フランク・ロイド・ライトの予言④~明治から平成へ


前回のブログに続く、ライト関連の本を読んでとりとめなく考えるシリーズ
フランク・ロイド・ライトの予言③~環境との一体感


このところライトの理想と現在の東京の現実のギャップにやりきれない思いになる。ライトの見た日本は、今よりずっと文化的だったとは思うが西洋化を急ぐ様子を嘆かわしく思っていた。時代というのはおかしなもので、過去はおおむね良く見える。

私の住んでいる団地が建ったころ、つまり1960年代は、今ちょっとしたブームである、レトロ感がもてはやされている。しかし、当時の人たちはビルばかり建つ東京に不満があったかもしれないし、団地のような白い箱を風情がないと非難したかもしれない。昭和30年に書かれた木村荘八の『東京風俗帖』などはまさにその通りで、明治26年に生まれ両国界隈に育った彼は、古き良き時代を後世に伝えるべく、江戸情緒の消えてゆく明治、震災に見舞われた大正、そして戦争で焦土化しながらも急速に復旧した昭和にいたる東京風俗の変遷を事細かに記している。永井荷風による有名な新聞連載小説『墨東奇譚』の挿絵を描くなど、画家としても有名な彼の、江戸の空気を伝えるカットもたくさん載っている。そもそもこの本も新聞に読売新聞に連載して評判となった『東京繁昌記』がベースとなっている。

これを読むと、ライトが来日した当時の東京の様子も、今に至る無秩序無計画的都市の発展の原因も見えてくる。どうやらそもそもの発端は、明治5年に起きた大規模火災だったらしい。4月3日、今は銀座大火と呼ぶらしい。午後3時に和田倉門の内の旧会津藩邸から出火し10時に鎮火するまで、築地、銀座一帯の約29万坪、民家5千軒が焼け、罹災民は約2万人に上っている。「樹立早々の革命政府にとって、都市は木造家屋ではダメだ・旧江戸のやり方はだめだ、と烙印を押して実証を見せた程の、天災だった」とのこと。そこで「東京不燃焼化計画」の先駆けとして銀座のレンガ化構想が東京府知事の由利公正や大久保利通を中心に始まった。「巴里、倫敦」の街並みをめざし、銀座8丁目当たりの長屋の住人を追い出して、国費をつぎ込んでレンガの家並みを造ったが、日本の気候風土になじまなかったらしい(住めばみなゲジゲジに舐められて死ぬ、と言われたほど湿気たとか)。

日本画も仏頭も堂塔も破壊したほどの旧時代の否定、江戸の破壊が、明治新政府のやり方だったと思えば、そもそも近代日本は最初から文化より経済優先社会だったのであり、当時もその後も戦中戦後を通じて、家が焼かれて明日の生活も知れない状態もあり、生きることに必死、稼ぐことに必死、国民全体の住環境がある程度満足したのは近年のことなのだろう。そしてバブル崩壊、リーマンショック。毎度長続きしない政権、既得権益の確保以外は思考停止の官僚主義・・・

明治以来現在に至るまで、世界大戦や通商拡大を含む怒涛の国際化にさらされて、激しい経済変動の中、私たち国民が日本古来の文化の意味を問うゆとりなんてなかったのだ。震災や戦災の度に作られた都市計画もあったし、これまでに幕張副都心計画などいくどか東京の一極集中化の緩和策があったが、政権が変わればまたそれは白紙に戻り、民間も目先の経済的効果を優先するため、長期的な計画の実施は不可能だった。

今の限りなく劣化する(と私には映り、またライトの思想とは真逆の)東京も、長い目で見ればこうなるしかなかった、ということになる。そしてこれから先も劣化し続け、今の時代が、あとの時代から見れば、あこがれの対象にすらなりうる・・・信じられないが!

私は子供のころ、トタンとブリキとプラスチックとスチールが発明されなければどんなに町や暮らしが美しかったであろうと思っていた。おばあさんになったら、純和風の家に住み、台所には竹の笊や木製の調理器具だけ置いて暮らそう、と決めていたヘンな子供だった。でも今は自分が生まれたころの60年代のレトロなオレンジ色のタッパーが好きだし、トタンの錆びた感じに萌えたりする。だから、いまの安っぽいサイディングの建売住宅だって、未来の人から見たら素敵に見えるのかもしれない。

昨日神楽坂を歩いていたら、レトロな建材を使った大きな建物があった。まさに60年代の体育館みたいなつくりで外装は合成樹脂っぽいトタン風な壁、その名も「la kagu」というトレンディなセレクトショップだ。カフェやワークショップスペースもあり、Tシャツが1万円近いブランドの服や、3万円以上の眼鏡や、国産にこだわった調味料や、明治時代っぽい食器などが、すっきりと優雅に並べられ、流行っぽい音楽がかかり、店員もファッション誌から出てきたような人ばかり・・・ちょっと前の私ならワクワクした空間だったが。スタイリストなどが自分のこだわりの食器や古着を見せびらかす、よくある雑誌の特集が三次元になったような世界――私はもう「卒業」したかな。自分は自分のスタイルでいいから。それになんだかんだ言って、たまたまそうしたスタイリッシュなすっきりした空間が流行っているだけで――置いてあるものは例によって籠とか革のスリッパとか、どこでも同じ――そんな価値観にどこか空々しいものを感じてしまう、つまりは、しょせん商売である、伝統文化をレスペクトしているように見せながらも。

脱線したが、トタンというかつては安普請の間に合わせの建材が、トレンディだという話である。

そんなこんなで、時代は変わるし価値観は変わるので、昔の人たちが過去に引き比べて自分たちの時代を憂いたことをぶり返しても仕方ないのだけど、一度こういう作業はしておいてもいいかもしれないし、ライトが見た当時の日本を考えるうえでも参考になると思う。なぜなら今の価値観や尺度で歴史を見ると、勝手な解釈になり、見失うものが多いから。というわけで、江戸から東京になったころの日本について、しばらく考えてみたいと思う。


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