないと私も常に思っている。実に素晴らしい死に方だと思う。

この本のラストに書いてある言葉を挙げておく。

神のプレゼントの意味 
 「感謝」ということの本質は、どうもラテン語という古いヨーロッパの言語を考えた人が、次のように気が付いたようです。pastが過去、present―プレゼントが現在、未来がfuture。
 神の立場からすると、今あなたにあげているもの全部が、神のプレゼント。要求をぶつけて、「何が欲しい、寄こせ」と言っている人がいたら、神はそういう人間にさらなるプレゼントはしない。
 いま目が見えること、耳が聞こえること、食べられること、話せること、歩けること――そういうことの一つひとつ、いま自分が一身に受け浴びているものが、実は全部、神からの、宇宙からのすでにいただいているプレゼントです。
 いま受けて、浴びているものがプレゼントなのであって、今手に入っていないものを「寄こせ、寄こせ」と言い、それが手に入った場合だけ「プレゼント」だ、というのは失礼です。


あるべき社会なんて、分かるはずはないのに、不平不満ばかり述べている私。


 目の前の現象についていちいち論評・評価をしない。否定的な感想を言わない。
 タ行「淡々と」
 ナ行「にこにこと」
 ハ行「飄々と」
 マ行「黙々と」
 そのように淡々と笑顔で受け入れながら生きていくこと。
 そして頼まれごとを淡々とやり、頼まれごとをし、頼まれやすい人になって喜ばれる存在として生きていくこと。目の前に起こる現象についていちいち過剰に反応しないで、一喜一憂しないで生きていくこと――これがほんとうに楽な生き方なのです。


今年50歳になる私、残りの人生はこの「タナハマ」精神で生きていこうと思っている。



『釈迦の教えは「感謝」だった』①~愚痴を繰り返す知人へ






私には、夜中でも早朝でも電話をかけてきて、何時間でも愚痴をこぼし続ける知人がいる。去年、3年間にわたる闘病を続けた年下のご主人を68歳で亡くし、寂しいやら、親族や友達との付き合いがうまくいかないやらで、お酒を飲んで身体を壊し、一度は入院までしてしまった。

私は彼女とそう深い付き合いではない。もう5年も前にたまたま旅先で彼女のご主人とも出会ってちょっとお世話になっただけの縁である。しかしその後細々とした電話による交流が続き、ご主人のお葬式は行けなかったが、四十九日に行ってきた。遠くの島に住んでいる。

彼女の愚痴は同情に値する。小さな田舎のコミュニティには珍しく国際的な活躍をしたご主人だけに、対外的な交流も親戚づきあいも、凡人にはない面倒な側面があり、四十九日とはいえ法要は大掛かりなものだった。私は第三者として、この法事を滞りなく取り仕切らなくてはならないというプレッシャーに押しつぶされそうだった彼女を、少しでも支えてあげようと思ったのだ。英雄色を好むというのか知らないが、ご主人には女性関係もいろいろあったみたいで、彼の遺言をめぐり前妻やその子供が絡んだりして、短期間の滞在で私が見聞きしたものは、そのまま小説になりそうな濃い世界だった。(いつか書いてみようかな)

が、あれから約1年、恨みつらみの同じ愚痴を言い続けている彼女の話を聞くのは、こちらとしても耐え難い。聞いてあげて気が楽になるならと、先方が酔いつぶれて眠るまで3時間近く電話を繋いでいたこともあるが、しかも愚痴をこぼすのが私だけならいいが、だれかれ構わず同じように(前妻の子供にまで)愚痴っているのだから、いやになってくる。ご主人の遺言を巡っても、知人の弁護士や彼女の地元の弁護士に相談をして、いろいろアドバイスをしたのだが、どんなに親身になったところで、こちらの話には聞く耳を持たず、ひたすら愚痴る。それを聴いてあげたり励ましたりしたところで、まったく効果がない。元々彼女を私に紹介した、同じ島に住んでいる知人は、「旦那も居なくなったんだし、好きなだけ酒を飲んでも誰にも文句言われないし、それで死んでも幸せだよ」とあきれ返って放り出してしまった。

私は夜は携帯をナイトモードにし、日中かかってきてもほとんど取らないことにした。が執拗に鳴り続けるコールが彼女の悲鳴に聞こえて、時々取ってしまう・・・が、また同じ愚痴。私だってそれなりに問題を抱えているし、何より忙しいのだ。「ご主人がなくなったのはお気の毒だけど、子供を亡くしてしまった人もいるんだし・・・」とか「そんなに大好きな人と一緒にいられてよかったじゃない。嫌いな人と別れられずに一緒にいる人もいるんだから」と、とんちんかんな返事をしてみたり。

ところが、そういう意見を言うと、彼女は逆上する。そして「どうせ私なんか誰にもわかってもらえない、もう死ぬ」と電話を切ってしまう。最初は私もこりゃ大変だと思って慌てたが、このごろはその「死ぬ」にも動じなくなった。だいたい本当に死ぬ人は、こういうタイプではないと思う。

もう匙を投げたいし、電話にも出たくはないが、最後に、表記の本を送ってみることにした。ちょっと前にハマった小林正観さんの本である。小難しい本は敬遠されそうだから、こういうやさしい文章の本なら読んでくれるかもしれない。

副題は「悩み・苦しみをゼロにする方法」である。彼女に送る前にもう一度読み返した。1時間で読み終わる。最近、ライト関連の論文とか宗教関連の本を読んでいるので、いまさらこんな軽口の本なんて、って思っていたが、どうしてなかなか、これは頭でっかちの人にはむしろ理解できないかもしれない、実にシンプルかつ当たり前の「幸せへの最短距離」を説く本だと思った。


つづく