この本はまるで宝石箱だと思った。35個の輝くアンティーク・ジュエリーが入っている。どれも全部違って個性的なデザインの。
私は時々美しく老いている人―男でも女でも―を見て、芸術品だなと思うときがある。その人が一生をかけて作り上げてきた人格や外見。生い立ちもその後の経験も含めて、全部がその人の表情や姿勢や立ち振る舞いや考え方を作り上げる。いい加減に生きて来たのでは作りえない気品や自信が表に現れている。
有名人であるなしに関係なく、あるいは時には年が若くても、幼少期から数十年の間でも日々培ったものがあれば、どことなく芸術的な人もいる。そういう人が年を重ねると、それこそいぶし銀のような魅力になるのだろう。そして、それがお似合いの夫婦だったとしたら、それは二人の個性がまじりあって支え合う本当に素敵な芸術的カップルだ。
実際そんな風に思わせてくれる人は少ないのだけど…ましてや宝石になるほどに原石を磨くことは難しい。
この本に出てくる35人の女性たちは、いずれも輝くばかりの才能を発揮した人たち…有名なところで、大山捨松、人見絹江、岡本かの子、小森和子、皇女和宮、沢村貞子、与謝野晶子、長谷川町子など…時代もジャンルもいろいろの、作者の植松三十里さんがほぼご自分で選んだ対象の一代記を、化粧品メーカーの月刊誌に連載してきたものであり、それが一冊にまとまっているのだが、こんなに様々な人の人生を書いてしまう植松さんの守備範囲がまずすごい!
私の全然知らなかった人も多い―茶貿易で財を成した大浦お慶、明治の天才マジシャン松旭斎天勝、輪島塗の名工天野わかの、女性初のパイロット兵頭精、アイヌの天才少女知里幸恵、『里見八犬伝』を口述筆記した滝沢路、富士山頂で気象観測をした野中千代子など、半分近くは名前も知らなかったり、聞いたことはあってもよく知らない人だった。明治期に東北地方を旅したイザベラ・バードやハワイ王朝最後の王女プリンセス・カイウラニなど、日本にゆかりのある外国人も紹介されている。
へ~、こんなえらい女性がいたんだ、と驚かされる。一人一人の密度の濃い人生が、生い立ちから死ぬまでにわたって、じつに分かりやすくまとめられているので、あっさり気軽に読めてしまう。とくに興味を持った人物がいたら、評伝や自伝を呼んでほしいと、植松さんも書いている。
「この中にあなたの目指す女性がきっといる」と表紙に書かれているが、敢えて考えてみると、みんなすごすぎて、私のような凡人には目指せそうにない…そういう人は、「十年寝太郎」でもいいから、流されてもいいから、平凡な日常を生きていればいつか花が開く、晩年に活躍した人も多いのだから、と作者はあとがきに書いている。
私の世代(1967年生まれ)は、進学したかったけどできなかった、離婚したかったけど経済力がなかったという母親が多かったり、男女の機会が均等化されてきた時代だったので、大学に進学して就職させてもらうのがわりと当たり前で、結婚や出産は、社会に出てやるだけやってみてから考える、という風潮が強かった。たぶん同級生の半数近くは結婚していないかもしれない。結婚しても子供がいなかったり、離婚した人も多い。つまり家庭的であることはあまり尊重されていない時代の申し子だ。
では結婚や出産をせずに、あるいはそうしたところで仕事を優先して、この本にある女性たちのように、自分の人生を投げうってまで、大義や人や家族のために、あるいは社会のために生きたかというと、それはない。自分のために、という感じが一番しっくりくる。
う~ん、この違いは何だろう。時代なのだろうか。少なくともここに出てくる35人の女性は(太宰治と心中した山崎富栄や坂本龍馬の妻の楢崎お龍など、社会的に活躍しなくてもそれなりの男性を支えた女たちも)、出自が普通ではない。資産家か家柄がとてもいいー家老の家とか、将軍の孫とか、議員とか、さもなければ、親が天才ピアニストとか漢学者とか。そういう社会的地位の高い家に生まれて、教養のある親や親せきに育てられて、選ばれた人間であることを早い時期から自覚していたのではないだろうか。
私は子どもの頃『偉人の話』という本が好きで、そこに出てくる人たちに憧れていた。たしかフランクリン、キュリー夫人、画家のミレー、良寛さま、豊田佐吉などが出てくる本だった。その人たちの滅私奉公の生き方にえらく感動していた私は、大きくなったら「偉人」になりたいと、本気で思っていた。今でもどこかにそういう気持ちはあって、せっかく生きているのだから、そして子供もいないのだから、何か社会的に役立つことに人生を使いたいとは思うのだけど、現実はどうもままならない。
だいたい親が普通である。農家に生まれた父は(おおもとは武士の家らしいが)、とにかくお百姓さんより楽な仕事をしたいと工業系の学校に進学し、メーカーに勤務したのち脱サラして商売をした。母は21歳で結婚して、商売は忙しく、二人とも高邁な志を持っていたわけでもないし、ましてや子供を「偉人」に育てるなんて考えもしなかったであろう。
働き者で明るくて真面目でやさしくて、とてもいい親である。でもそこからやっぱり鷹は生まれないのだろう。私は本が大好きな子供だったが、親は本を読むより家の手伝いをさせたがった。こうして適度な田舎で育った私は、のんびりと欲もなく、欲もないから向上もしない代わりに敵も作らず、なんとなく平和に生きてきた。もちろんそれなりに勉強や仕事の苦労はしたけれども、この本に出てくるような壮絶な体験はない。人生はスタートから決まっちゃっているのかな。
もし私が大山捨松のように、会津藩の家老の家に生まれて、戊辰戦争で城に立てこもり、目の前で家族を殺されて、北海道で凍死か餓死しそうになって、フランス人宣教師の家に預けられて、親の希望でアメリカに留学させられたら、そしてそこからは自分の努力だけど、祖国の人たちの希望を背負って一生懸命勉強して、世界を見て日本に帰ってきたら、私もきっと女子教育をしようと思ったかもしれない、津田梅子のような同志がいたら。そして大山巌のようなフランス留学をした陸軍大臣のプロポーズを受けたら、彼と結婚して、鹿鳴館で国際外交を果たそうと思うかもしれない。
あるいは、山崎豊栄のように、裕福で教養ある家庭に育ち、親の事業を継ぐ立場にあったら、私だってそれなりに頑張るだろう。そこにハンサムで今を時めく太宰治がやって来て、「死ぬ気で恋をしてみないか」と言われたら…彼がほかの女との間に子供を持っても、彼のために貢ぐし、心中してくれと言われたら、してしまうかもしれないな。
私がどうのという前に、生い立ちから人生はある程度決まっているのだろう。
だけど中には共感できない人物もいる。与謝野晶子に生まれていたらどうだったのだろう。彼女も同様に、資産家の教養ある家系である。私がそのように生まれ、文才に長けていたら、やはり与謝野鉄幹の才能と男ぶりに惚れただろう。そして彼が次々女性を作ったら…この時代、私でも離婚はしないかな…だけど11人も子供を産むなんて…いくら産児制限ができない時代でも…よっぽど鉄幹を愛していたのだろう。しかも鉄幹がパリへ渡るとなると、その子供たちを妹に預けて、パリへ行ってしまうなんて。育てられずに里子に出すほどの数の子供を産んだり、何度裏切られても夫を愛し続けたり―これはちょっと共感するには難しすぎるシチュエーションだ。そんなに多くの子供を妹に預けちゃうというのもすごい。これは晶子が常人じゃないというより、時代もあるだろう。そのくらい子供がいるのは珍しくないし、ほかの女性の例にあるような、戦争や病気で夫や子供が次々死んでしまうというケースもよくあったことなのだろう。
というわけで、立場の違いというより、時代の違いが、彼女たちへの共感や理解を阻むことになる。それから、知的障害児の施設を創った石井筆子や二千人もの日米混血児を救った澤田美喜などは、おそらくキリスト教信仰がベースにあっての偉業だと思う。日本の教会の父と言われた植村正久が「自分を犠牲にしてまでしての善事は、自分を本尊にしてはなしえない。神を戴いてこそ、自分を超える力が発揮される」と言っているが、この二人の女性などは、まさにその通りに生きたと言える。自分を犠牲にしても取り組みたい大義、そのための努力や勇気は、個人の中から出てくるものではないだろう。私にはそこまでの信仰心がない…
最初に彼女たちの人生を宝石に例えたが、その美しく輝く人生は、いずれも原石が磨かれてみがかれてできたものだ。尋常でない苦労や哀しみや努力によって磨かれたものである。教養ある家柄に生まれ、社会的な意識の高い素地ができたところへ、没落して貧乏になったり、戦争で負けたり、親が死んだりと、必然的に苦労を強いられる。その苦労が深い信仰に導かれることもある。今の世の中は、原石を磨くような苦労や哀しみが存在しない。
そのくせ、一人の子供を育てるだけでもたいへんという、なぜだか自分のことでいっぱいいっぱいのゆとりのない女性ばかりになった。あるいは社会の何に役立っているのか分からない会社で身を粉にして働く女性ばかりになった。この本にある女性のように、勇気やオリジナリティを発揮することより、そつのない社員、そつのない妻、そつのない嫁、そつのない母親―こうした役割を果たすことが一番だと思わされて生きている。それは今も昔も同じかもしれないけど。
今の世の中で一番成功している女性って誰だろう?女性の政界進出が目立つ。イギリスもドイツも女性が首相だし、アメリカでもフランスでも大統領候補は女性だった。日本でも小池さんをはじめ知事に女性が増えて来たし、女性党首や大臣も珍しくなくなった。一方で、「イクメン」などという言葉があるように、仕事も子育ても男女が協力して行うことがだんだん当たり前になってきている。つまり昔に比べて女性の社会的に活躍できる時代になったのだろう。それは、この本にあるような、女性たちの苦闘の歴史によって徐々に実現したのだろう。今や、女性だから、とか、女性ならでは、という言い方も古いのかもしれない(今回は女性の本を書いた女性の植松さんも、男性を主人公にした硬派な歴史小説をたくさんものにしているし…)。
時代が人を創る。そういう意味では、現在のヒロインは、断捨離の提唱者のやましたひでこさんや、ときめきの片付けの近藤麻理恵さん、ミニマリズムに火をつけたゆるりまいさんなどが、大量なモノに溺れそうになりながら捨てることのできない現代人の救世主といえるかもしれない。彼らの活動は確実に社会の役に立っていると思う。
AKBなどのアイドルたちは、オタクとか草食系というような新しいタイプの男性の救世主といえるかもしれない。相当の経済効果は生み出している、少なくとも…
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35個のアンティーク・ジュエリーの入った箱のような本を閉じて、私は思う。凡人の親を持ち、のんびりした時代の田舎育ちの私には、どうしたって時代の急流についていけそうにない。でも流れに棹さして、十年寝太郎をきめ込んでいれば、いつかきっと何かの機会に人さまのお役に立てるかもしれない。有事に役立つときに備えて、平和な時は寝ていよう、そのまま平和ならそれはそれで…
そして、毎日を淡々と生きていても、心がけさえ悪くなければ、それはそれなりに素敵な作品になるでしょう。いぶし銀のような、素敵な皺のあるおばあさんになれるといいのだけど、とりあえずは、ジーンズが似合ってギターのうまいおばあさんを目指している。